Quantcast
Channel: トヨタマヒメ富士日記
Viewing all articles
Browse latest Browse all 5679

「妙なる山の十一面観音とは」

$
0
0

妙高山という名は

仏の世界の須弥山の同義語だという話しを聞きました。


妙高山の山頂に祀られているのは

三尊阿弥陀如来像

そして里宮として

こちらの「関山神社」があります。

{569FED27-E7F7-483E-9541-65A38F8B29E5:01}
雪のなかに静まり返っています

祭神
中尊 国常立尊 聖観世音菩薩
左尊 伊弉冊尊 十一面観世音菩薩
右尊 素盞鳴尊 文珠菩薩

往古より妙高山村関山三社大権現と称されていた。
古来妙高山は、裸形上人によって開かれ仏の山とされていた。
神奈山には神様がおわし、和銅元年(七〇八)、悪疫流行の年を選び、麓の関山村に里宮として前記の三神が勧請された。
嵯峨天皇の御代(八一〇)空海上人が、諸国廻歴の折りその神威を観窺し、帰京後帝へ奏上し、壮麗なる社殿を再建する。更に僧坊七十二区を栄築し、大いに仏徳を発揚する。


{DFD8B018-4669-4662-935D-5CBD11F29957:01}

拝殿から入り口の表参道鳥居を見る。


{F4B7FA33-0EE6-48BE-9147-1970EE0C721F:01}

上部に龍の彫り物が・・・

{6F243368-40C8-4930-A4CB-5590F2B67CAE:01}

こちらは表から見たところ。

{6199C8F0-E2C3-4B7B-BCB2-81337699743D:01}

本尊はご開帳されていなかったが

写真でその姿を拝することができる。



{FE87A7AF-DC9D-4E8F-9ECB-EED16C3E127E:01}

ここの本尊は「阿弥陀如来」と なっているのに
「主尊・観音菩薩像」となっています。
そしてその観音像は女性のような優しげな佇まい。
そして左尊とされる十一面観音像は男性的な表現で
結跏趺坐しているように見えます。


説明文あり


「関山三社権現の本尊仏」と呼ばれていました。
本尊仏は三体あり、中央に主尊となる観世音菩薩像
(中略)
飛鳥時代に朝鮮の百済から伝来したと見られる金銅仏です。」



そうなんですね。
飛鳥時代に仏教は朝鮮半島から伝播して、最初に伝わるのが日本海側の土地。
ここは越の国。
越は「海を越した国」の総称ではないのかしら?
朝鮮半島から近い順に
越前、越中、越後
つまりあくまでも大陸を向いていて
大陸に近いほうが前であったのではないかしら。
今は日本の意識が太平洋を向いているので
表日本、裏日本と読んだりするのだけど・・・


そして少し詳しく調べてみたくなり
検索してみたら
「新羅神社」というものの関係を書いたブログにたどり着きました。
こちらの左尊の「文殊菩薩像」は新羅大神と呼ばれているのです。
こちらも日本海まで20キロ満たないここの位置の特異性を物語るのかもしれません。


こちらの記事には興味深いことが書いてありました。
なんと最初にお詣りした「妙高堂」に阿弥陀如来が祀られているとのこと。
山頂にも「妙高大神」があり、三尊阿弥陀如来が奉祀されていること。


だから
南参道というところから、こちらのお詣りを始めたのは
実は正解だったのですね。


それからこの記事にはさらに興味深いお話が・・・

妙高山という山への信仰は
火山であるお山そのものと(火)
そして「水」
山頂にある池と、山から流れる関川という河川の氾濫を治める神であるという話。




「本来は農業を守る水分(みくまり)神の聖地であった。それに渡来系の祖神である新羅系の神が合流したものであろう。妙高山山頂には八大竜王の棲む興善寺池がある。 」


八大龍王さま
でちゃいましたね。
やはり「火」と「水」で陰陽のバランスをとり
それを祀るという日本の自然観と渡来の仏教が見事に融合していった過程が
感じられます。


以下
興味があるかたは
ぜひご覧になってくださいね。




「このように山と山上の池を神とする例は、同じ越の国(越前)である福井県の今庄町にもあり、信露貴山(夜叉池上)と夜叉ケ池から流れ出る淑羅(しらぎ)川が信仰の対象であったのと同じである。これは日本神話の一つの類型である洪水神話、或いは山の峯への祖神降下神話と同じ範疇に入る。」また、各地に見られる羽衣伝説もこれらと通ずるものがある。丹後地方の比治山の頂の真名井(麻奈井)という池に天女が降りた伝承や、近江の余呉湖の羽衣伝承などがある。


<出雲神や諏訪神とのつながり>

妙高村の西側にある西頸城山地の西側、白馬山麓県立自然公園を流れる姫川が日本海に注ぐ河口の街・糸魚川市には、縄文中期のヒスイの勾玉・丸玉などの遺跡が発見されている。長者ケ原遺跡・後生山遺跡・田伏玉作遺跡・寺地遺跡等々、多くの遺跡から当地方がヒスイの原石や半製品の中心地であったことが知られている。

『古事記』によれば、素戔嗚尊の八俣の大蛇退治の条に、「高志の八俣(やまた)の大蛇(おろち)、年毎に来て喫(く)へり……」とあり、あの出雲の素戔嗚尊が越の国の大蛇を退治し櫛名田比売(くしなだひめ)を救う話がある。『釈日本紀』巻十に「越の国人有り。名を掬脛(こまはぎ)という。力が強く土雲の子孫という」とあり、異族視された種族がいたことが判る。そして素戔嗚尊の子(或いは五代の孫とも六代の孫ともいう)の大国主命は、糸魚川の沼河比売(ぬなかわひめ)へ求婚に訪れるが、二人の間にできた子神が建御名方命(たけみなかたのみこと)で信濃の諏訪神社の主神である。これらの伝承の背後には、三世紀頃(弥生後期)高志より出雲への硬玉の交易ルートがあり、糸魚川付近に玉生産を司るヌナカワ王国があったともいわれている
(井上鋭夫『新潟県の歴史』)。


http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/114.htm

こちらの出雲と諏訪のつながりは
これから行くことになった
「斐太神社」がまさにそれを体現しているので
わたしには驚愕でした。


まだ旅はつつきます。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 5679

Trending Articles