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Channel: トヨタマヒメ富士日記
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またもや今日、UFO

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今日は妙高から帰ってきて

あれやこれや書きたいことがあるのですが


すでに帰宅していた彼が

一息ついたあと、

とんでもない話を始めました。


「今日さ

また見ちゃったんだけど・・・・


また見ちゃったといえば

絶対あれですよ、あれ!


「どっちかなあ

ううん・・・」

といっていつに無く神妙な感じで

珍しいこと。


「どっちってどっち?」

わたしは固唾を飲んで次の言葉を待っていました。


「星が落ちたか、隕石か

それとも・・・・」


わたしは叫びました。


「UFOだよ!」


なぜならわたしも昔同じようなものを見たのです。


話しはこうです。


今日(1月6日)

彼は夕方五時くらいに富士山側から河口湖大橋を渡ろうとしていた。

そのとき

大きな(直径50mくらいの)オレンジ色の光の玉が

左から右へ

ジェット機の二倍くらいの高速で

浅川(御坂山塊)の後ろに飛んで行ったそうです。


星が落ちた???

隕石???


と思ったそうです。


ひとりで見たので他に目撃者はいない。


わたしが20年くらい前に東京の恵比寿、駒沢通りで深夜に見たものとよく似ています。


わたしが見たのは右から左に

まるで点線のような破線を描くようなイメージで

「テテテテテ・・・」とゆっくりスローモーションのように流れていきました。


この話しは何度かしていると思います。

気象庁とかに問い合わせて、その時間に隕石など落ちていないことを確認しています。

そして

その後富士山で二度、星くらいの妖しい動きをする飛行物体を目撃していますが

そこからばったりとわたしは見なくなりました。


富士山に来る前は彼はまったくそのような飛行物体とご縁がなかったのに

来てからは彼がしょっちゅう見るようになりました。


わたしはまるごと信じていますので

いつも「ほんとうに?」と驚いていますが

今日の目撃はわたしもあるある!という感じでしたので

少し特別な感覚がありました。


わたしが「それはUFOだよ!」というと

「でも星かもしれない」といいます。

星であれば大騒ぎじゃないですか!

UFOでいいんですよ。

「未確認飛行物体」なんですから。


そしてほとんどの場合

ひとりで見たりするんです。


パートナーや仲間と見たりする人もいます。


いつか複数の人数で見たいものですね。



さて

次の写真は本文と関係ありません。

って

紛らわしいね。



今朝の妙高の夜明け。

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ハマッキー(葉巻型UFO)ではないですよ。
雪にフラッシュがあたると
こんな風に写るのですね。

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妙高の朝は本当に綺麗でした。


今日の出来事の報告は
また明日
ゆっくり書きますね。

正月七日

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五日、六日と

家から離れていたら

やはりお正月が晴れていて

富士山を眺めることのできる幸せを

朝からヒシヒシと感じてしまいます。


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我が家から見ると
ドコモのアンテナが玉に傷。
でも二日ぶりの富士山だったので
思わず撮ってしまいました。


ここ河口湖は
晴天率がとても高い。
富士五湖地方でもダントツです。

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船津という地区に用事があって行きました。
相変わらず湖のあちらは電線が邪魔ですが
その分富士山に近くて
たなびく裾野まで見渡すことができます。

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3時くらい。
太陽がすでに低い。
面白い雲がどんどん出てきて形を変えていく。

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それにしても空が青く
太陽は冬だというのに輝きを増して


そしてそして
旅行に行って気がついたことは

日本は山だらけなのに
富士山ほど気高く
美人さんな山は他には無いのです。



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日没は四時半くらい。
このころはすっかりお山は雲の中に入ってしまいました。

最後に不思議な雲。










お正月の七日といえば・・・・
恒例の七草粥。


七日の朝にこれを食べることが
ここ20年くらいの習慣になっています。




でも
今年は昨日まで旅行に行っていたため
少し簡易にしてしまいました。


玄米粥に乾燥七草をトッピング
でも我が家の畑で採れた
スズナ(蕪)、スズシロ(大根)をたっぷりと刻んで入れました。

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お正月からずっと
そして一昨日の宴会で飲みすぎ、食べすぎた胃に
この食事は理にかなっています。


日本の食習慣はブラボーですね。




さて
妙高の話しをそろそろまとめます。

「妙なる山の九頭龍の胴体を祀る社は」

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1月5日の妙高の夜明け

一晩中粉雪がちらちら舞っていたようだ。


重たく垂れ込めた雪雲と

飯縄山や班尾山のわずかな稜線のシルエットの間に

朝焼けがゆっくりと広がっていく。


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越後富士と言われる妙高山は
長野県との県境に近いため
新潟県に位置しながらも
「北信五岳」のひとつとして親しまれる。


以下はウイキペディアより

山名は、古くは「越の中山」(こしのなかやま)と呼ばれていたものが、

好字二字令 により「名香山」と当て字され、

それが「みょうこうざん」と読まれるようになり、「妙高山」の字が宛てられたものである。



北部フォッサマグナ の糸魚川一静岡構造線のすぐ東側に と共に妙高火山群をなし山体の基盤からの高さは 1200m、体積は 50km2[2] で、主に輝石安山岩、角閃石安山岩を主体とする安山岩 (SiO252~60%)質の成層火山 であるが、高アルミナ玄武岩 、角閃石デイサイト などで山体が構成される。本来の山頂は標高2,800 - 2,900m程度であったと推測される。



そうか

妙高って火山なんだ。


昨年の11月の半ばに

初めて気がついたわたしは

再び訪れるとき

山岳修験道で有名な「北信五岳」(黒姫、戸隠、班尾、飯縄、そして妙高)

そんな妙高山の神さまってどなたなのかしら?


そう思い立って旅の前日の夜に

検索して見たら

それは宿泊施設の「妙高高原・池の平」に程近い

「関山神社」というところにお祀りされていることを知り

秘かに行ってみようと思い立ったのだ。


なんとなんと

そこには九頭龍の胴体が祀られているのだという。


http://ameblo.jp/mizunotunagari3776/entry-11742907608.html


戸隠には九頭龍の頭

妙高関山には胴体

そして

糸魚川の能生白山神社には

尾が祀られているのだと言う。




(絶対行かなくちゃ!)



当日10時くらいにホテルを出発。

皆がスキー&スノボに出発するさい

どこに行くの?と聞かれる。


「うん、いいところ」

何故かいいたくなかった。


ひっそりとひっそりと行きたかったのだ。


それはあまりにも雪深くて

途中で転がって横転している車などを見たりしたので

そしてカーナビでたどり着いたこちらの駐車場に置いてあった車が

完全に雪に埋もれているのを横目に見て

多少怖気づきながら

それでもなんとか

どなたも居ないこの社にたどり着く。



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南参道というところに車を止めたので
本殿にたどりつく前に
小さなお堂を見つけてお詣りをした。


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ここは寺院なのか神社なのか。
あの南足柄の「最乗寺」以来
不思議な展開になっているのだなあ。


ここもまた観音堂のようだ。

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見事なご神木が雪に埋もれている。


石仏も有名らしいが
この時期は全て雪の下に埋もれているようだ。

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小さな小さな祠は
雪が払いのけられていて
これまた
小さな雪だるまが供えられていた。


北のひとびとの
温かな信仰心を思う。


いよいよ
本堂に到着する。




続きます。

「妙なる山の十一面観音とは」

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妙高山という名は

仏の世界の須弥山の同義語だという話しを聞きました。


妙高山の山頂に祀られているのは

三尊阿弥陀如来像

そして里宮として

こちらの「関山神社」があります。

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雪のなかに静まり返っています

祭神
中尊 国常立尊 聖観世音菩薩
左尊 伊弉冊尊 十一面観世音菩薩
右尊 素盞鳴尊 文珠菩薩

往古より妙高山村関山三社大権現と称されていた。
古来妙高山は、裸形上人によって開かれ仏の山とされていた。
神奈山には神様がおわし、和銅元年(七〇八)、悪疫流行の年を選び、麓の関山村に里宮として前記の三神が勧請された。
嵯峨天皇の御代(八一〇)空海上人が、諸国廻歴の折りその神威を観窺し、帰京後帝へ奏上し、壮麗なる社殿を再建する。更に僧坊七十二区を栄築し、大いに仏徳を発揚する。


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拝殿から入り口の表参道鳥居を見る。


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上部に龍の彫り物が・・・

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こちらは表から見たところ。

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本尊はご開帳されていなかったが

写真でその姿を拝することができる。



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ここの本尊は「阿弥陀如来」と なっているのに
「主尊・観音菩薩像」となっています。
そしてその観音像は女性のような優しげな佇まい。
そして左尊とされる十一面観音像は男性的な表現で
結跏趺坐しているように見えます。


説明文あり


「関山三社権現の本尊仏」と呼ばれていました。
本尊仏は三体あり、中央に主尊となる観世音菩薩像
(中略)
飛鳥時代に朝鮮の百済から伝来したと見られる金銅仏です。」



そうなんですね。
飛鳥時代に仏教は朝鮮半島から伝播して、最初に伝わるのが日本海側の土地。
ここは越の国。
越は「海を越した国」の総称ではないのかしら?
朝鮮半島から近い順に
越前、越中、越後
つまりあくまでも大陸を向いていて
大陸に近いほうが前であったのではないかしら。
今は日本の意識が太平洋を向いているので
表日本、裏日本と読んだりするのだけど・・・


そして少し詳しく調べてみたくなり
検索してみたら
「新羅神社」というものの関係を書いたブログにたどり着きました。
こちらの左尊の「文殊菩薩像」は新羅大神と呼ばれているのです。
こちらも日本海まで20キロ満たないここの位置の特異性を物語るのかもしれません。


こちらの記事には興味深いことが書いてありました。
なんと最初にお詣りした「妙高堂」に阿弥陀如来が祀られているとのこと。
山頂にも「妙高大神」があり、三尊阿弥陀如来が奉祀されていること。


だから
南参道というところから、こちらのお詣りを始めたのは
実は正解だったのですね。


それからこの記事にはさらに興味深いお話が・・・

妙高山という山への信仰は
火山であるお山そのものと(火)
そして「水」
山頂にある池と、山から流れる関川という河川の氾濫を治める神であるという話。




「本来は農業を守る水分(みくまり)神の聖地であった。それに渡来系の祖神である新羅系の神が合流したものであろう。妙高山山頂には八大竜王の棲む興善寺池がある。 」


八大龍王さま
でちゃいましたね。
やはり「火」と「水」で陰陽のバランスをとり
それを祀るという日本の自然観と渡来の仏教が見事に融合していった過程が
感じられます。


以下
興味があるかたは
ぜひご覧になってくださいね。




「このように山と山上の池を神とする例は、同じ越の国(越前)である福井県の今庄町にもあり、信露貴山(夜叉池上)と夜叉ケ池から流れ出る淑羅(しらぎ)川が信仰の対象であったのと同じである。これは日本神話の一つの類型である洪水神話、或いは山の峯への祖神降下神話と同じ範疇に入る。」また、各地に見られる羽衣伝説もこれらと通ずるものがある。丹後地方の比治山の頂の真名井(麻奈井)という池に天女が降りた伝承や、近江の余呉湖の羽衣伝承などがある。


<出雲神や諏訪神とのつながり>

妙高村の西側にある西頸城山地の西側、白馬山麓県立自然公園を流れる姫川が日本海に注ぐ河口の街・糸魚川市には、縄文中期のヒスイの勾玉・丸玉などの遺跡が発見されている。長者ケ原遺跡・後生山遺跡・田伏玉作遺跡・寺地遺跡等々、多くの遺跡から当地方がヒスイの原石や半製品の中心地であったことが知られている。

『古事記』によれば、素戔嗚尊の八俣の大蛇退治の条に、「高志の八俣(やまた)の大蛇(おろち)、年毎に来て喫(く)へり……」とあり、あの出雲の素戔嗚尊が越の国の大蛇を退治し櫛名田比売(くしなだひめ)を救う話がある。『釈日本紀』巻十に「越の国人有り。名を掬脛(こまはぎ)という。力が強く土雲の子孫という」とあり、異族視された種族がいたことが判る。そして素戔嗚尊の子(或いは五代の孫とも六代の孫ともいう)の大国主命は、糸魚川の沼河比売(ぬなかわひめ)へ求婚に訪れるが、二人の間にできた子神が建御名方命(たけみなかたのみこと)で信濃の諏訪神社の主神である。これらの伝承の背後には、三世紀頃(弥生後期)高志より出雲への硬玉の交易ルートがあり、糸魚川付近に玉生産を司るヌナカワ王国があったともいわれている
(井上鋭夫『新潟県の歴史』)。


http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/114.htm

こちらの出雲と諏訪のつながりは
これから行くことになった
「斐太神社」がまさにそれを体現しているので
わたしには驚愕でした。


まだ旅はつつきます。

摩訶不思議な場所

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わたしに残された時間はあと2時間半


2時までに池の平温泉に帰ればよいのだが

最初の目的地を終えて

次のことは漠然としか考えていなかった。


候補はふたつあり

なんとたまたま毎月「6日」に立つ市があり

妙高市役所のそばだという。


そちらか

最初に検索ででてきた「斐太神社」か。


カーナビをセットするとき

どうしようかまよったけれど

あと一箇所・・・

どこへ行く?


関山神社という妙高山そのものを祀る神社にお詣りできたので

これで大きな目的は達成できたような気がした。


十一面観音さまにも会えたことだし・・・・


それで「市」に行ってみる事にして

カーナビに「妙高市役所」

とセット。


ところが

スキー場のある「妙高高原」と

「妙高市内がことのほか遠かったのだ。


カーナビはどんどんわたしを北へ連れて行く。


「上越市」という看板が出てきて

カーナビを疑い始めた。


もう25キロは走っている。



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行けども行けども雪原は続き
それでもカーナビを頼りに走ると
再び「妙高市」に入り
見事に市役所前にたどり着いた。


こんなに遠かったんだ。
キツネにつままれているように市役所に入り市のことを尋ねると


なんと朝市なのでもう終わっているという。


すでに12時を回ってしまったのだ。


もうあそこしかなかった。


来るときにバスとすれ違った。


そのバスには
「斐太」と書いてあったのだ。


「斐太神社」とカーナビをセットしなおすと
市内よりもまたしても西側の山の方角だった。


雪の中の山道の運転は心細いけど
あのバスとすれ違ったのも偶然ではないような感じがして


勇気を出して行ってみる事にする。


雪はいつのまにか
霰に変わっていた。


そうして
たどりついた。
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霰(あられ)って久し振りに見た。

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越の国の別名が

「日高見国」

そこから「飛騨」「飛田」「斐太」などの地名が生まれた、とある。


「斐太神社の説明文」


大国主命 (八千矛神)を主祭神に、事代主命 (積羽八重事代主神)と建御名方命 (諏訪大神)を相殿 に祀る。相殿2柱は遷祀された神で、事代主命は矢代大神や矢代明神とも称され、天正 2年(1574年 )までは矢代川上流の岡沢山という地に鎮座していたといい、またこの神が相殿に祀られている事から当神社を「矢代さん」とも俗称する。建御名方命は青田南葉山の山頂に鎮座していたという。


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小さなお稲荷さんの祠が入り口にあった。


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そして
大きな古びた狛犬さん。

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出雲系の神々。


そう
ここは日本海に程近い場所。
そして糸魚川の近く。


フォッサマグナの西の端

そしてたくさんの渡来系の古墳や
遺跡などがこの付近ではたくさん発見されたようだ。


どこか不思議な空気感・・・・




妙高の話しは
あと一回を残すのみとなりました。


またお付き合いくださいね。

妙高の「跳ね馬」

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「今季最高の寒波」が今夜やってくるそうです。

TVでは妙高市内に雪がどんどこ降っているようすを流していました。

風邪などをひかないように温かくしてすごしたいですね。


富士五湖地方は昨日は温かく、

雨になりましたが

今宵はその雨が凍結するかもしれず

相変わらず油断がなりません。


春はまだまだ遠いようです。


さて

お正月も終わってしまったのですが

おめでたいお話しをひとつ



またまた妙高のお話しですが


「越後富士」と呼ばれている「妙高山」


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富士山と同じく
成層火山なのだそうです。

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わたしが行ったときにはずっと雪雲に覆われて
とてもこのような姿は拝めませんでしたが・・・

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このピークがあるところは8000年前の噴火で出来たという
馬蹄形のカルデラ、すなわち外輪山に囲まれているそうです。
丁度「山」の字をしているそうですよ。


そして・・・
春になると

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雪が溶けて
山肌に「跳ね馬」が出現する。
これが春の風物詩だそうです。




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これですね。
富士山も春になると「農鳥」といって鳥の形の雪渓が出てきます。
そして北アルプスの白馬岳も、その名のもととなる、白い馬に見える雪渓が出現する。


こちらはさながら
青い馬
そして「跳ね馬」の名のとおり
跳躍していますね。


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そして
雪の溶け方によって
翼の生えたペガサスに見える年もあるようです。


今年の春はどうなるのかしら。


空翔る馬となるといいですね!!!

イザナギイザナミと おおらかな石の○○を祀る

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簡単に「斐太神社」のご紹介をしようと思ったら
調べれば調べるほど


妙高というより

このあたりの「斐太遺跡」そして日高見国のおはなしは

あと一回では終わらぬくらい

深い深いところまできてしまった。


やはり謎多き

摩訶不思議な場所なんです。


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すこしばかり古えな風格の阿吽の狛犬さま。
久し振りにご挨拶しての参拝を。



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やはり出雲系。
大国主命さまが主祭神ですからね。


そして
事代主命
諏訪の神タケミナカタがおわします。
これらはいずれも出雲の神。





でも
こちらは???


本殿の左側のお社が気になった。



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「雁田神社」とありました。
名前の由来はまったくの謎!

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「雁田大名神」
こちらはイザナミ・イザナギの両神を御祀りしているらしい。

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そして・・・
目を引いたのは・

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石棒と女陰石なのでした。


こちらは縄文の遺跡からよく見つかるもの。
富士山周辺にもよく出土される。
しかし
この磨かれたような形態は初めて目にするもの。
何か、洗練されたような形をしています。
いったいこちらは何を意味するのでしょう。


この周辺の
「斐太遺跡」に
俄然興味がわいてしまいました。


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どうしても
この神社の位置は変ですよ。
遺跡のまっただなかにあるのです。


調べれば
縄文、弥生、飛鳥、そして戦国時代の遺跡が続々と出てくるのだとか・・・

そして
上杉謙信の「鮫ヶ尾遺跡」の位置を見てくださいね。


なんとこの城の
表鬼門として、この「斐太神社」は元の地から勧請されたという記述が!!!


ほう、謙信ですか・・・
妙高に来てからはよく看板などで「謙信」の文字。


でも
ごめんなさい。
わたしは戦国時代にまったく興味を魅かれない。

シンゲンもケンシンも
昔から興味がないのです。


たぶん・・・なのですが
わたしが魅かれないわけは
その時期日本にはいなかったのではないか?と思われるのです。

わたしはたぶんそのころ水牛などの背に乗って
ゆっくり夕陽などを眺めていたのではないかしら?
(これは荒唐無稽な前世のお話)


わたしの興味は
縄文と
それより遥か遥か昔に向っていきます。


そこにはなにがあるのでしょうか。

続きます。

ラスト
ワン!

黒姫のトライアングル

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最後にわたしがたどり着いてしまったのは

大国主命とその別名である

オオナムチの足跡がここにあったことでした。


いったいこの方はなにものなのだろう。


そして

翡翠の里

「ヌナカワ大国」とは

記紀神話にも出てこない

初めて聞く名だった。


古代の神話の足跡は

この不思議な大国の翡翠という宝石と

それを巡る当時の列強たちの争奪戦の足跡。


この旅の前に

朝、見送ってくれた富士の姿


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{A1B6173A-E517-461C-95B2-20BACA92FD6C:01}

そして
甲斐駒

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八ヶ岳

{8B6BF5F8-C2E7-447F-B270-B9732E81B2B3:01}

永遠に白いと見間違う
妙高の雪原



この越の地の三つの「黒姫山」
それらが囲む土地のただなかに
この「斐太の里」は存在した。


奴奈川姫(ヌナカワ姫)=黒姫であったのだろうか???

こんな記事を見つけてしまった。

「奴奈川姫は色が黒く、その姫が統治したクニの範囲が3 つの黒姫山に囲まれた範囲だ」とい
うことを聞いたことがある。弥生時代中期に信州系の土器を持つ人たちによって営みが開始され
た吹上遺跡は、ヒスイを求めてきた人たちの前線基地であったのではなかろうか。その後、弥生
後期にいったん埋まった周溝墓に沢山供えられた北陸系土器は、北陸集団の地域奪回の証しなの
ではなかろうか。北陸集団の奪回前に出現する斐太遺跡はどのような意味を有していたのか。舟
運の基地と推測される釜蓋遺跡の舟の行先はヒスイの里だったのではなかろうか。などなど、そ
の解明は奴奈川王国そのものの解明につながっているようにも思えるのである。


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わたしはこの黒い人びとが
誰だったのかに思いを馳せてしまう。


そして
竹之内文書にでてくる
(おそらくはレムリアの)
五色人のなかの「黒い人」がこの越のあたりにいたのでは
という大胆な仮説をつい考えてしまいます。


黒姫や
バラバラにされた九頭龍のお話しは
またしても寓話の中に眠っています。


いつかどなたかが
このパンドラの箱を開けてくれるのを夢みて。




妙高の摩訶不思議な時間のお話しは
これにて


<完>






ダイアモンドダスト!

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今朝

山梨県大泉町で
ダイアモンドダストが観測されたようです。

{ADD552B2-F0D4-47E5-9D63-5CD17491C25C:01}

{0B854422-E7DA-4E0E-A2AB-AA7DF0995B2C:01}

ローカルTVのニュースより。

冬の風物詩ですね!
ステキな映像が流れていましたが
自分では
なかなか撮れません。

他の画像もさがしてみました。

{B237975A-E84F-4449-AFBA-A35BF13195F4:01}

{1C7A1A22-2C3D-4CA8-93F4-F850BD13AA02:01}

{6F7AE780-CB90-4C9C-ACB5-7CF4E58F7441:01}

{5E79BDA9-4962-43C0-9949-778FC32B59BC:01}

自然の創る造形は
美しすぎる(⌒▽⌒)

ココロの旅 プロローグ <リオ・デジャネイロ>

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午年がやってきた。

わたしにとって

午の年は特別な年となる。


少しづつになるかもしれないけど

書いていこうと思う。


何故、今

わたしがここにいるのか


そうして

わたしはどこへ行くのか?


2014年という区切りの年に

少々自分自身の人生を振り返ることによって

この先のベクトルが見えてくるのではないか?


それはどうなっていくのかはわかないのだが

とりあえず

1990年の午の年から書いてみようと思う。



1990年元旦

日本時間で零時

遥か下界で花火が炸裂するのを見た。



離陸したばかりのジャンボジェット機の中で

浦安のディズニーランドだろうか?

下ではお祭り騒ぎなのだ。



すでにわたしは機上の人だった。



これから、ブラジルへ行くのだ。

直行便が取れなかったので

ロサンジェルスを経由して

日付変更線を越えて.



正月を東京で過ごすだなんて、真っ平ごめんだ。

まったく東京の正月ほどつまらないものはない。

田舎のある友人は、カウントダウンパーティのあと

こぞって実家に帰ってしまうし

母と姉はハワイに行ってしまう。

それでも飛行機が嫌いな父とふたりで

新宿の実家でふたりで過ごすのも悪くは無かった。

1988年の7月8日に

父が他界するまでは。



その父が生きているときに

最後の最後に出あったのは

「S」だった。

今、わたしの隣の席にいる。



わたしは彼が最後にわたしに父がプレゼントしてくれた出会いのように感じていた。

わたしが父の亡き後

淋しくないようにと。


まったくあのころ、Sがいなかったら

わたしは「父の不在」をどのように受け止めていたのか

想像するにおそろしい。


目に見えない存在は確かにいて

人生のここぞというときに

きっとこのように働いてくださるのだろう。





このとき

わたしとSは互いに独身の男女、そして同居人として

今、同じブラジル行きの便に乗っている。

そして、ともに年末年始を海外で過ごすことが

父が亡くなって以来、わたしたちの習慣となった。



Sの隣に日系人の初老の男が座っていた。

日本に出稼ぎに来て

サンパウロに帰るのだという。

わたしたちはブラジルの話が聞きたくでうずうずしていた。

しかし彼は

「腕時計、はめていたら駄目ですよ。手首から切られちゃいますよ」

「世界で一番泥棒が多いところなんですから」

そんなことを話しては

わたしたちの期待に膨らむ新しい土地への期待を蝕んでいく。

もっとも、このような忠告は慣れっこになっている。

中南米やアフリカ諸国といった国々に旅をするときは

「気をつけろ、気をつけろ」

口酸っぱく親切心から行ってくれる輩が必ずいるのだ。



「日本の食事は口に合わなくて、参った。」

そう彼が言ったので、

「そうですか?何が合わなかったんですか?」と尋ねたら

「何もかもが甘い」と、顔を曇らせて言った。



それはかの地の行ってレストランで食事をしたときに

全てが塩辛かったので、後に意味が理解できたのだが。



日付変更線を越えて

リオデジャネイロの空港に着いたのは

まだ1989年だった。



空港の近くの安ホテルを探している間に

1990年になった。



町は大騒ぎだ。

サンバのパレードが出るのだという。

荷物の整理もそこそこに

町に行ってみた。



カーニバルは二月に行なわれるが

ハッピーニューイヤーのカルナバルは少々仲間内の大騒ぎな感じがした。

喧騒をさけて

浜に二人で行ってみた。

そうしたら、

そこでは、幻想的な祀りがひっそりと行なわれていた。



マクンバ???



30人くらいの黒人の男女がいて

魔方陣のようなものを組み

蝋燭の明かりだけで

ドラムを叩いている。


そのドラムの音が

わたしの尾てい骨に響いてくるのだった。



その円陣の中の黒い女性が

明らかにトランス状態となって、踊り始める。



太鼓の音だけが響く。



わたしは後ろでひとり踊った。



「これだ、このリディム」

一人で思いながら。


{0B08FAEA-EE9A-4293-86CC-E762DC643003:01}


{EBC8CF9B-B40C-4590-8AD2-E407A2CC4A3E:01}

ココロの旅 <N.Y>

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「それじゃあ、行っちゃえばいいじゃない、

ニューヨークに。」


「わたしが予算を出してみるよ。

どのくらいかかるか算出してみるね。」


あの頃のわたしは、まったく怖いものなしだったと

今は思う。


話しはリオデジャネイロから少し遡る。


1989年10月のころだ。


当時、わたしは「MB」というメンズアパレルの日本の草分け的存在の会社に籍を置いていた。

そこで販売促進課という、広報、宣伝を担当する課にいたわたしは

バブル景気とは無縁に生きていると思っていたのは自分ばかり。

年商50億の5%は自由に「広報・宣伝」に使える身分にあった。


それでもひたすら気分は時代に抗い

マイノリティこそがかっこいいと信じていた。

「マス」すなわち大衆的なものにはことごとく「NO」をつきつけた。

ほんとうに今思えば

生意気な若くて感性のみで勝負している、手に余る「担当者」だったに違いない。


チーフデザイナーのYが提案したのは

89年の秋冬コレクションのテーマであった「カラーズ」

すなわちわたしたちイエローまでひっくるめた有色人種のかっこよさを

いかにプロモーションビデオに落とし込むか、だった。

それにはNYのダンサーたちに今回のコレクションの服を着せて

東京の街を舞台に踊ってもらいたい、ということだった。


「ちがうよ、NYにわたしたちが行くのよ」


「しかもブロンクスとか、ABCアベニューとか

彼らの本拠地にわたしたちが服を持っていくのよ。」


そしてね

彼らの聖地に乗り込んで、そして一番熱い人物

たとえばスパイク・リーとかにフィルムを回してもらうの。

「I have Dream!」でしょ?


そう

「I have Dream!」


スパイク・リーにフィルムをまわしてもらうのは

バカンス中ということでスケジュールが取れなかった。


がっかりしたわたしたちに朗報あり。


なんと、彼には弟がいて

映画監督をめざしているという。

彼の名は「サンキ・リー」


未知数、そしてすでにメジャーの仲間入りした兄と違い

マイナーなところが面白いかもしれない。


それで、クリスマスの前に

急遽

NYへ飛んだ。


ADのこれまたY氏から紹介してもらったコーディネーターは

今なら知らぬものはいない

あのエリカさまの元ご主人

「T/T」氏であった。


全予算は3百万。

これは一流の企業がCMフィルムと作るとしたら

かなりなはした金?


でも

ぜったい面白くて新しいものをつくるぞ。


このときのNYの体験は

そのあとのリオやインドにも

そして

わたしの人生にも生きてくるのだ。


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今回は、骨髄移植などの方法や骨髄バンクへのドナー登録について詳しくご紹介します!

富士山の地下深く

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さあ

頭を富士山に切り替えなくちゃ!

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今日も風が強く
空気は乾燥しています。

富士山周辺には
沢山の地震計が昨年も
新たに設置されたとのこと。

今日は
今、富士山の地下はどうなっているの?
というセミナーに行ってきます。

マグマの動きはどうなのか?


そして
私たち日本のミネラルウォーターの八割が
富士山の地下水だそう。
沢山の水が今日も汲み上げられています。
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これは
一昨日の河口湖の日没

今日は火山の話しを聴き
明日は湧水巡り

キャ!
火と水ですね。

行ってきます。

魂のルーツ (もはやココロの旅ではなく)

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2014年1月11日

今日は初午の日。そうして

因縁のありそうな11の日だ。



一昨日のことを思い出した。



いつものように湖畔を犬たちを連れての散歩のひととき。

いきなり24年前に行った「ブラジル」のことをを思い出したのは

何故だろうと。



今年は午年。

そういえば、12年前の午の年にわたしたちは富士山に移住してきた。

それでは

その前の午の年の今頃は何していたんだっけ?

24年前。



それでいきなりわたしの頭の中に

飛行機から下を見たときに

ニューイヤーの花火が上がった瞬間がフラッシュバックしたのだった。


1990年の幕開け。

それがとてもわたしの人生に重要なポイントだったことを思い出し

それを書き留めておこうと思ったのかもしれない。



記憶の中で

どうしても思い出せないことがあった。



わたしはどこかのブラジルの町に行きたかったのだけど

ニューイヤーホリディの真っ最中で、

たくさんのアメリカ人やヨーロッパ人などの北半球の人々がリオには押し寄せて

(もっともわたしたちも北半球から太陽を求めてきていたのだが)

次の日に行った小さな旅行代理店で、そこに行く便はないしホテルもいっぱいだといわれてしまったのだ。


「そこ」はどこだったのだろうか?


わたしたちはしかたなく、やっととれた鈍行の国内線の便で

マナウスというアマゾンの古い都市に行くことにした。



ところで

最初に書いた記事で「あーちゃん」というかたが

「サルバドールのカンドンブレでは?」とコメントをくださって

いきなり、思い出したのだった。



「そう!サルバトール!」


ポルトガル語で「救世主」という名前の都市。

この町は「バイーア」と読んだほうが何故かしっくりきそうだ。

というより懐かしい響き。


何故なのだろうか。

こんなにも近くまでいたのに

結局わたしはそこには行けなかったのだ。


それなのに24年ぶりにそのことを思い出させてもらい

明け方までその混沌とした夢を見続けて

調べてみることにした。



愛しのバイーア!

サルバドール!

カンドンブレ!




{8B39E9CA-448A-452D-AAF3-301454B2CFF0:01}


リオ・デジャネイロに到着したわたしたちは

荷物の整理もそこそこに

ニューイヤーでお祭り騒ぎの町に繰り出したのだけど

明日は一刻も早くこの町から抜け出そうと思っていた。



そして

喧騒から離れた深夜のコパカパーナの浜で

あれを見たのだ。



「カンドンブレ」




こんな記事を今朝みつけた。


{A69FC00C-D510-4B49-847B-5EE5B636EC11:01}

(カンドンブレには皆白い服を着るのだという)


宗教儀式「カンドンブレ」で踊られる神々の踊り

神々(オリシャー)は、
それぞれが海、鉄、火、川、森等、自然のエレメントを持っている。

つまり、カンドンブレの踊りと音楽とは『神を祀ること=自然を敬うこと』なのである。

儀式・カンドンブレに参加するわけではなく、この踊りを「踊り」として学ぶ私達にとって、
その成り立ちや意味を深く理解することは、非常に重要だ。
ただ単に動きをまねるだけのダンスではなく、
一つ一つの動きに宿る意味を理解し、魂を感じながら踊ることで、
より深みのある動きを実現することができるし、
他者の心に訴える踊りになっていく・・・
とはいえ、これがとても難しいことであることは、ご承知の通りである。


ワールド・ダンス・ボヤッジ

村木香菜さんの記事


http://lagimusim.chicappa.jp/contents/html/WDV/brazil/afro.html




{B1DECF3F-A64B-4469-A316-11406DED0A9A:01}

(海の神イエマンジャーを祀るカンドンブレ)




そして

こんな記事も見つけた。


カンドンブレにはOrixás(オリシャス)と呼ばれる複数の神々が存在する。それぞれが自然の要素(火の神、土の神、海の神)を持ち、どこか日本の神道における神々に通ずるものがある。代表的なオリシャとしては、鉄と火と戦いの神・Ogum(オグン)、神々の母であり海の神であるIemanjá(イエマンジャー)、白と平和の神・Oxalá(オシャラー)などがあり、それぞれにシンボルカラーや曜日、好きなお供え物など個性的な特徴を持つ。たとえば星座や干支のように、ブラジルでは、一人一人が自分の守護神となるオリシャーを持ち、ラッキーカラーとして身に着けるなど、お守り的な使い方もしているそうだ。


「BRASIlink」より

http://brasilink.jp/living/2012/03/22101531.html




サルバドールの町並み。

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{E748C1AD-8021-40E3-A2DB-C7A22978B996:01}

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16世紀に奴隷として西アフリカなどからつれてこられたヨルバ族などの黒人たちが
アフリカの神を祀り、それを伝承してきた。
それが自然崇拝の多神教なのだという。
日本の神道やヒンドゥー教などとの共通点が見出せる。


しかしこのドラムの響きはやはりアフロの大地のもので
サンバのリズムもこのカンドンブレから生まれたという。


サルバドールのカルナバルは
リオのそれと違い、見るものではなく踊るもの。
ハイヒールを履いて踊るのではなく
皆大地を踏みしめてはだしで踊る。
大地に捧げる躍りなのだろう。
腰を落として踊るアフリカのストリートダンスに近いのだという。


なぜあの夜あのリズムがあれだけ魂に響いたのかが
今日、わかった。




わたしが
あるチャネラーに
「一つ前の前世は20世紀初頭にアメリカで生まれた黒人だった。
奴隷開放運動に身をおいたが、弱者に対する愛をそのときに学んだ。」



そのようにいわれたのは
このブラジル行きから半年もあとのことである。




そのときわたしはおおいに驚いたけれど
今となっては真偽のほどは確かめようも無い。




何故今わたしは過去のことを書いているのだろう。




それはたぶん
未来に向うという大切ないま


最後に、一度だけ振り返る必要があるのかもしれない
と思った。






富士山の地下深く(最新の情報)

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2014年1月11日



講師は「鵜川 元雄氏」

わたしたちがいつもお世話になっている

筑波にある「防災科学技術研究所」で

ほとんどのデータ解析に携わってきたかたです。


テーマがテーマだけに

今日は50名くらいの受講生はいたかしら?


富士山の地下はいまどうなっているのか?


マグマの上昇はどのくらいまできているのか?


最新のデータを使ってのレクテャーが始まりました。


{6895CE0D-156B-479A-BF8B-D7E82A73F11C:01}

のっけからこんな話し。
昨年の10月12と14日って何していたかしら?

{BB5F3C6F-DE3D-473F-9A17-7B4C1A9EE6DD:01}

お決まりのプレートのお話しなのですが
わたしたちの日本列島は
プレートの沈み込み帯ということで
火山国、地震国・・・
それは重々承知でございますよ。

{C097B6ED-AA3F-4765-91E1-40343E05B71B:01}

少しわかりにくいのですが
左の上の赤いところが「低周波地震」
噴火活動と密接なつながりがあるといわれている体には感じないくらいの
微弱地震です。
マグマの地下からの貫入の際に起きるのでは
といわれています。


富士山もまっかっか。(山頂より北東の位置です。つまり富士吉田側?)
その右下が箱根火山
そのさらに右下が大室山のある伊東のあたり
そしてさらに右下が伊豆大島!


箱根火山だけ東にずれていますが
あとはみごとに一直線に並んでいます。
フィリピン海プレートの貫入の方向です。


そして
1990年ごろの地震計及び傾斜計の配置
(ありゃ!たまたまわたしが今記事を書いている24年前?)

{FBC5764F-4D44-46EE-BBD3-023BDF79163E:01}

{90EF077D-943A-4E8C-8DB0-8CF280E49822:01}

そしてこれが最新の観測体制!
点線は半径10キロ以内。
こんなにもたくさんの計器が富士山に取り付けられて
万全だということなのでしょう。


防災科学研究所のHPでは
連日の情報が誰でも見ることが出来ます。
わたしも良く見ていましたが
最近は見なくなりました。


{EA1088E9-9E93-4CAA-8B27-61915BBC7EA1:01}


結論からいうと
富士山のマグマは推定20キロから30キロくらいのところで
現在動きはないとのこと。


そして今日はあと2ヶ月で
東日本大震災、すなわち3.11から3年経とうとしています。


鵜川氏は
大地震と火山噴火は連動するのか?という
皆が一番知りたい情報にたいして
他の沈み込み帯に関してのデータを提示してくれました。


今日行ってよかったと思う話がこれでした。

チリ地震 1960年 M9.5
カムチャッカ地震  1952年 M9.0
アラスカ地震  1964年  M9・2
スマトラ地震  2004年  M9・1


いずれも周辺の火山が3年以内に複数噴火しています!


でも
もし2011年3・11から3年以内に
日本の震源地に近い火山が噴火しなければ
初めてのケースになるそうです!


これってすごくないですか?


桜島は以前から噴火していたし
西ノ島の新島は
震源地から離れすぎているようです。


もっともあと2ヶ月あるので、油断はできませんが。




でも
初めてのケースって・・・


なんだかほっとしてしまいました。


こいつは春から縁起がええわいな~。


油断してはいけませんよ。


火山性微動でもあれば
わたしがいち早くみなさまにお知らせいたしますからね。


まずは


めでたし
めでたし。

11の日に、富士山の湧水巡り

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おはようございます。


今日は2014年 1月12日





「11」の日です。





昨年から十一面観音にご縁があるのですが


十一面観音さまは


水を司る仏様で


水は十一変化をするからだと


darakoyaのdaraさんから教えていただきました。





雨、雪、雹、霰、霞、霧、雲、氷、靄、霜・・・





ひゃあああ!


あとひとつがどうしても出てきません。


どなたかお解りになったら


教えてくださいね!





こんな日に


富士山の湧水めぐりって


なんてタイミングがいいんでしょう。


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昨年からずっと工事中だった

富士山の西側にある「白糸の滝」が

ついにお披露目になるのです。






静岡県と富士宮市は、

この白糸の滝を明治ころの姿に戻すべく

ずっとみやげ物やを撤去させて工事をしてきました。






さて

今日そこに行くのですが

どんな姿になっているのかしら?

とても楽しみです。






そして

「おびん水」!

こちらは初めて行くことになるのです。


そして

富士宮浅間大社の「湧玉池」

近くの「羽衣池」

「よしま池」もめぐります。











もどりましたら

報告をさせていただきますね。






それでは

行ってきます。

水を巡る旅人たち その一 「瀧と虹」

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ここは地球という水の惑星。
ここでは誰でも
水を巡る旅をしているようです・



知らず知らずのうちに

あなたも

わたしも・・・。



ここでは水はエネルギー

水がないと、全てものもが息耐えてしまいます。

太古の昔から、ひとは水を求め

しかし水は時には人をさえぎり、隔て

ときには命を奪う。



それでもいのちは波間に漂い

宇宙よりの光と、この惑星の内部からくるパワーに支えられています。



わたしは今回の世を

たおやかに緑がしたたり水の恩恵に溢れる

小さな島国に生きることを選びました。



ちょうど

今、このブログを呼んでくださる

あなたと同じようにね。





今日は、総勢10名で
とうとうと流れる水を眺める日です。
この水は大地から沸き
海へと流れこむ。
たくさんのいのちを育み
またたくさんのものを押し流して。


この水はどこから来たのでしょうか。

{325E08D8-255F-4995-847D-6D99B16ACA71:01}

そう
このお山が生み出した水。


二つとない山
不二の山が
雲をつくり霧を生み
それは雨や雪を呼び

雪解け水や降った雨がやまに染み込んで
山の下をゆっくりと流れ、溜まり、溢れる。


その大量の水が
古い山と新しい山の異なる層の間を流れ

{72F41925-E662-40A5-8FCE-6BB0E3C9797C:01}


瀑布となって流れ落ちる。


その名を「音止の滝」という。
古富士泥流と新富士溶岩の間から・・・



{15EE3F70-A273-4C6B-97C8-6DCC0BCBB1FB:01}

{400D8312-8938-4075-991E-4FBB07D4EF0B:01}

このおやまの神
「仙元大神」とも
「あさまの大神」とも呼ばれた。


このおやまの頂きにおわします
その神に会うためには
草山三里
木山三里
焼山三里の険しい道を登らなくてはならなかった。


そして
六根を清浄とするために
清き富士の水で禊祓いをする必要があったと
古のひとびとは考えたのです。



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「白糸ノ瀧」


高さ20m
巾150m


この飛沫を浴びるだけで
清涼なる波動に戻れるような気がする。


このおやまのあちらこちら
どこへ行っても
ある人物の名に行き当たります。

この水を巡る旅は
この名から始まりました。


その名前は

「源頼朝」





水を巡る旅人たち その二 「頼朝とイワナガヒメ」

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この日はこのお二方、というのでしょうか。


何しろ、
「源頼朝」にはじまり
「磐長姫(イワナガヒメ)」に終わりました。


記紀神話の神さまの名前は好きなのですが
以前にもお伝えしましたが
わたしは漢字の人名が覚えられない。
ミナモトもタイラもフジワラも
シンゲンもケンシンも
興味がまったくわかないのです。


だけど、この日は
また???
また?ヨリトモさん???


というくらい、思いっきり行く先々ででましたね。
というより
「富士の巻き狩り1193年」というのは
富士山の歴史を知るのには
さけて通れなかったのかもしれません。



「音止の瀧」

なぜその名がついたのか


それには少し歴史のお勉強をしなければならない。
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「曽我兄弟」の図



{8E39B911-9B5E-48C0-AC2F-7916F46A4858:01}

これが曽我兄弟の隠れ岩といわれる名所旧跡。
白糸ノ瀧のすぐそばにあります。


「わあ~!溶岩!」
「玄武岩質!」
「いつごろの溶岩流?」


うわっと!
今日はその話はやめましょう。


1192年鎌倉幕府が樹立(イイクニつくろう鎌倉幕府!)
その次の年に源頼朝が行なった「富士の巻き狩り」
いわば軍事演習であり、
京に対して、幕府の力を見せ付けるデモストレーションであったらしい。


そしてそのさいに
曽我兄弟が父の仇をここの白糸ノ瀧の近くで討ったという有名な史実がある。
(ごめんなさい、今日初めて正確なお話しをしりました。)
そしてヒソヒソと打ち合わせを兄弟で滝のそばでしたときに
轟々と鳴る滝の音がうるさくて
「うるさい」
といったら
音がピタリと止んだのだという言い伝えがあり
そこから
「音止の滝」と。




曾我兄弟の仇討ち(そがきょうだいのあだうち)は、建久 4年5月28日 1193年 6月28日 )、源頼朝 が行った富士の巻狩り の際に、曾我祐成 曾我時致 の兄弟が父親の仇である工藤祐経 を討った事件。赤穂浪士の討ち入り 伊賀越えの仇討ち に並ぶ、日本三大仇討ち の一つである。武士社会において仇討ちの模範とされていたことが窺える




それにしても白糸ノ瀧は
どんな流れにも
虹の虹彩が投影されて
素晴らしかった。
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なのですが
あまりにも綺麗に工事されてしまって
コンクリートとアスファルトの
つまらない公園のような整備をされてしまいました。


人間のやることは
しょうがないなあ・・・




そしてここからこの瀧の上部にある
「おびん水」に歩いて行きます。




今日の訪れる場所で
わたしが一番楽しみにしていたところ。


ドキドキです。

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水を巡る旅人たち その三 「木之花龍神ヲ祀ル」

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「白糸ノ瀧」には何度も来ているのに

いままでその存在を知らなかった。


「おびん水」


瀧の上にさらに

滝つぼというか

湧き水があるのだ。


音止の滝と白糸の滝は

ともに芝川の上流にあたり

ここで流れはふたつに別れ

また合流して芝川となり


やがては富士川となり、駿河湾へと注ぐ。


遥かなる水の旅のはじまりは富士山の山頂に降った一片の雪なのかもしれず

それがいつのころの雪なのか

一説によれば80年ほど富士の下の水瓶となり貯蔵されているともいわれる。


その水瓶に新たな雪解け水が加わると

プールされていた水は押し出され

海へと向う最初の一滴となるのかもしれない。


この「おびん水」の底から湧き出す水は

いったいどのくらいの間

富士の底にあったのだろう。


{42E610D7-AC3C-4AC7-9886-DAA6CF75CAA9:01}

古えの人びとは
水には龍が住むと考え
ここに三体の龍神を祀った。


「由緒
この神泉は、帯の真名井といい
千古穢れをしらぬ富士の真清水である。


木之花竜神
真之御柱竜神
磐長竜神」


との
看板あり。
いつのことかも知れず。

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「木之花竜神」



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左に二つある左側が
「磐長竜神」


真ん中にある「真之御柱」とは
なにものなのだろう。


湧き水の中に、玉子や果物などが沈めてあること
そしてお賽銭などが投げ入れてあることが気になった。


清い水ならその人の行為は
どのようなものなのだろう。

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この場所から白糸の滝が見降ろせる。


漠々とした水のその音を聞きながら
富士と海のあわいの
この湧き水が常盤に清からんことを願った。

「水の日」の 富士百景

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昨日の水巡りでは

どこからでも富士の姿が眺められました。


まだ連載中ですが

没になっても残念なので

富士百景(本当は八景)をおおくりします。


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これは実は最後に訪れたのですが
浅間大社
神田川よりの富士


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北山用水
猪の窪川の河原より




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潤井川の富士東部地震の
河岸崩落現場より



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「狩宿の下馬櫻」
別名「駒止めの櫻」といわれ、
富士の巻狩りのさい、源頼朝が馬をつないだといわれる桜越しに





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淀師湧水より




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よしま池より



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そして
最後の解散場所
さくら公園より。


16時半
すでに紅富士になりつつありました。


「富士宮」のどこから見ても
いつもお山は剣が峰を中央にそびえさせて
いわゆる「三峰」の富士だったのでした。









今日は今から大月に行きます。
昨日とは真反対の富士を
飽きずに眺めてきます。



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