Quantcast
Channel: トヨタマヒメ富士日記
Viewing all articles
Browse latest Browse all 5679

ココロの旅 「永遠のひかり」

$
0
0




1988年7月8日

父は永眠した。



その日のことは昨日のことのように

思い出すことができる。



父を看取ったのはたったわたし一人で

姉も母も病室にはいろいろなタイミングが重なっていなかったのだけど

そのときに父の体から

なんだか光の柱のようなものが立ち

空に向って行ったのを感じたのだった。

それは単なる錯覚だったのかもしれない。



明治、大正、昭和を生き抜いた

大いなる男の死だった。


あと一年いや、半年生きていれば

時代は平成に突入したのに。


「お通夜」が行なわれるその日の昼間に

会場の打ち合わせやらなんやらで母とわたし達姉妹はバタバタと走り回っていた。

あの「さとうくん」が駆けつけてくれた。

わたしたちが小さかった頃

家に住み込みで働いていた父のお弟子さんだった。



葬儀場の二階から新宿の空を見上げたとき

わたしはいままでに無かった感情に襲われた。



「ああ

これで永遠に一緒にいられるんだ」



入院してからというもの

つねに父のことを気にしていた。

辛くは無いか

苦しくは無いか

寂しくないか

いつ元気になるのだろう

いつ家に帰れるのだろう

そしてほんとうに戻ってくるのだろうか



会社にいて仕事をしていても

夜、打ち合わせをしていても

あるいは羽目をはずして遊んでいても

常にそれが頭の中にあった。



それは肉体というのはどんなに愛していても

離れ離れで過ごさなくてはならないので

夫婦であれ、親子であれ、家族であれ

決してひとつにはなれないのだけど

死んでしまえば魂のレベルで

やっと一緒になれるのだ

そんな感じがしたのだった。



まだシャーリーマクレーンにも

バシャールにも

出会っていなかったけど

わたしにはそれが真実に思えた。



そして心の底から

不思議なのだが

ほっとした。


父は生前、愛馬「流れ星」の話を良くしてくれた。

生き物の中で、犬や猫をとても可愛がっていたのに

馬が一番好きだと言っていた。

「流れ星」は鼻筋にすーっと白いまるで流れ星みたいな筋があってね・・・

馬は利口なんだ。

馬はひとの気持がわかるんだ。

戦争が終わったときに

流れ星は天皇陛下にお返ししたのだといっていた。

あれだけしたたかに生きたように思えたけど

ときどき父は明治の男になった。


わたしは父が死んでから

流れ星に乗って空を駆けているんだと思い

なんどか空を見上げた。



かといって

それでもことあるごとにわたしは

父を思い出してよく泣いた。

なにもかも全ての事柄が

父に結びついて

そのあと10年くらいは思い出してはよく泣いていた。



これほどの哀しみを乗り越えることなんて出きないだろうと思ったが


時間というものは

全てを解決してくれることも学んだのである。


ひとつだけ

大きく変わったことがある。

それは自分が死ぬことが怖くなくなったことだ。


父が旅立ったとき

そこには大好きだった姉さんたちや

先に逝った両親やおじいちゃんたちが迎えてくれたのだろう。

そして愛馬、流れ星とともに空を駆けて行ったのだろう。


わたしは相変わらず、愛するものの死に直面すると

(それは主に動物たちであるのだけど)

冷静ではいられないし、やはりもう一度会いたくて泣き明かしてしまう。

それはちっとも変わらない。


しかし、わたしが死ぬときには

あの、愛おしいもの達にもう一度会うことができる。


先にひかりの大元に還ったものたちと

わたしもまたひとつに解け合うことができるのだ。


だから

永遠なんてない、と人はいうけれど

わたしは永遠の愛を見つけたのだった。




{A957E6EE-1E3F-4D2E-BFFA-9E506206B8C8:01}


































Viewing all articles
Browse latest Browse all 5679

Trending Articles