2014年1月11日
今日は初午の日。そうして
因縁のありそうな11の日だ。
一昨日のことを思い出した。
いつものように湖畔を犬たちを連れての散歩のひととき。
いきなり24年前に行った「ブラジル」のことをを思い出したのは
何故だろうと。
今年は午年。
そういえば、12年前の午の年にわたしたちは富士山に移住してきた。
それでは
その前の午の年の今頃は何していたんだっけ?
24年前。
それでいきなりわたしの頭の中に
飛行機から下を見たときに
ニューイヤーの花火が上がった瞬間がフラッシュバックしたのだった。
1990年の幕開け。
それがとてもわたしの人生に重要なポイントだったことを思い出し
それを書き留めておこうと思ったのかもしれない。
記憶の中で
どうしても思い出せないことがあった。
わたしはどこかのブラジルの町に行きたかったのだけど
ニューイヤーホリディの真っ最中で、
たくさんのアメリカ人やヨーロッパ人などの北半球の人々がリオには押し寄せて
(もっともわたしたちも北半球から太陽を求めてきていたのだが)
次の日に行った小さな旅行代理店で、そこに行く便はないしホテルもいっぱいだといわれてしまったのだ。
「そこ」はどこだったのだろうか?
わたしたちはしかたなく、やっととれた鈍行の国内線の便で
マナウスというアマゾンの古い都市に行くことにした。
ところで
最初に書いた記事で「あーちゃん」というかたが
「サルバドールのカンドンブレでは?」とコメントをくださって
いきなり、思い出したのだった。
「そう!サルバトール!」
ポルトガル語で「救世主」という名前の都市。
この町は「バイーア」と読んだほうが何故かしっくりきそうだ。
というより懐かしい響き。
何故なのだろうか。
こんなにも近くまでいたのに
結局わたしはそこには行けなかったのだ。
それなのに24年ぶりにそのことを思い出させてもらい
明け方までその混沌とした夢を見続けて
朝
調べてみることにした。
愛しのバイーア!
サルバドール!
カンドンブレ!
リオ・デジャネイロに到着したわたしたちは
荷物の整理もそこそこに
ニューイヤーでお祭り騒ぎの町に繰り出したのだけど
明日は一刻も早くこの町から抜け出そうと思っていた。
そして
喧騒から離れた深夜のコパカパーナの浜で
あれを見たのだ。
「カンドンブレ」
こんな記事を今朝みつけた。
(カンドンブレには皆白い服を着るのだという)
宗教儀式「カンドンブレ」で踊られる神々の踊り
神々(オリシャー)は、
それぞれが海、鉄、火、川、森等、自然のエレメントを持っている。
つまり、カンドンブレの踊りと音楽とは『神を祀ること=自然を敬うこと』なのである。
儀式・カンドンブレに参加するわけではなく、この踊りを「踊り」として学ぶ私達にとって、
その成り立ちや意味を深く理解することは、非常に重要だ。
ただ単に動きをまねるだけのダンスではなく、
一つ一つの動きに宿る意味を理解し、魂を感じながら踊ることで、
より深みのある動きを実現することができるし、
他者の心に訴える踊りになっていく・・・
とはいえ、これがとても難しいことであることは、ご承知の通りである。
ワールド・ダンス・ボヤッジ
村木香菜さんの記事
http://lagimusim.chicappa.jp/contents/html/WDV/brazil/afro.html
(海の神イエマンジャーを祀るカンドンブレ)
そして
こんな記事も見つけた。
カンドンブレにはOrixás(オリシャス)と呼ばれる複数の神々が存在する。それぞれが自然の要素(火の神、土の神、海の神)を持ち、どこか日本の神道における神々に通ずるものがある。代表的なオリシャとしては、鉄と火と戦いの神・Ogum(オグン)、神々の母であり海の神であるIemanjá(イエマンジャー)、白と平和の神・Oxalá(オシャラー)などがあり、それぞれにシンボルカラーや曜日、好きなお供え物など個性的な特徴を持つ。たとえば星座や干支のように、ブラジルでは、一人一人が自分の守護神となるオリシャーを持ち、ラッキーカラーとして身に着けるなど、お守り的な使い方もしているそうだ。
「BRASIlink」より
http://brasilink.jp/living/2012/03/22101531.html
16世紀に奴隷として西アフリカなどからつれてこられたヨルバ族などの黒人たちが
アフリカの神を祀り、それを伝承してきた。
それが自然崇拝の多神教なのだという。
日本の神道やヒンドゥー教などとの共通点が見出せる。
しかしこのドラムの響きはやはりアフロの大地のもので
サンバのリズムもこのカンドンブレから生まれたという。
サルバドールのカルナバルは
リオのそれと違い、見るものではなく踊るもの。
ハイヒールを履いて踊るのではなく
皆大地を踏みしめてはだしで踊る。
大地に捧げる躍りなのだろう。
腰を落として踊るアフリカのストリートダンスに近いのだという。
なぜあの夜あのリズムがあれだけ魂に響いたのかが
今日、わかった。
わたしが
あるチャネラーに
「一つ前の前世は20世紀初頭にアメリカで生まれた黒人だった。
奴隷開放運動に身をおいたが、弱者に対する愛をそのときに学んだ。」
そのようにいわれたのは
このブラジル行きから半年もあとのことである。
そのときわたしはおおいに驚いたけれど
今となっては真偽のほどは確かめようも無い。
何故今わたしは過去のことを書いているのだろう。
それはたぶん
未来に向うという大切ないま
最後に、一度だけ振り返る必要があるのかもしれない
と思った。