1945年の第二次世界大戦ののち
世界は二つに分かれた。
東側諸国と西側諸国に。
いわゆる冷戦の時代が訪れた。
資本主義と社会主義(共産主義)
日本では社会主義と共産主義を一緒くたしてしまう傾向があるけれど
海外に行くと
だから日本人は政治音痴なのだ、といわれてしまう。
「ソシアリズム」と「コミュニズム」は違うのだ、と。
民主主義と資本主義もイコールではない。
1989年の昭和天皇崩御のあと
時代は平成になったが
世界では「民主化」の大きなうねりが訪れて
ソビエト連邦は崩壊した。
初めての大統領はわたしの大好きなゴルビーとなって
「ペーレストロイカ!」などとわたしは歌いながら仕事をしていた。
1987年の正月に単身キューバに行ったわたしは
パパ・へミングウエイとフィデル・カストロを愛していたが
「コンパニェーロ」(同志)という言葉がアナウンスで鳴り響くこの国の
コミュニズムも
可哀想なくらい美味しくないこの国のサンドウッチと
天国のような味のモヒートの狭間で、
ファンカラティーナのリディムの中に泡立ってなじんでいった。
「革命」
その国ではその言葉に酔いしれていた。
しかしソシアリズムも、コミュニズムも
この惑星の失敗だったのだろうか?
ベルリンの壁が崩壊するという歴史的瞬間の少し前
あの事件が起きた。
1989年6月4日
「天安門事件」
5月にスリランカにSと二度目の旅行をしたわたしは
またしても浮かれていた。
「タミール人問題」で内紛を繰り返していたエメラルド色のこの島で
「フリーダム!」と叫んでいた若者たちに共感を覚えた。
いまだカースト制度が残るこの国で
でも確かな民主化の手ごたえを感じたのだった。
世界はイデオロギーの対立をも乗り越えて
平和と平等に向っているのだ。
そしてそれが叶うためなら
わたしたちは何だってするよ!
本当は何も出きないただの「野次馬」だったのに
この世界の中でなんでもできそうな気がしていた。
Sもわたしも・・・
何にもできなかったのに。
「天安門事件」が起きたその日
Sは京都に行っていて不在。
わたしひとりで
深夜のCNNで
恐ろしいことがまさに行なわれようとしている報道を見ていたのだった。
民主化のリーダーや運動家が占領した天安門広場に
人民解放軍の戦車が四方から突入して
彼らを踏み潰したのを・・・