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水を巡る旅人たち その二 「頼朝とイワナガヒメ」

この日はこのお二方、というのでしょうか。


何しろ、
「源頼朝」にはじまり
「磐長姫(イワナガヒメ)」に終わりました。


記紀神話の神さまの名前は好きなのですが
以前にもお伝えしましたが
わたしは漢字の人名が覚えられない。
ミナモトもタイラもフジワラも
シンゲンもケンシンも
興味がまったくわかないのです。


だけど、この日は
また???
また?ヨリトモさん???


というくらい、思いっきり行く先々ででましたね。
というより
「富士の巻き狩り1193年」というのは
富士山の歴史を知るのには
さけて通れなかったのかもしれません。



「音止の瀧」

なぜその名がついたのか


それには少し歴史のお勉強をしなければならない。
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「曽我兄弟」の図



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これが曽我兄弟の隠れ岩といわれる名所旧跡。
白糸ノ瀧のすぐそばにあります。


「わあ~!溶岩!」
「玄武岩質!」
「いつごろの溶岩流?」


うわっと!
今日はその話はやめましょう。


1192年鎌倉幕府が樹立(イイクニつくろう鎌倉幕府!)
その次の年に源頼朝が行なった「富士の巻き狩り」
いわば軍事演習であり、
京に対して、幕府の力を見せ付けるデモストレーションであったらしい。


そしてそのさいに
曽我兄弟が父の仇をここの白糸ノ瀧の近くで討ったという有名な史実がある。
(ごめんなさい、今日初めて正確なお話しをしりました。)
そしてヒソヒソと打ち合わせを兄弟で滝のそばでしたときに
轟々と鳴る滝の音がうるさくて
「うるさい」
といったら
音がピタリと止んだのだという言い伝えがあり
そこから
「音止の滝」と。




曾我兄弟の仇討ち(そがきょうだいのあだうち)は、建久 4年5月28日 1193年 6月28日 )、源頼朝 が行った富士の巻狩り の際に、曾我祐成 曾我時致 の兄弟が父親の仇である工藤祐経 を討った事件。赤穂浪士の討ち入り 伊賀越えの仇討ち に並ぶ、日本三大仇討ち の一つである。武士社会において仇討ちの模範とされていたことが窺える




それにしても白糸ノ瀧は
どんな流れにも
虹の虹彩が投影されて
素晴らしかった。
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なのですが
あまりにも綺麗に工事されてしまって
コンクリートとアスファルトの
つまらない公園のような整備をされてしまいました。


人間のやることは
しょうがないなあ・・・




そしてここからこの瀧の上部にある
「おびん水」に歩いて行きます。




今日の訪れる場所で
わたしが一番楽しみにしていたところ。


ドキドキです。

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