二週間ぶりにやっと
諏訪のお話の肝心部分に着手したら
以前もご紹介した
instaglam友「AMARIA」さんがまたしても
「空飛ぶ泥船でヒットしました。
わたしも諏訪に行ってからこのブログを知りました」
そんなメッセージを間髪いれずに
ご紹介してくださいました。
「モリヤ氏であり、神長官だった記憶を持つ人のブログです」
とありました。
過去世や前世はきっとどなたでも興味があると思います。
そしてときどき
「あ、ここにいたことがある!」などと記憶が呼び戻されるような感覚をもつことが
だれでもあるような気がします。
すでに見たことのあるような感覚を
「既視感」といいますが
つまり、「デジャブ」ですね。
わたしも藤森氏の建築を見たときは
なぜか懐かしい気持ちがしました。
あの泥船は特にそう。
きっと何か意味があるのでしょうね。

神長官守谷資料館
藤森照信デザインの建築
「御柱のオマージュ」
雉鎌という雉のかたちの鎌があしらわれている。
モリヤはまた
製鉄の神であるとも一説に言われている。
AMARIAさんから紹介いただいた
「Grace Gardenより愛をこめて」さんの2012、5 19のブログ
では、次は、神長官守矢資料館です。
大きな通り沿いにあるのですが、目立つことなく民家の並びにあります。駐車場も数台停める場所がある程度です。
車を停めて、少し奥に歩いていきます。ありました。普通の塀があって、中に入ると御祈祷殿と民家が並びます。
御祈祷殿の前に立ち、この場所で籠って祈祷していた自分を観じていました。確かにここで祈祷していたな、と実感。隣は住んでいた場所ですね。
すると、娘が「昔、ここで遊んでいたよ」と言いました。そうか~昔も私の子どもだったのね(^ ^) 私の回りでちょろちょろと遊んでいる様子は、今と変わらないね、と娘と笑っていました。懐かしい場所です。
反対側をみると、ここに古代風な土壁で造られた資料館があります。入館料100円。どこまでも控えめです。
中に入ると、「守矢家について」と書かれた説明書きがあります。5/13のブログを参照してください。私がモレヤ族の長で、建御名方神との戦に敗れ神長官としての立場になっていたことはわかっていたのですが、守矢氏のみが神を降ろす役割だったことがはっきりと書かれているのを読んだのは、ここが初めてでした。公の諏訪大社においては、現人神の大祝のことは説明がされていても、神長官の詳しい説明はどこにも書かれていないからです。
資料館には、他に御頭祭の展示と、奥には、神事の様子が書かれた古文書や、神長官と戦国武将たちとの交流がわかる戦勝祈願の願状や様々な書状が展示されています。特に諏訪を征服した武田信玄とは親しかったようですね。武将たちが頼りにしていたことがうかがえます。
そして、ここの館の方が、観光客一人一人に熱心に守矢家のことを話してくれていたのが微笑ましく、ここを愛してくれているんだなぁと感じました。
その方が、私が疑問に思っていたことを説明し始めました。なにもきいていないのにな♪ 神長官のお仕事ぶりがよくわかりました。誇りに思ってくれているのが伝わってきましたし、神を繋いでいた話も躊躇なく説明してくれたのが心地良かったですね。嬉しいです(*^^*)
もっとお話しを聞いていたかったのですが、ここの敷地の奥にはまだみるところがあるので、お礼を言って次にいきます。
少し上がっていくと、ミシャグジ神を祀った神社があります。たいへんお世話になった神様です。大祝と一緒に地下に冬ごもりして祭祀をしていたこともあり、この神様とは一体のようでしたね。ご挨拶して…
また小道を歩いていくと、神長官や大祝たちのお墓が並んでいました。その真ん中に大きな桜の木が立っていて、風に吹かれて花びらが舞っていました。綺麗な光景に思わずビデオモードにして撮ってしまいました。
お墓は、大きな石をそのまま立てたもので、名前と年号が彫られていました。予感がして…自分のお墓を探していました。ありました。天保に没(江戸時代)。ここで私は何度か転生しているようです。大祝としても。やりたいことがあったのだと思います。この土地での縁の深さを感じてしまいます。
他に見学している人たちがそこを通り過ぎて、娘と私だけになりました。桜の木と並ぶお墓を見渡せる場所から眺めていると、急に強い風が吹いてきました。辺り一帯が桜吹雪になり、花びらが勢い良く音をたてて舞い散った。息を呑む光景に、思わず娘と声をあげていました。
一気に時空を超えて…私がここにいる。過去の私も、現在の私も。風の神が手伝って、その存在を伝えてきてくれた。ここでの光景は心に刻まれいて、今でもそのまま蘇ってきます。
ずっとここにいたい。そう思いました。
大きな通り沿いにあるのですが、目立つことなく民家の並びにあります。駐車場も数台停める場所がある程度です。
車を停めて、少し奥に歩いていきます。ありました。普通の塀があって、中に入ると御祈祷殿と民家が並びます。
御祈祷殿の前に立ち、この場所で籠って祈祷していた自分を観じていました。確かにここで祈祷していたな、と実感。隣は住んでいた場所ですね。
すると、娘が「昔、ここで遊んでいたよ」と言いました。そうか~昔も私の子どもだったのね(^ ^) 私の回りでちょろちょろと遊んでいる様子は、今と変わらないね、と娘と笑っていました。懐かしい場所です。
反対側をみると、ここに古代風な土壁で造られた資料館があります。入館料100円。どこまでも控えめです。
中に入ると、「守矢家について」と書かれた説明書きがあります。5/13のブログを参照してください。私がモレヤ族の長で、建御名方神との戦に敗れ神長官としての立場になっていたことはわかっていたのですが、守矢氏のみが神を降ろす役割だったことがはっきりと書かれているのを読んだのは、ここが初めてでした。公の諏訪大社においては、現人神の大祝のことは説明がされていても、神長官の詳しい説明はどこにも書かれていないからです。
資料館には、他に御頭祭の展示と、奥には、神事の様子が書かれた古文書や、神長官と戦国武将たちとの交流がわかる戦勝祈願の願状や様々な書状が展示されています。特に諏訪を征服した武田信玄とは親しかったようですね。武将たちが頼りにしていたことがうかがえます。
そして、ここの館の方が、観光客一人一人に熱心に守矢家のことを話してくれていたのが微笑ましく、ここを愛してくれているんだなぁと感じました。
その方が、私が疑問に思っていたことを説明し始めました。なにもきいていないのにな♪ 神長官のお仕事ぶりがよくわかりました。誇りに思ってくれているのが伝わってきましたし、神を繋いでいた話も躊躇なく説明してくれたのが心地良かったですね。嬉しいです(*^^*)
もっとお話しを聞いていたかったのですが、ここの敷地の奥にはまだみるところがあるので、お礼を言って次にいきます。
少し上がっていくと、ミシャグジ神を祀った神社があります。たいへんお世話になった神様です。大祝と一緒に地下に冬ごもりして祭祀をしていたこともあり、この神様とは一体のようでしたね。ご挨拶して…
また小道を歩いていくと、神長官や大祝たちのお墓が並んでいました。その真ん中に大きな桜の木が立っていて、風に吹かれて花びらが舞っていました。綺麗な光景に思わずビデオモードにして撮ってしまいました。
お墓は、大きな石をそのまま立てたもので、名前と年号が彫られていました。予感がして…自分のお墓を探していました。ありました。天保に没(江戸時代)。ここで私は何度か転生しているようです。大祝としても。やりたいことがあったのだと思います。この土地での縁の深さを感じてしまいます。
他に見学している人たちがそこを通り過ぎて、娘と私だけになりました。桜の木と並ぶお墓を見渡せる場所から眺めていると、急に強い風が吹いてきました。辺り一帯が桜吹雪になり、花びらが勢い良く音をたてて舞い散った。息を呑む光景に、思わず娘と声をあげていました。
一気に時空を超えて…私がここにいる。過去の私も、現在の私も。風の神が手伝って、その存在を伝えてきてくれた。ここでの光景は心に刻まれいて、今でもそのまま蘇ってきます。
ずっとここにいたい。そう思いました。
御神事~東京∞諏訪大社<諏訪大社上社本宮~前宮>
May 17 [Thu], 2012, 22:20
次は、諏訪大社上社本宮に向かいます。
諏訪大社は、諏訪湖を挟んで、南に上社の本宮と前宮、北に下社の秋宮と春宮、と4つの社からできています。
諏訪大社は、本殿を持たず、上社は山を、下社は神木を御神体として、大昔の自然物崇拝の形を残している神社です。それぞれの社には、四隅に4本ずつ奥山からきりだしてきた大木が立てられ、御柱として有名です。申年と寅年に行なわれる御柱祭は、迫力がありますね。先日、たまたまテレビで観ることができましたが、あんなに大々的なお祭りだとは知りませんでした。(失礼いたしました)
本宮は、多くの人が参拝していました。御社殿に向かって歩いていくと、迫力を感じます。
なぜかというと、御社殿の奥は山、そこにそびえ立つ木のところに、御社殿と同じくらいの大きな大きな白龍がいました。御社殿の上に並ぶようにその顔が観えます。あたり一帯が眩しく輝いてみえます。
…私、昔この龍の頭に乗って、この辺りを飛び回っていた。神人だったとき。
「よく来たな」 白龍が声をかけてくれた。
迎えてくれた。あぁ、帰ってきたんだな、と実感した。私は、ここに居た。
話をしながら懐かしくなっていたら、前宮に行くように促された。前宮が私にとって一番縁の深い社だからです。
御社殿を後にして、境内を見回すと、宝物殿が気になったので入ってみた。なにかある気がして…
http://yaplog.jp/gracegarden/archive/204
諏訪大社は、諏訪湖を挟んで、南に上社の本宮と前宮、北に下社の秋宮と春宮、と4つの社からできています。
諏訪大社は、本殿を持たず、上社は山を、下社は神木を御神体として、大昔の自然物崇拝の形を残している神社です。それぞれの社には、四隅に4本ずつ奥山からきりだしてきた大木が立てられ、御柱として有名です。申年と寅年に行なわれる御柱祭は、迫力がありますね。先日、たまたまテレビで観ることができましたが、あんなに大々的なお祭りだとは知りませんでした。(失礼いたしました)
本宮は、多くの人が参拝していました。御社殿に向かって歩いていくと、迫力を感じます。
なぜかというと、御社殿の奥は山、そこにそびえ立つ木のところに、御社殿と同じくらいの大きな大きな白龍がいました。御社殿の上に並ぶようにその顔が観えます。あたり一帯が眩しく輝いてみえます。
…私、昔この龍の頭に乗って、この辺りを飛び回っていた。神人だったとき。
「よく来たな」 白龍が声をかけてくれた。
迎えてくれた。あぁ、帰ってきたんだな、と実感した。私は、ここに居た。
話をしながら懐かしくなっていたら、前宮に行くように促された。前宮が私にとって一番縁の深い社だからです。
御社殿を後にして、境内を見回すと、宝物殿が気になったので入ってみた。なにかある気がして…
http://yaplog.jp/gracegarden/archive/204
さて
わたし自身がこの守谷資料館で何を感じたかの
お話を最後に
この諏訪のお話を終わろうと思います。
最後の一話をお楽しみに!