2014年1月12日
合計すると「11」となる、水にご縁の日に行なった
富士山の水巡りは
富士宮市という
富士山からみて西南に位置しています。
俗に言う「裏鬼門」
富士山という火山の火口に対して
おそらくは平安の火山噴火が盛んだった時代には
裏鬼門には延喜式の富士郡三社がすでに存在した。
立宿の福知神社〔オオヤマツミ〕
富士宮浅間(コノハナサクヤヒメ)
明星山倭文神社(タケハヅチ)
ここに書いてある「北山用水」というのは
2014年1月12日
合計すると「11」となる、水にご縁の日に行なった
富士山の水巡りは
富士宮市という
富士山からみて西南に位置しています。
俗に言う「裏鬼門」
富士山という火山の火口に対して
おそらくは平安の火山噴火が盛んだった時代には
裏鬼門には延喜式の富士郡三社がすでに存在した。
立宿の福知神社〔オオヤマツミ〕
富士宮浅間(コノハナサクヤヒメ)
明星山倭文神社(タケハヅチ)
富士の水はその山体に染み込み
何十年かをその下で過ごし
やがて麓から染み出して
流れをつくり
海へと注ぐ。
閏井川沿いに南下して
最後のとてつもない水量を誇る湧水は
富士宮浅間大社の敷地の中の
「湧玉池」です。
今日の水の旅は
芝川上流の「白糸ノ瀧」にはじまり
この神田川の流れをつくり、閏井川と合流してやがて駿河湾に注ぐ
「湧玉池」で終わります。
「浅間大社の大鳥居」
そうか!
世界遺産のでかでかとした文字!
昨年6月に世界文化遺産登録がなされたあと
初めてわたしは訪れたのでした。
湧玉池から流れる
轟々たる流れを渡り
「君が代は
千代に八千代にさざれ石の
巌となりて
苔のむすまで」
「イワナガヒメはね、苔虫っていう別名があるのよ。
君が代はイワナガヒメの歌だという説があるみたい。」
こっそりとわたしはA川さんにささやいた。
11の日の富士宮の水巡り
最後のお話になります。
浅間大社の湧玉池が
この日の最後の湧水巡りの地だったはずなのですが
担当の案内人、○澤さんが
イワナガヒメが祀られている「福石神社」によりましょう、とのことで
わいわい、ドキドキしながらそちらに寄り道をした。
そうしたら
富士山からいつのころに流れ下ったのかもしれぬ
大きな溶岩が、くだんの福石としてご神体となっている。
そして、真新しい「君が代」の碑!
その後さくら公園で解散のはずだったのですが
A津さんがとつぜん言い出した。
「かんのさんもイワナガヒメだったよなあ」
かんのさんって?
「金之宮神社」というそうで
先ほどいった淀師湧水のすぐそばだったそうです。
わたしは行きたいなあ、でも行けるかしら?
もう時間もないし、土地勘がないので、戻る形になってしまうのかしら???
そうしたら
さくら公園に戻る途中にあるよ、とのことで
11名の中で、特に急いでいる人がいないということで
急遽、よって頂けることになりました。
「かんのさん」のすぐそばにA津さんのお母さんの実家があって
子供の頃、よく境内で遊んだそうなのです。
スダジイの巨木!
あまりの大きさに
皆があっけに取られています。
北麓ならさしずめヒノキかスギなのですが
さすが南麓。
照葉樹林帯ですよ!
スダジイがご神木です。
そして一回りして
驚きました。
なんとそれは本殿をぐるりと囲んでおり・・・
一の柱
昨年からずっと構想していたのですが
2014年1月16日13時52分は、蟹座に位置する満月です。
蟹座は星座の四つのエレメントの中では
水に属します。
(あら?また水ですね)
そして蟹座の守護星は月なので
「月」と「月」がダブルでその性質を強めるそうです。
今宵は満月とあって
しかし満月の時間は日本時間で13:52
大体が満月って
太陽と月の間に地球が入るわけなので
真夜中の満月って有り得ないのかな?
大概
「今日は満月です」という日って
月が昇るとすでに少しひしゃげた月となっていて
昨日のほうが満月っぽかったってありませんか?
長々とごめんなさい。
なんでこんな話しをするかっていうと
13:52に、わたしはこの地球の日本の富士山の北麓で
お山を眺めていたのだけど
あれ?
地球の裏側って
ブラジルではなかったっけ???
そう思い出したのだ。
(正確には日本の裏側は太平洋か大西洋の海にあたるのだと思う。
忘れてしまってごめんなさい。でも
裏側はブラジルというのは、けっこうよく言われる話である)
で
わたしはまたしても
24年前の話しが中途半端に終わっていることを思い出した。
1990年の明けた元旦
リオデジャネイロ
コパカパーナの北の浜で
今思えば「カンドンブレ」の儀式を行なっていたところで
話しは終わっている。
そこからの続きのお話しです。
ポルトガル語で「救世主」を意味する
「サルヴァドール」に行く便が取れなかったわたしたちふたりは
次の候補地であった
「マナウス」に行くことにした。
アマゾネス州マナウス!
それは鈍行の国内線しかとれずに長い旅となったけれど
人生でも指折りの面白い旅のひとつになった。
16世紀にポルトガルが街をつくり
その後のゴム景気に支えられたこの港は植民地時代の
いわゆる「コロニアルスタイル」のオペラ座などの建物で
観光地としても魅力的だった。
でもわたしたちはそんなものよりも
インディオの文化や奴隷として連れてこられたアフロ・アメリカノスの
根底にあるエネルギーに触れたかったりしたのだ。
「アマゾン川」
またしても
「川」などだということに、書きながら気がついた。
そうして
このときに行った「マナウス」という場所は
ネグロ川(黒い川)
と
ソリモンエス川(白い川)が
合流したあと
何キロか交わらずに二つの流れに分かれてやがてアマゾンとなる
という
非常にこの地球でもダイナミックな風景を目の当たりにすることができる場所だったのだ。
24年も前の話を
いきなり書こうと思ったのは
何故なのかもわからない。
ただ
先週の1月9日に
犬の散歩の最中に
あ
また午年がやってきた。
と
漠然と過去のことを思い出したとき
「書かなくては」
と思いついたに過ぎないのだが。
わたしはその1月9日という日が
24年前にブラジルから帰ってきた日のような気がするのだけど
今となっては調べようもないし
それがその日だからといって
なんの意味があるのだろうか。
大切なのは
ここからのような気がする。
ピラニア釣りなどして真っ黒になって帰ってきてわたしは
すでに正月がとっくに終わり
あわただしく皆が働いている会社の中で
完全に浮いていた。
いつものように喧騒を取り戻しているビジネスの波に
わたしは完全に乗り遅れていた。
生き馬の目を抜くようなファッションの世界で
4月に行なわれる
秋冬のコレクションの生地選びはもう始まっていたし
デザイナーたちは、デザイン画の最終決定に余念がない。
わたしはといえば
頭がまだコパカパーナの夏気分でいるのだ。
冬の渋谷のスクランブル交差点で
信号が変わった瞬間に
コートなどを着た全ての人が無表情にわたしに向ってくることに
恐怖すら感じるようになってしまった。
海外に行って帰ってくると
いつもそうなってしまうのだけれど
日本人が嫌いになってしまうのだ。
なんで無表情なんだ?
なんでみな同じような服を着ているのだ?
なんで子供たちは踊っていないのか?
たかだか二週間くらいの海外旅行なのだが
そこである意味「かぶれて」帰ってきてしまうわたし。
でも
現実とのギャップに
日本に帰ってくるといつも落胆してしまう。
わたしは誰?
何者?
その日本のシンボルともいえる
スクランブル交差点では
ほんとうに立ちすくんでしまう。
このひとたちは
誰?
話しは遡るのだけど
リオデジャネイロで
最後の日に
少し変わった店を見つけ
今思うと、現地では珍しいニューエイジショップなのだったけど
そこで小さなクリスタルのペンダントを買ったのだった。
そしてそれが全ての
始まりとなるのかもしれない。
「翔ぶ兎」
「翔兎」というニューエイジショップが代官山に出来ていた。
その前の年にできたのか
その年(1990年)に出来たのかは今となってはわからないのだけれど。
クリスタルなどまったく興味がなかったのに
ブラジルで購入したそれがきっかけとなり
クリスタルがたくさん飾ってあるその店が
気になって入ってみた。
そこで
ある本を手に取ることになる。
そこから
わたしの人生は
大きく
方向転換をしていくことになる。
今でも覚えている。
それは
1990年
1月18日。
「たまたま」シリーズ
2014年版の始まりです。
「たまたま」は
魂と魂のつながり
「たまたま」は
見えない世界からのメッセージ。
それは加速度がついて
年が明けてますます、押し寄せてくるのではないでしょうか?
みなさまのところにも
「たまたま」は
押し寄せているんではないかしら?
「たまたま」はゴーサイン。
さあ
今年も行きましょう!
1月11日
chiaさんからこんなメッセージが入りました。
「さっき、月江寺の周辺で
「倭文神社(しとり神社)の法被を着た人たちがいました!
調べてみたら、月江寺のそばにありました!
金色の鳥居です。織物の神社みたいです!」
倭文神社といえば
富士宮の星山にあり
十一面観音とともに気になって
1月の2日に行ったばかりです。
でもそのときはあわただしかったので
chiaさんに、今度ご一緒にゆっくり行きましょうね、と約束していたのです。
(そのときの記事)
http://ameblo.jp/mizunotunagari3776/entry-11741855695.html
「倭文(しとり)神社」
調べれば調べるほど謎の神社です。
しかもそこは麻に関係がある神さまの衣を作ったかたを御祀りしているといいます。
麻!
chiaさんは本名は麻○さんというんです。
あらららら・・・
「金の鳥居?」
「行きましょう!」
「行きましょう!!!」
1月17日
麻、あ、違う
朝でもないが10時にJマート で待ち合わせ。
ところが朝からバタバタ・・・
うわあ
もうこんな時間?
バタバタは今年も変わらず・・・
10時、無理無理無理・・・
あと15分欲しい!
どうしよう、どうしよう。
いっそメールして遅らせてもらおうか・・・
と、その矢先
chiaさんからメールあり。
「待ち合わせの時間を15分遅らせていただきたいのですが・・・
すみません。
今日の空、すごいですね!」
なんという偶然!いや
偶然なんて無いんでしたね。
またしても魂と魂のつながりを感じてしまったのでした。
(もしかしてふたりともただバタバタしているだけ???)
ところで
今日の空、すごいって
何?
わたしはあまりにもバタバタし過ぎて
空さえ見ていなかった。
出かける前に富士山がどおんと目の前にあったので
これのことかしら?と写真を撮りました。
今日
1月17日の不思議話。
あら?
今日は大島に行った仲間たちのNPOの
新年会。
昨年も行なった山中湖の旅館で今年も行なわれる。
ただ、去年はすき焼きだったので、
わたしだけが肉を食べられなくて
みなさんに気を使わせてしまった。
なので、今年はその前に行なわれる富士山溶岩の観察会だけ
参加して、その後に帰ってくることにした。
さて
なんだか急に夢が動き出している。
昨日はchiaさんと富士吉田に行った後
(まだその話は一回残っていますが)
Yとそのジュニアに、今検討している三つの土地を
いっしょに見てもらったのだ。
(Yは一級建築士なのです)
わたしがもうすでに決めていた土地が
Yとジュニアの「絶対ここ!」というお墨つきをもらって
確定となった。
二階建て、シンプルで簡素でウッディで
自然の光や風が充分に取り入れられて
螺旋階段で屋上に上がれて
屋上にハンモックとBBQスペース
そして収納たっぷり。
あとは贅沢をいわない!
あ、冬暖かく、薪ストーブで
夏は涼しくね。
Yに具体的に条件を伝えて
どんどんイメージが具体的になってきた。
ところが
家にもどり、またわんこ散歩の最中に
「ドームハウス」
ビジョンと言葉が同時にひらめいた。
ドームハウスか・・・・
家に帰ってPCを開いて
読者登録しているかたの記事のなかで気になるものだけ
さっと読んでみた。
天下泰平さんの記事は最近読んでいなかたのだが
阪神淡路大震災のタイトルが目を引き久し振りに読んでみた。
最後まで読み終わると
前回か前々回の記事でなんと「ドームハウス」の文字が。
おや?
読んでみると、なんとこの方はドームハウスの建築推進にもかかわっているのですね。
ふうん、八ヶ岳か。
こんど行ってみようかな。
それで、今度は「ドームハウス」で検索してみたら
けっこうセルフビルドで低予算で建ててしまった変人(失礼!)のかたや
田舎暮らしの夢をこれでかなえてしまった方とか
いるんだなあ、これが・・・
昨日
1月17日のお話の続きです。
月江寺の駐車場に車を止めて
「池があるんです」というchiaさんの記憶を頼りに
下に降りていくと
そこには富士山の溶岩から染み出した
湧水池がありました。
1990年1月18日
思うままに地球を歩き
行きたいところに行き
食べたいものを食べ
会いたいと思う人には誰とだって会えるのだ。
バブルという時代に若い女性として日本に生きていた人は
もしかしたらそのように錯覚をしていたかもしれない。
わたしもそのひとりだった。
だけど
世界の果てまでいっても
何かの答えは見つからなかった。
自分の外側に、外側に
いくら答えを求めても、空回りするばかり。
七つの海を制覇した、スペインの無敵艦隊のように
外へ外へ
もっと遠くへ遥か遠くへ・・・
それなのに
故郷 Tokyoに戻ってくると
なんともいえない虚しさが去来する。
わたしは誰?
なにもの???
何故ここにいるの?
思えば
リオデジゃネイロで買ってきた小さなクリスタルのペンダントが
わたしを内なる旅に誘ってくれたのだろうか。
当時、勤めていた会社のあった代官山から
程近い場所にオープンしたニューエイジショップ「翔卯」
その日は何曜日だったのだろうか。
会社の帰りにウインドウのキラキラクリスタルに魅かれて
よってみた。
そこには図書コーナーがあり
実はそこが目当ての一つでもあったのだが
何冊かの本を手にとって見ていた。
だいたい、前書きを読み、目次をみて
あとがきを読んで購入するかどうか決める。
だが
その本は
最初から食い入るように引き込まれてしまったのだ。
「アウト・オン・ア・リム」
シャーリー・マクレーンの著書だった。
1989年の末に撮影で訪れた
N.Yの話が途中で終わってしまっています。
http://ameblo.jp/mizunotunagari3776/entry-11747322618.htmlその話を持ち出したのは
深く深く「わたしのひとつ前の前世に関わってくる」
らしいからだったのですね。
このお話(わたしの前世)は何度かしているし
また避けては通れないので、今は省いてしまうけど
このときのNYで次につながるエピソートがあるので
その話しから書いて行こうと思います。
一日早くNY入りをした、わたしとアートディレクター(AD)のYは
宿泊している、それこそ摩天楼が見渡せるホテルのラウンジで
明日からの打ち合わせをしていた。
(そのときに撮ったわたしの写真には
今考えてみれば、あの、ツインタワー
ワールドトレードセンターがはっきり写っている。)
打ち合わせも終わり
話しはプライベートな方向に流れていた。
「最近、チャネリングって知ってますか?それに通っているんです。」
「チャネリング?心理学か何か?」
わたしはセラピストか何か、精神的なカウンセリングなのかと考えた。
「少し違うんだよね。」
聞けば、毎週「あやこさん」と言う人の「チャネリング」なるものを
受けているのだという。
「それがね・・・」
と
Yは声を潜めて言う。
「しゃべっているのはあやこさんではなくて
宇宙人なんですよ。」
「え~!」
と、大声を出したかったけど
そのラウンジには日本人のおそらく商社マンらしき男たちが
接待などをしていたので
叫びをかみ殺した。
この荒唐無稽な話しをしばらくYは続けた後
再び明日からの撮影の話しにもどり
それぞれの部屋に戻っていった。
その半年くらい後
わたしはそのあやこさんの前に居て
例の「翔卯」で
チャネリングなるものを受けていたのだった。
そのときYがチャネリングを受けていた「あやこさん」と同一人物とは知らずに・・・
再び
1990年
京都から帰ってきた彼に
「絶対ぜったいこの本読んで!」と
「アウト・オン・ア・リム」をわたしは薦め
次の日に休みだった彼、Sは
わたしが会社から帰ってくるころには
「シャーリー病」に感染していた。
それはまた、わたしたち二人の
新しい旅の始まりだった。
「翔卯」の地下がマクロビオテックのレストランだったので
会社の帰りに食事をしたり、接待に使うのに都合が良かったので
けっこう通った。
そしてそこで毎週水曜日にヨガを教えてくれるということで
それに通うことにしたのと
やはり「翔卯」でこの本に出会ったのと
どちらが先だったのかはもう忘れてしまった。
「バシャール」