昆明(クンミン)は
雲南省の首都
1989年のそこは
北京とは異なり
たくさんの人びとの息吹に溢れていた。
自転車で行きかう人びと
スクーターや軽トラックのクラクション
人民服に混じって少数民族の衣装を着た人たちも目立つ。
衣装はアイデンティティなんだ!
タイのゴールデントライアングルで感じたものをここでも感じることができた。
アパレルの仕事をしているわたしたちは小躍りして喜んだし
何もかもがとても新鮮だった。
結果的にいうと
わたしたちはシーサンパンナへは行けなかった。
「水かけまつり」は欧米の観光客には有名らしく
そちらに行く交通手段が取れなかったのだ。
それで、「大理〔ターリー〕」ならバスのチケットが取れたので
そこに向うことにした。
そこを拠点とすれば
雲南の第二候補だった
「玉龍雪山」という聖なる山の麓にある
トンパ文字のある麗里(リーシャン)に向うことができる。
8月15日を
大理の安ホテルで迎えたわたしたちに
その後の人生を変えてしまうようなことが訪れた。
終戦記念日
わたしたちがそう呼ぶその日
今頃日本ではサイレンが鳴り響き
黙祷をするのだが・・・
その日の朝は
派手な爆竹の音で目が覚めた。
その日のことは
ほんとうに忘れられない。
「戦勝記念日」
それがその国のその日の名前。
「抗日戦・戦勝記念日」
たくさんの花火が打ち上がり
この日はいつでも「中華思想」に皆の心を固める日なのだろう。
漢民族、満州族が交互に国を取り合った血塗られた歴史。
世界の中心と自らが思ってきた中華民国は
イギリス、フランス、オランダ、
そしてアメリカがそのあと
「チャイナケーキ」を切り刻み分け合う。
20世紀の歴史の中で
そこに日本が参入してくる。
欧米列強は日本を締め出したい。
いったんは日本がチャイナケーキを独り占めにする。
それを包囲する列強
いわゆるABCD包囲陣。
そこで考えたのは!
人民が武器を手に取り
人民のために立ち上がる。
指揮をとるのはマオ・ツォトン(毛沢東)
民主が蜂起してそれを取り戻せば
自分たちはそれを武器を与え、後押しするだけでよい。
しかしそれはのちに共産党という恐ろしくでかい亡霊を産むことになる。
欧米諸国の失敗。
それで冷戦時代の突入となるのだが・・・
さて
1989年8月15日に話しを戻そう。
この日は
人民解放軍のパレードや
毛沢東をたたえるためのお祭りとなっていたのだ。
人民開放軍が人民に天安門で牙を向いたというのに
いや
だからこそ
人民がひとつになるためには
「共通の敵」が彼らには常に必要なんだということを
このとき理解した。
「共通の敵」は
今日までも
かれらが小国ちと揶揄する「日本」に他ならない。
鳴り止まない爆竹とお祭り騒ぎの中で
わたしたちは一つの真実を知った。
これもまた
この地球で同時に起きている
真実のひとつなのだ。
富士山には連日たくさんの中国人が押し寄せる。
尖閣問題が勃発してからは
いちどは少なくなったが
再びたくさんの方たちが訪れるようになった。
このお隣の大国は
25年前に比べて様変わりをしたと思うのだけど
毎年8月15日のお祭りは変わっていないのだろうな。
それを感じなくては
この国のことが永遠にわからないかも知れない、
と
ふと、思った。