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「根源の存在」 わたしを呼んだもの その三

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この日は初午の日でしたけど

建国記念日や

そして「11の日」と重なって

特別な日であったかもしれません。


人が神さまを祀るとき

その場所というのは

人の都合であちこちに変えられてしまうので

そして何を祀っていたのかも人の都合で変えられてしまうので

場所とか何の神さまとかというのも

あまり意味を持っていないのかもしれないのです。


わたしはその土地というか

磁場みたいなものをときどきですが感じることもあるので

そのような 直感めいたものを大切にしています。


この日は「北口本宮富士浅間神社」という

昨年「富士山世界文化遺産構成資産」に指定された神社にお詣りしましたが

清清しさは他に類を見ないしとっても好きな神社なのですが


その右に追いやられた感のある「諏訪神社」や

さらにその諏訪神社の元宮だと伝えられる

ヤマトタケルが祀られているといわれる

「大塚丘」が、めちゃくちゃ落ち着くのです。


いつかChiaさんとも話していて

「ヤマトタケル!」「大塚丘!!!」

気になるよね~と言っていたので

少し歩きますが、やはり今日は「大塚丘」もお詣りしましょうという流れになりました。


ところが

歩き始めて

もちろん雪がまだ解けておらず、つるんつるんの道でしたので

Chiaさんのお子さんのMクンがぐずり始めました。

小さいお子さんにこの道は申し訳なかったなあ、と思い

「いいよ、わたし一人で行ってくるよ!」と

お二人を残して

さっさとお詣りをすませようと歩き始めました。

あと二つの神社に今日は行くことになっているのです。


歩き始めて、またしても不思議な感覚、というか

言葉、というか・・・


「わたし、富士にいて、何ぼのものなんだ。」

つまり、富士にいるから価値がある、、みたいなことを急に思いました。

わたしが歩いているのは

まさに「吉田口登山道」

そのまま行けば富士山の山頂につながる道だったのでした。


「ここにいることがわたしの価値なんだ」


手早くいえばそういうことなんですが

富士山周辺のガイドなどしているので

そんなことは当たり前のことなんですが

少し違う、もっと大きな意味で、腑に落ちた瞬間だったのです。


わたしはドキドキしながら

特別な場所にたどり着きました。


そこは「大塚丘」

北口本宮富士浅間神社の以前はそこには諏訪神社が祀られており

それだけでも不思議なのに

その前は諏訪神社もここに祀られていたという、不思議な盛り土としか思えない

つまり人工っぽい丘。


ヤマトタケルが祀られているという看板がありますが

わたしには

もっともっと

古い古い起源を持つように感じられてならない。


今日もわたしが来るのを待っていた、と思うのは

いつもの幻想なのだろうか?


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もう
鳥居も祠も
形あるものはどうでもよいものに感じた。


でも木は違う。


この三本のご神木は生きており
以前は四本。
御柱のようにこの丘を守っていたはずだ。


トップにたって
ただただエネルギーを感じてみました。


やっぱりステキなエナジー。
根源のミナモトから溢れるような・・・


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この右側のヒノキのなんてステキなこと!




「わかった!」


降りていったら
ChiaさんとMクンが待っていてくれた。


「ひとりで行く意味があったのかもしれませんね。」


なるほど。


ありがとう!




その後もこの日は
まったく無駄がないのです。


全てのことがすでに仕組まれているがごとく


少しも無駄がない・・・・


すごいなあ。

「お狐さんを怖がるMクン」 わたしを呼んだもの その四

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初午というのが二月の初めての午の日というのは

旧暦に照らし合わせ節分後の初めての午の日ということで

それは何となく理解できたのですが


お稲荷さんといえば

お狐さん。


それと午?馬?とどのような関係が???


ずっと疑問だったことが氷解しました。


稲荷山という山に伏見稲荷のご祭神

「宇迦之御霊神」が降り立ったのが

初午の日だったのですね。


http://ameblo.jp/mizunotunagari3776/entry-11769767741.html



ここ富士山にも似たような由来があり

辛申(かのとさる)の日に富士山が突如出現したといわれていて

だから富士山のご眷属は猿なんですね。


お稲荷さんが少ない富士山北麓

それは溶岩だらけの土地では田圃や畑が出来なかったため

穀物神であるお稲荷さんは重要ではなかった。

山仕事をしたり、お蚕さんを飼ったりするこの地方では

そちらの神さまが重要だったのですね。


それでも

浅間さま(富士山のコノハナサクヤ姫を祀る)には

「稲荷社」がありました。


せっかくの初午の日

午年の初午

これは縁起がいいわいな・・・


単純な理由で、ここまでChiaさんを誘ってきてしまったのですが

まだ二歳にならないMクンの怖がること・・・


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どうやら
このオキツネさんの目線が怖いらしいのです。


ここでこれ以上行きたくないというMクン。
わたしだけお詣りすることにしました。

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思えばわたしは方々の神社にあるお稲荷さんを
ほとんどスルーしてしまいます。


三峰さんなどあれば
「わあ、お犬さま!」
といって必ず手を合わせるのに
オオカミもキツネも
同じ犬科なのに何故なんでしょう?
そうしたら

なんとChiaさんも同じだというのです。


ふたりとも
なんどもここに来ているのに
この稲荷社にはお詣りしたことがなかったのです。
不思議ですね。






でも、イヌ科のキツネ属キツネの名誉(?)のために
お稲荷さんがなんで「お狐さん」といわれているのかを
わたしの知っている範囲でお伝えしておきますね。


もともとはお稲荷さんは「稲を背負う(荷なう)宇迦之御霊」
という穀物の神さま。


穀物の蔵などにやってくるネズミが大の天敵で
正倉院時代の蔵には「ネズミ返し」というものが柱についている。
しかしネズミも頭のいい生き物なので、どんなことをしても蔵に侵入してくる。


それで、ネズミの天敵である、蛇や狐は、正義の味方だったのです。


蛇の神さまのことを「宇賀神」と表現することがあるけれど
これは「宇迦之御霊」が変異したものだと考えられます。
そして「おきつねさま」は狛犬よろしく
「稲」を守る眷族になったとさ。


これはかなり具体的に、狐という哺乳類は穀物蔵を守ってくれまして
昔は校倉作りなどの高床式の柱のそばに
狐の好きな油揚げを置いておく。
それを嗅ぎ付けた狐が定期的にそこを巡回し
マーキングする。
その柱をネズミは怖れて近づかなくなる。
一方人は定期的に狐にご褒美の油揚げを置いておく。


こういった具合です。


それで
油揚げに酢飯を詰めたものを
「お稲荷さん」と呼ぶようになったのです。


その後お稲荷さんは交通の神さまやら
庶民の信仰をあつめて商売繁盛の神さまと変化をしていきました。

わたしたちが稲荷社にあまり近づきたくなかったのは
オキツネさんがいやなのではなく
現世利益を求める人の想念がうようよしているからかもしれません。



この初午の日
わたしは稲荷社に
「いやさか、ますます本来のお働きが出来ますよう」
と祈りました。



さて
無事に稲荷社にお詣りしたあと


chiaさんは
わたしを「松尾神社」というところに行きましょう、と誘います。
それは「富士吉田駅(現在は富士山駅と改名しましたが)」の
すぐ北側にあるというのです。


それは彼女の旧姓と関係が深いところでした。


「夢を見たんです。」


「実家の近くの浅間神社(吉田の小明見)が夢にでてきて
まったく知らない男の人が
「松尾神社、松尾神社、松尾神社」って
三回言うんです。
それで気になって調べてみたら・・・」

なんとそこは旧姓の
「ハダ氏」の産土だったというのです。


ちょっとまって!
「松尾神社?聞いたことがあるなあ。」
わたしは首を傾げました。


「なんだか、九州だかどっか?
ううん。違うなあ
京都かしら?」


「京都ならあるかもしれない!
何しろ「秦氏」と関係があるみたいだから!」
と、dhiaさん。


その直感はどんずばり!


「松尾大社」なるものが
京都にあったのです。


それが何故
富士吉田に?


やっぱり徐福伝説?
明見地区や山中湖に多い「ハダ姓」は
自らが秦の始皇帝の末裔だという伝説を持っています。



そこの地域の大切にされている「秦氏」を祀る神社???




またしてもジモティでないとまったく知られていない場所に
連れて行ってくださるといいます。


それも
またまたきっかけが
「夢」!


いったいそこは
どんなところなのでしょう?

「鶴と亀の謎」 わたし(たち)を呼んだもの その五

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ほんとうにいつも走っていた富士急行と平行する

富士吉田の駅(現在は富士山駅)のほんの北側に

その神社はありました。


松尾神社。


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地元の方でなければまったく知る由もない・・・


そこは古いケヤキの大木や樅のご神木からすると

由緒と歴史のある神社なのでしょう。



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松尾神社で調べたら

それは日本全国に散らばって存在していますが

松尾大社という京都にあるものが

その起こりのようでした。


秦忌寸都理(はたのいみきとり)という実在の人物が

松尾山の神 「大山咋神」を祀るとあります。

そこの山頂近くに磐座とされる巨石があるといいます。



当社の背後の松尾山 (223m)に古社地があり、山頂に近い大杉谷に磐座 とされる巨石がある。5世紀ごろ、渡来人の秦氏 が山城国一帯に居住し、松尾山の神(大山咋神)を氏神 とした。大山咋神については、『古事記 』に「亦の名は山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し、亦葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神ぞ」と記されており、古事記が編纂されたころには有力な神とされていたことがわかる。

大宝 元年(701年 )、勅命により秦忌寸都理(はたのいみきとり)が現在地に社殿を造営し、山頂附近の磐座から神霊を移し、娘を斎女として奉仕させた。以降、明治初期に神職の世襲が禁止されるまで、秦氏が当社の神職 を務めた。

また秦一族は酒造技術に優れ(同社御由緒)、狂言「福の神」によると、松尾神は「神々の酒奉行である」とされて酒造関係者の信仰を集める。同社の神事には「福の神」が奉納される。

平安 遷都により、皇城鎮護の神として崇敬されるようになり、「賀茂 の厳神、松尾の猛神」と並び称された。『延喜式神名帳 』では「山城国
葛野郡 松尾神社二座」として名神大社 に列する。また、二十二社 上七社の一社ともなった。

近代社格制度 のもと、明治 4年(1871年 )に松尾神社として官幣大社に列格し、戦後は別表神社 となった。昭和 25年(1950年 )に松尾大社に改称。



入ってすぐの右手にある手水舎で

chiaさんが


「ほら、ここは亀さんなんです。

普通は龍さんなのにね。

珍しいでしょう?」と指をさした手水舎の亀さん。


残念ながら画像を撮らなかったのですが

京都の「松尾大社」を調べていたときの手水舎の亀さんの画像をお借りしました。



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そこはお酒の神さまらしく

そういえば「亀の井」という有名なお酒がありますね。


亀で思い出したのが

同じくおめでたい「鶴」


私たちの住んでいる富士山北麓は

「南都留郡」というのですが

都留市の「つる」は、徐福伝説に基づくもの

とする伝説が残っています。


徐福が死んだあとに鶴になって飛んで行ったので

鶴の名転じて「都留」になったというわけです。

また、徐福のお墓だという伝説の「鶴塚」というのが山中湖にあり

湖畔にその名のお土産物やさんがあります。


秦の始皇帝の命により蓬莱山に不老不死の薬を探しに来たとされる「徐福」が

養蚕や機織などの技術を大陸から日本に伝えたという伝説が

日本のあちこちに残っていますが

ここ富士山麓にも「徐福伝説」は根強いのです。


富士吉田や山中湖に多くいる「ハダ姓」も

秦氏の末裔とされているし

そのひとりが

「chiaさん」その人だというわけです。


それにしても

「松尾神社」

「松尾神社」

「松尾神社」

三回耳元でささやいた彼女の夢に出てきた知らない男の人って

いったいどなただったのでしょうね。


さあ

ここも謎を残したまま

今日最後の訪問地に急ぎましょう。


これまた

chiaさんがごくごく最近夢に出てきた場所。


「大きな石に「豊玉姫」って書いてあるのを夢で見たんです。」


もちろん現実にはそんなものはありません。


その夢をたよりに

わたしたちは動く。


動かされていきます。

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「富士と江戸をつなぐ」 わたし(たち)を呼んだもの 最終回

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「最近また不思議な夢を見るようになって

夢って忘れちゃうから

書いておくようにしてるんですが・・・」


車を最後の目的地に走らせながら

chiaさんはそういうのです。


「同じ!おんなじ!!!」

そう叫びながら彼女とわたしの違いに

気がついた。


わたしは枕元にノートとペンを置いておこうと思い立っただけで

まだ実行していなにのに

彼女はすでに実行していることでした。


「坂を上っていくと・・・

やっぱりここだ。

夢はここですね。」


2月8日に大雪でめちゃくちゃ雪の壁があちこちにできている

富士吉田の市内を

ひとりごとをいうようにして

彼女は目的地にたどりついたようです。


「新倉浅間神社」


ここの敷地内に「塩釜神社」があり

それだけでも何故?(それは宮城県に由来する

海に関係のある神社)なんだけど

chiaさんの夢にはそこの脇に

豊玉姫と書いてある石があったというのですね。


ま、夢ですからね。


でも

以前偶然にここの塩釜神社を発見してしまったときには

塩釜神社の塩爺じゃなくて

だれだっけ?

「塩土老翁神」(しおつちのおじのかみ)は

海幸・山幸のお話しにでてくる

山幸彦(のちの豊玉姫の伴侶)に何かを教えた神様ではなかったかしら?


そんな裏覚えの話しをすると

chiaさんは大きい目をさらに見開いて

「じゃあ、やっぱり意味があるのですね。

ふたりで今日ここにくることは」

と、言います。


あまたある浅間神社のなかで

今日、この二つをまわるのは何か意味でもあるのでしょうか?


現在、chiaさんは西湖から引っ越して新倉に住んでいます。

つまり、ここが「たまたま」

産土神社になったわけです。

土地の神さまってとっても大切なようです。


{027A08B2-7B8F-4A84-A9B6-2A9559CAD407:01}

雪に埋もれた
「新倉富士浅間神社」
ここの特筆すべきことは
ここではまったく見えないのですが
「鬼瓦」ですね。
赤鬼さんが睨みを利かせています。


そうして
この日は雪に阻まれていけなかったのですが
この本殿の左後ろには
「荒浜神社」
わたしはここは「アラハバキ神」(縄文の神)と睨んでいますが
「機神社(はた神社)」という看板がありました。
またもや「ハタ」です。


そして
この配置はまったくもって不思議なのですが


浅間神社より富士山の眺望のよいところに
突然この「塩釜神社」なるものが忽然と存在するのです。


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「ああ
やっぱりここです、ここです。
ここに「豊玉姫」って書いた石があったんです。」


もちろん、そんなものはどこにもありません。


でも
次の瞬間、その夢の意味、

何故わたしをここに今日つれて来る必要があったのか

その意味が
ふたり、同時にわかりました。


(これは偶然でしょうか。
2012年12月12日にわたしはここから不思議な雲を撮っています)
http://ameblo.jp/mizunotunagari3776/entry-11425849489.html

{A538DABD-37AC-461B-B843-3BB3324D5944:01}

「すごい!」
「すごい!!」


「すごいしか言葉が出ないですね!」


ふたりして
口をぽかんと明けて
富士山に見入ってしまいました。


「ここにあの湖があったんですね。」


「そう!
御舟湖」


宮下文書などの富士王朝の伝説では
この眼下には湖が広がっていたとされます。




こうして
ふたりでなんだか時空を越えて
1万五千年前にあったとされる
「御舟湖」を眺めているのです。


富士山のお膝元、甲斐国 富士吉田の明見で生まれたchiaさんと
武蔵国 豊多摩郡 内藤新宿 淀橋で生まれたわたしがです。




「あのチビ龍ちゃんも可愛いですよね。」


やはりわたしと同じように見えていたのですね。


ここから見ると
わたしが「青龍の印」とかってに名付けた逆S字形のチビ龍が
真正面に見えています。


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「やっぱり江戸ですね。」


うんうんそうですね。


江戸に行くには
この富士のエネルギーが必要だったとわたしも思いました。
このハンパないここからの富士の・・・



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待ち合わせ場所のJマートにもどり
chiaさんとはお別れです。

ほんとうにありがとうございました。
chiaさん
そしてそのうしろにいらっしゃるかた。


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この日の夕暮れも
素晴らしかった。


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いつもと同じように
一日が終わりましたが


特別な一日となりました。


これでわたしの
初午、
2月11日のお話は終わります。


ところで


江戸はいつ行くの?




今でしょ!(笑)

江戸へ

今回の異常な大雪に関して

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誰に言わせても

今回の豪雪は

異常だといいます。


http://www.sannichi.co.jp/local/news/2014/02/16/2.html


今日になって報道で気がついた

友人や遠くにすむ仲間から

たくさんの励ましのメールとかを頂いたのだけど


わたし自身は

この土地に住んで12年しかたっていないので

どれほどの異常事態なのかわからなかったところもあります。


もともと

豪雪地帯ではない

山梨県には

それほどの除雪車などの完備がされていなかったのです。


そこへ持ってきて

143cm(山中湖や本栖湖はもっと多い)の積雪は

完全に交通機関が麻痺するのはあたりまえ。


そして住宅は80センチの積雪の対応しかしていないため

今後家屋の崩壊などの災害がどんどん増えてくると思われます。


陸の孤島となっているのは富士五湖地方だけではなく

山梨県全体がそうだということです。


そして

報道によれば

この大雪は現在東北地方を襲っており

福島から宮城にかけて

同じような交通麻痺を起こしているようです。


「現在幹線道路を中心に除雪作業を行なっております。

その他の道路に関しては住民のかたの協力を御願いします」


自分の家の前の道路は自分で掻けってことなのね・・・


「現在放置された車両により、除雪作業が難航しております。

持ち主の方はいまいちど、車の確認を御願いいたします。」


「切断された電線には近づかないように御願いします。

車での外出はできるだけ控えてください。」


朝から町の有線放送では

同じ事を繰り返し繰り返し

アナウンスをしています。


バスも電車も止まっている。

徒歩圏内の二件のコンビニはすでに商品はガラガラ・・・

命綱の灯油もそろそろ底を付きそうです。


交通網の復帰する見通しは

いまだ立っていないそうです。


・・・・・・・・・・

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西湖が雪崩で孤立

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昨日おつたえした

西湖畔の雪崩は
伝えられていた南岸の数カ所だけではなく
北岸でも起きているようです。

西湖西46世帯
西湖南82世帯がいまだ孤立状態。
特に南岸の雪崩は河原まで達して
完全に道路を塞いでいるとか。
すでに食糧も灯油もなくなりつつあるとか。

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chiaさんの知り合いの方が山中湖で撮った
すごい一枚!
鹿は深い雪が苦手なので
人の作った道を利用するみたい。
山中湖はお金持ちの村で
自衛隊と恩賜林があるからなのですが
除雪機を持っているお家も多く
今日中に湖畔一周通行可能になるということ。

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さて
河口湖です。

私の家の前はこのように
人が一人通れるだけ
住人たちで手でかいたけど
湖畔通りはどうなっているのでしょうか?

2月12日以来六日ぶりに湖畔に行って見ます。13日は東京に行っていたからです。

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うわ!
ガレージの屋根が雪の重みで潰れています!

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オルゴールの森美術館の駐車場

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バス停前が雪の山


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Xmas雑貨屋さん
雪が似合います。

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湖畔までたどり着きました。

この通りは
元、町長通りと呼ばれていて
いつも真っ先に雪かきをします。
道路が見えているのに驚きました。
一方、国道である浅間さまのある通りは

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ふう~。
当分は
車出せないなあ。

セブンイレブンがヘリコプターでパンの補充を始めるそう。

じっと待つしかありません。

安部ちゃんは何をしているんだろう。

2月11日の白龍

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さまざまなことが符合してくると

すべては予め仕組まれていたのでは?

そんな気になってきます。

まさに「いま、ここ」

何故いま、ここにいて

誰と何をしているのか

などなど・・・


今回はお詫びをしなくてはなりません。

「2月11日は初午」との記事を書いたのですが

ある方から「初午は2月4日ですよ」とのコメントをいただいて

あれ?と思い、調べてみたら

2014年の初午は「2月4日」

この方の言うとおりでした。

ほんとうにありがとうございました。

そして勘違いをしたことを深くお詫び申し上げます。

しかし

朝K子さんからメッセージをいただき

「今日は初午、近所の神社で餅つきをやります」

との短いコメントで

「ヤッホー!初午!

どこかにお詣りに行こう!」とお調子こいちゃったわたしは

まずchiaさんを誘い、浅間神社にお詣りに行くことに決めました。

では何故、初午(二月の立春過ぎてからの初めての午の日)

を2月11日に行なう神社があったかというと

伏見稲荷の祭神「宇迦之御霊」が伊奈利山に降りたのが

和銅4年(711年)の2月11日.初午の日であったことから

実際は初午の日は毎年変わるのですが

神社によっては「2月11日」に固定するところがあったのだと思います。

それをわたしは

「うわ!初午だ~!」と思い込んでしまったのです。

結果的に

この日は東京に行く二日前だったので

ここで富士の気みたいなものを江戸に持っていく必要があった。

それで「初午!」と勘違いする必要があったみたいなのですね。

その後は chiaさんとMクンと一緒に

北口本宮富士浅間神社

大塚丘

松尾神社

新倉浅間神社と塩釜神社

と巡ったのも

全て全て必然のようでした。

大塚丘でMクンがぐずって

わたし一人でお詣りしたのですが

その待っているときに

後ろで雪が落ちて

そのときの写真をchiaさんが送ってくださった。

「まるで龍さんみたいです」

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きゃあ!

この写真
ほんとうにすごいです!

改めて
全てに無駄はないなあ、と
思い知らされた出来事でした。

大雪に、災害救助法適応

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2月14日に

関東甲信越を襲った豪雪に
災害救助法の適応が決まり
まだ取り残されている集落の
救助に国もようやっと動き出しました。

ほんとうにようやっとです。

未だに合わせて五千世帯が取り残されています。

中央道は昨日の夜11時に開通。
そして本日午前11時には甲府と河口湖を結ぶ御坂道が開通。

しかし高速バスと富士急行の運行再開は
まだめどがたっていません。

昨日はこうだった我が家の前の道も
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今日重機がやっと来ました!
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これですぐに出られるかというと
まだまだ。
家からの出口の確保に
明日一日かかりそう。

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湖畔にいってみました。
ここから右手にはいつも渡る橋があるのですが

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これが橋です!
雪で一杯!

家の前に車が付けられるようになったので
この地区に一軒しかない灯油を扱っているガソリン屋さんに配達の電話をしました。

そうしたら
言いにくそうに、
知っている人にしか売っていないんです。
といいます。
8年も住んでいて、ガソリンも灯油も
良く利用する私たちは
知らない人なのでしょうか?
結局、18㍑だけ売って頂けることになりました。

この町を象徴するような一コマでした。

明日も雪かき
頑張る!

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江戸の秘密 ②渋谷川を遡って行くと

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2月13日に東京に行った話しを早く終わらせたいのですが

その次に降ったとんでもない大雪に阻まれて(?)

頭が止まってしまっています。




ちょっと頑張って

書いていこうと思います。




日本橋

皇居(江戸城)という想像もしなかった大江戸探訪となり

最後は、というか

当初の目的だった「新宿御苑」さえも

大江戸探訪の締めくくりに相応しい幕引きとなったのです。




わたしがブログ記事で、何故か東京に呼ばれている話しを書いたら

それを見てくださったお二人のかたが(おひとりづつ別々の方)



わたしが東京に来るのなら、お時間があったらお会いしたいとおっしゃってくださって

そのメールをいただいてから

このお二人に同時にお会いするのは「新宿御苑だな」と直感で思ったのです。




すでに16日にはミミたちと代官山

そして22日にはK子さんたちと渋谷川かどこか???と予定を決めていました。

(これは16日は大雪、22日はK子さんの都合でともに中止になりましたが)


それでもわたしはそのお二人の申し出に

「行きます行きます。お会いしましょう。

わたしは新宿御苑に行きたいと思います。」 とお返事をしました。




なんとその時点で、二月に三回も東京に行く予定を作ってしまったのですが

それは呼ばれてしまった(この言葉はあんまり好きではないのですが、

この場合、その表現しか当てはまらないような気がするのです)

それで、急遽、2月13日に東京へ行ったというわけです。




では何故、

わたしが新宿御苑に行きたいと思ったかというと

わたしの子供のころの記憶

それと青春の二つの記憶への郷愁によるものです。



もの心ついたときには

「お花見は新宿御苑」とうのが、我が家の習慣になっていました。

お花見の

写真はいつも、母と姉とわたしの三人で

考えてみたら、常に父がカメラマンだったのでしょう。



母はつねに大きな丸い「おにぎり」を作ってくれました。

これはお花見であれ、運動会であれ、定番のモバイルフードでした。

姉がシャケ、わたしがたらこがお気に入りでした。

その後に三角形の「おむすび」を見たとき

ほんとうに驚いたのを覚えています。



(話は少し脱線しますが、おにぎり文化圏は東

おむすび文化圏は西という大雑把なわけ方もあるようです。

「おむすび」は宮中の女房が「おにぎり」を丁寧に呼んだという由来もあるらしい。

うちの母は仙台の出身なので、丸いおにぎりを作ったのでしょう。

江戸っ子の父もそれで満足していたのでしょうか。)



子供のころのお花見の写真に

新宿御苑の木に登って撮った写真がありました。

どうということはない写真だったのですが

生まれて初めて木登りをしたこの木のことを

かすかな記憶の片隅に覚えていたらしく

二十歳過ぎてからBFとやはりお花見で行った新宿御苑でその木を見つけ

あまりにも嬉しくて、抱きついたのを覚えています。

できれば、その木にもう一度会いたい。

果たしてその木はいまでも存在しているのでしょうか?

それからさらに20年以上経っています。



記憶の中では新宿御苑のほぼ中央に

「ユリノキ」という巨木があり

そこから程近いところにわたしが木登りした木があったのです。

変わった樹形でしたので、今でもあればすぐにわかると思います。


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(果たしてその木はすぐに見つかりました。

やはり大きなユリノキの巨木が目印になったのです。

子供の頃はもちろん木の名前は知りません。

ずっと、あの木は何の木だったのだろうと思っていましたが

驚いたことに

わたしの大好きな「ハルニレ」だったのです。

アイヌ民族の神話では、祖先はこの木から生まれたとされています。

まったく出来すぎています!)



それともう一つ。



姉の代官山のトンネルの話しから

2月4日の春節の日に、実際にそちらにたどり着いたK子さんが

さらに次の日もそのトンネルに行くことになり

そのときに「どうも気になる」と言って

そのそばを流れている「渋谷川」の画像を送ってくださいました。



「どうも気になる」はわたしに伝染してしまい

次の日の5日の日に「渋谷川」の源流を調べ始めたわたしは

新宿御苑の「玉藻池」がその源泉であることにたどり着き

どうしてもそこに行ってみたくなりました。


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(友人が調べてくれた「玉藻池」はこれまた驚くことに

内藤家の一番古く由緒ある庭園で

その名も「玉川庭園」と云われていました。

そして渋谷川の源泉であるだけでなく

名のとおり、江戸の最も古い玉川上水が四谷の大木戸まで通っていく

その道筋に新宿御苑は位置していたのです。)



そして

もうひとつ

わたしにはここにどうしても来たかった理由がありました。


それが江戸の秘密につながっていくのでしょうか。


幾重にも張り巡らされた

不思議な縁・・・


















































































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やっと車が出せるようになり

五日ぶりに町に買い物へ


灯油が~!

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無い!


食品棚に商品が~

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無い!


スーパーに行ったら
精肉が~

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無い!


町はまだまだ雪が山のように壁を作り
あちこちで動け無くなった車で
渋滞が出来ていた。


東北の友、kanちゃんが
心配して電話をくれた。
今から灯油を持って行くよって!


大丈夫だよ~
その大きな気持ちが嬉しかった!


当たり前にある日常が
なんだって幸せなんだろうって
気がつくってすごい。


大雪はたくさんのことを教えてくれた。


家にたどり着いて
家の前から夕陽を眺めた。

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こうして毎日
美しい夕暮れを眺めることができる事。


五体満足で
温かい言葉をかけてくれる友がいて
こうして今日も美しい風景を
みなさまと共有できること。



ありがとうございます。



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江戸の秘密 ③ 内藤新宿と 馬

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新宿御苑にこの日行きたかった理由は

もうひとつだけありました。


新宿御苑の起こりは

高遠藩内藤家の下屋敷跡の玉川庭園。

そのお話は前回書きました。


新宿駅東口から新宿三丁目のあたり一帯を

かつては内藤新宿と呼んでいたようですが

ここにも

父がひょっこりと顔を出すのです。


父が亡くなって、母が過去の戸籍の記憶を二つの区役所を巡って集めたとき

誰も知らない事実が発覚したのです。


浅草と向島と深川

それが父が物心ついてから終戦の年まで住んでいた

わたしたちが幾度も何度も繰り返し聞いていた話しでした。



ところが

戸籍上の出生地はなんと「内藤新宿」

東京府 豊多摩郡 内藤新宿!


これは、わたしたち家族も

誰も知らない事実だったのです、

というよりも、父自身も知らなかったと思われます。

自分では浅草か向島か深川のどれかだったか忘れてしまいましたが

そこで生まれたと話していたからです。


地図でみればどちらも隣町と言った感じで

東京の下町のエリアにすっぽり入ります。

そして父は死ぬまで、浅草が日本の中心だと信じて疑わず

「新宿や渋谷はキツネやタヌキの住処だったんだ。」と

繰り返し、わたしたちに話していたのです。

そんな新宿で生まれたとは本当に知らなかったと思われます。


そして

何故「内藤新宿」で生まれたのか

そこに何があったのか

当時を知る人々が全て他界してしまった今となっては

もう調べようも無いのです。


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広重の
 第八十六景
四ッ谷内藤新宿

ここはほんとうに
馬と深い関係があるようです。

御苑を散策している時
Sさんが興味深い話をして下さいました。

あの玉藻池の後ろ側に
多武峯内藤神社という藤原鎌足を祀った神社があり
残念ながら今回は時間が無くよれませんでしたが、
そこに駿馬塚というのがあり
それに纏わる話です。

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入り口は父の話ですが

この出口はどこにあるのでしょう?


ちょっと待ってくださいね。



それがどんどん芋づる式に

すごいものとつながって来てしまうのです。



それはいったい・・・・???










ご心配おかけしました!

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今日、灯油が入荷して

買うことができました!

昨日から
徐々に道路も通行止めが解除され
少しづつ
普段の生活が戻りつつあります。

励ましのコメントや
メッセージやメールをみなさまから頂きまして

改めて
ほんとうにありがとうございます。



今だから明かしますが
2月14日の朝
うちの彼は
ドアを開けた瞬間に
目の前の雪の壁に
心臓が止まりそうだった!
とのことです。

彼は北海道生まれ。
それでも一晩で143センチは
経験したことがないと。

それでも
さすがに雪かきが
上手!
物凄い早さで掻いてくれました。

有り難みをひしひしと感じました。

何でもない日常の中に
感謝の種が散りばめられていたのですね。

たくさんの人、生き物たち
水や風や大地に
今日も生かされています。



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今日の河口湖

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富士山は雲に隠れていましたが


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雪に覆われた鵜の島

手が届きそう。

湖は凍っていました。

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江戸の秘密 ④将軍の闇ルート

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2月13日の江戸探訪の

これが最後の記事になります。

日本橋から皇居

そして新宿御苑までご案内してくださった

Sさんたちのお陰で

今までまったく知らなかった故郷東京の

いいえ、江戸のさまさまな渦巻く歴史を

垣間見ることが出来たような気がします。



中でもこの新宿御苑が、内藤家の屋敷跡ということは知っていても

何故ここに何故内藤家が領地を与えられたのか、Sさんが興味深い話をして下るまでまったく知らなかったのです。



 「内藤新宿」の「内藤」は、信州高遠藩の内藤家の中屋敷があったことによる。
 初代清成は徳川家康から、「馬で一息に回れる土地を与える」といわれ、清成の乗った駿馬は南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷を走り、広大な拝領地を得たという。


この馬が力尽きて死んでしまったので、

玉藻池の後ろの多武峯内藤神社の近くに

駿馬塚を作り功績を称えたといいます。



そして

全ての道は日本橋から発しているのに

甲州街道だけは、半蔵門から直接江戸城に直結している。

甲州街道は軍事用の特別な道なので、信頼できる家臣に広大な土地を与えた。


しかもSさんによれば

江戸城から地下壕を通って内藤家の屋敷に出て、そのまま甲州街道を通って安全な場所まで将軍が逃げるルートの計画があったというのです。


大手門はまさに大手。

日本橋と大手門が押さえられた有事の想定です。


不思議な気持ちになりました。


だって

日本橋から江戸城の天守閣跡に登り

内藤家屋敷跡から甲州街道を通って富士に帰る。


私が帰る、その道!

これってまったくの

将軍の闇ルートじゃないですか!



こんな記事を見つけました。




 新宿御苑の敷地は、天正18年(1590)に豊臣秀吉から関八州を与えられた徳川家康が江戸城に入城した際、譜代の家臣であった内藤清成に授けた江戸屋敷の一部です。


 東は四谷、西は代々木、南は千駄ヶ谷、北は大久保に及ぶ広大な土地で、のちの甲州街道や青梅街道になる江戸から西にのびる街道と、鎌倉街道が交差する要所であったことから、この一帯の警護など軍事的な目的で家康が信頼できる家臣に与えたとされています。


 内藤氏7代清枚は元禄4年(1691)に三万三千石の信州高遠城主となりました。内藤家の屋敷地はその石高に比べてあまりにも過分であったため、その後かなりの部分を幕府に返上しましたが、明治5年にはまだ十万坪以上が残されていました。  新宿御苑は、この内藤家の九万五千坪余と、当時すでに私有地化していたものの、もとは内藤家の屋敷地であった隣接地を合わせた十七万八千坪(58.3ha)の土地に誕生することとなりました。




 (昭和9年当時の玉藻池)

 また、現在大木戸門を入った突き当たりにある玉藻池を中心とする日本庭園は、安永元年(1772)に玉川上水の余水を利用して完成した内藤家の庭園『玉川園』の一部です。


 このようなことから、新宿御苑のルーツは内藤家の江戸屋敷と言えます。



https://www.env.go.jp/garden/shinjukugyoen/1_intro/history.html




この日
100年ぶりと云われる豪雪が
関東甲信を襲う前日
江戸は春のような日差しでありました。

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新宿御苑の紅梅



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東御苑の島マンサク


森元首相の [言っていいことと悪いこと]

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いやあ

驚きました。
日の本の国は
言霊の幸わふ国ではなかったでしょうか?


この人が
オリンピック
組織委員会会長さん?


オリンピックにかんして
私も昨日の真央ちゃんを見た時
あなたは世界一だよ!っていってあげたかった。
メダルの色や数字で競うのって
どうだろう?って
大切なことに私も気がつき始めたから。


でも
このタイミングで
この発言!

[ 東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の森喜朗元首相は20日、福岡市での講演で、ソチ五輪・フィギュアスケート団体について「負けると分かっていた。浅田真央選手を出して恥をかかせることはなかった」と述べた。



 さらに女子ショートプログラム(SP)で16位だった浅田真央を「見事にひっくり返った。あの子、大事なときには必ず転ぶ」と指摘した。]


[大事なときに必ず転ぶのはあなたです。]

http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/02/20/kiji/K20140220007629140.html
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