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2013年12月23日12.23
朝焼けが綺麗でした。
2013年仕事納めと 2014年のこと
今年の仕事納めは
山中湖でした。
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神さまのKiss
今朝みた不思議な
夢の話です。
(写真はすべて12月21日の夕暮れ)
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Xmas
今日は
下のとんこつは別のお店です。
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シンクロは続くよ
今年もブログと通して
たくさんのの方たちとお知り合いになれました。
みなさま、本当にありがとうございました。
って
まだ今年は一週間ありますけどね・・・・
年頭にいきなり広島からいらしたロミさんとNさんとは
その後もものすごいシンクロの数々。
思えば不思議なお正月でした。
その記事を読んで
メッセージをくださったのが
山中湖に住んでいるルカさんでした。
そして本当にその後もたくさんの出会いがおとずれて
10月にメッセージをくださったのが
当時西湖にすんでいたchiaさん
それでまたまた不思議世界の探訪とあいなり
あっという間に年の瀬を迎えますが・・・・
(これは12月21日に河口湖でchiaさんが撮った画像
12・25 黄金色の富士山
山中湖のルカさんのお店で
富士山の鬼門と裏鬼門 その一
しかし妙だなあ・・・
わたしは昨日の夜の今頃
頭を抱えていた。
パズルのピースがどんどんつながるのだが
どれほどの大きさなのか
とりとめもない。
こうして
またしても動かされているのだ。
しかし今度はいったい
何?
なんのために???
12月11日に「富士山高天原ツアー第二弾」を行なった3日後
わたしは河口湖の図書館に行った。
もういちど
10年前にはまった「宮下文書」の解説本を読んでみようと思ったのだ。
宇宙峰や阿祖山の場所が現在のどこにあたるのか?
裏覚えの箇所もあったので
もういちど検証したい。
河口湖の図書館には「富士文庫」という特別な部屋がある。
そこには自然科学から、火山学から、伝承から
富士山に関わるありとあらゆる本が並んでおり
一日いても飽きないのだ。
ここに入るのは久し振りである。
ここに以前に何度か借りたことのある
「探求 幻の富士古文献ー遥かなる高天原を求めて」
(渡辺長義著)があるのは知っていた。
それだけを借りるつもりだったが
以前に見なかった新しい、あるいは見逃していた妖しい本たちが
本棚にならんでいた。
その本の中から四冊を選んで
富士古文献と合わせて五冊を借りて
家に持ち帰った。
12月14日のことだ。
「富士宮歴史散歩」(遠藤秀男著)
「スサノオの数字」(大井道範著)
「富士の古代文字」(加茂喜三著)
「よみがえる縄文時代・イザナギ イザナミのこころ」(池田満著)
タイトルを見ても面白そうである。
しかし、すぐに本をひらくことは無かった。
それからまたバタバタと時間だけが経っていった。
そして12月18日
大雄山最乗寺へ。
chiaさんが以前に不思議な写真を撮った瀧のある場所。
それだけの知識しかなかった。
で
「本地仏」が「十一面観世音菩薩」
御真殿に初めて靴を脱ぎ
ご挨拶をさせていただいたとき
左右の垂れ幕に始めて出会う「御真言」が書かれていた。
Om maha karunikaya svaha
オーム (聖音)、大悲なる御方よ、スヴァーハー 。
これは
十一面観世音菩薩の御真言なのだという。
初めて口にするのだけど
なぜか懐かしく、心地よく感じた。
その数日後
12月21日
わたしは西湖の樹海のガイドの当番日で
おそらく暇だろうと思い
借りてきた本をすべて車に入れて西湖に向う。
事務所の前に車を止めて
さて、控え室に行くのだけれど
五冊の本は読めるはずもなく
そのなかからすぐに読みたい本を
二冊選んだ
「富士宮歴史散歩」(遠藤秀男著)
「スサノオの数字」(大井道範著)
最初にパラパラとめくってみたのは
「富士宮歴史散歩」だった。
そこでいきなり
源頼朝の「おびん水」が出てきて
わ!おびん水って来月行くところだ!!!と驚き
その話しは記事にしている。
しかしその本を読み進めて行くうちに
十一面観音が
なんと二ヶ所にでてきたのだ!
十一面観音!
いままでその名を知ってはいたが
4日前に最乗寺「に行ったことがきっかけで
にわかに身近に感じるようになっていた。
それが富士宮にあるなんて!
ひとつは驚くべきことに
わたしが富士宮に行くときにはよく通る
「上井出の松」という有名な形の良い曰くありげな松の木の下だという。
そこに何かが祀られているのはわかっていたが
確認したことがなかった。
お墓参りのとき
NPOの静岡事務所に行くとき
そこは必ず通る場所だったのだ。
もうひとつは
「明星山」というところに「星山観音」というのがあり
「星山観音の御開帳」というのがあるらしい。
大きな白布に描かれた十一面観音の画像を一年に一度
三月十八日だけ、野外に垂らして諸人に見せるのだという。
こちらは六十年に一度描きかえるのだという。
初めて聞く話しである。
「コノハナノサクヤ姫が一心に祈っていると
天地がびりびりと動き始め
紫の雲があたりを包みかくし
天から太鼓の音が響き渡り
その合間に鈴の音が聞こえる・・・」
そして十一面観音が姿を現し
その姿をコノハナサクヤ姫が書き写したのが
この画布の起こりだというのだ。
次に
「スサノオの数字」を軽く読んでみた。
「古代出雲と富士山ラインに隠された封印の謎を追う」
サブタイトルは興味を存分にそそる。
この著書「大井道範氏」は何者なのか?
神奈川県小田原の
「龍珠山 瑞雲寺 二十三世住職」とある。
ふうん。お坊様なんだ・・・・
そして
その本尊は・・・・
「十一面観音菩薩」!!!
おいおいおい
いったいどうなっているんだ?
あたまがまたぐちゃぐちゃになり
どうしたもんかと思ったけれど
整理してみようかという気になってきた。
長くなってきたので
プロローグはいったん終わることにします。
あ~~~~
なかなか確信にたどりつけません。
(冬至の日にchiaさんが
明見湖で撮ったという画像を今日いただきました。)
富士山の鬼門と裏鬼門 その二 「やはり明見に!」
クリスマスイブの晩に「やみつき」で美味しい鶏料理を頂いて
家に戻り
彼がもう就寝してしまったあと
わたしは何故「十一面観音」のことを考えているのだろう。
明日の25日に
chiaさんと山中湖のルカさんのお店でランチをしようと約束しているのだが
これには何か意味があるのだろうか?
しばらく考えてから
急に思い立ったのは
山中湖に十一面観音に由来する場所があるのかしら?ということだった。
そこに行く必要があるのかもしれない。
もしかしたら。
そこで検索して見たら・・・
残念ながら自分の記事ばかりが出てきた。
山中湖の人達も「道了さん」詣でに行くのだという話。
そしてそこは本地仏が十一面観音であるという話だ。
違うなあ・・・・
それでは
と思い
「富士五湖 十一面観音」で検索してみた。
そうしたら!!!
富士五湖地方には
十一面観音を本尊とするお寺が
一箇所だけあったのだ!!!
「明見」に!
「引接山西方寺」
なんだか「灯台下暗し」見たいな感じがした。
だって
明見のことであれば
chiaさんが知らないわけはない。
ましてや大明見ではなく彼女が生まれた場所からのすぐの小明見である。
<引接山西方寺>富士吉田市 小明見
-増上寺黒本尊が疎開― 大衆を守る身替観音
日本の象徴、富士山を裾野から大きく仰ぐ富士吉田市は、富士信仰と甲州織で栄えた郡内地方の中心地だ。郊外ではまだ伝統の機織りの音も聞こえ、寺社などの古いたたずまいも多く残る。その地に、大本山増上寺の黒本尊が疎開したという西方寺がある。
この寺の開基は嘉禄2年(1226)、元は臨済宗の寺であった。新田大炊助義重の五男、祖底禅師を開山として大光院方山寺として甲州に庵を結んだのが始まり。その後、文禄元年(1592)に引接(いんじょう)山西方寺と山号寺号とも改め、浄土宗に改宗され三度移転を操り返し、現在の明見(あすみ)に移ったのが享保14年(1729)のこと。
参道を抜け、三門をくぐるとひっそりとした境内には左手に観音堂、その奥に経堂、右手に鐘楼があり、その他七堂伽藍を整える。
200数十年の歴史を語る本堂も今なおその姿を残している。
観音堂には別名身替観音とも言われる十一面観世音菩薩の尊像が祀られる。この十一面観音は、開山の父義重公が源氏代々の守り本尊として信仰したもので開山時から祀られ、爾来七百有余年当時の秘仏として地方大衆の守り本尊となり、天下太平、万人和楽の祈願と続けている。
また同寺は郡内八番目の観音霊場に指定され、甲斐百八霊場の二十八番目にも指定される。江戸時代になると開山が徳川氏と同じ祖先の新田氏に連なることで、幕府から十万石の格式が与えられていた。
太平洋戦争の大空襲で増上寺は焼けおちたが、徳川家康公の持仏であった黒本尊が現在も無事に祀られるのは、当時の住職が命を懸け東京から黒本尊を疎開させたためで、本山からの感謝状も残る。
寺宝としては大小二基の弥陀種子(梵字)の板碑がある。大きい方の板碑は弘長元年(1261)の銘をもち県内では最も古い武蔵系のもので、その他にも多くの宝物が残っている。
訪れた檀信徒と気さくに話す住職は、布教師でもあり教化にかける情熱がみなぎっている。
http://www.e-ohaka.com/detail/id1304057073-147047.html
芝の増上寺の黒本尊?
増上寺には何度かいったことがあるが
徳川家康公縁の大きな寺院である。
そこの黒本尊とやらを明見のお寺が預かったのもすごいけど
「増上寺」でなにやら思い出しそうだ。
そうだ
あそこは江戸城に対しての
裏鬼門だったのではなかったかしら?
わたしの記憶は当たっていて
江戸の鬼門に上野の寛永寺
裏鬼門に芝の増上寺は公然の配置であったらしい。
増上寺の沿革を調べてみると
空海 の弟子・宗叡 が武蔵国 貝塚(今の千代田区 麹町 ・紀尾井町 あたり)に建立した光明寺が増上寺の前身だという。その後、室町時代 の明徳 4年(1393年 )、酉誉聖聡 (ゆうよしょうそう)の時、真言宗 から浄土宗に改宗した。この聖聡が、実質上の開基といえる。
しかしここの芝の増上寺は浄土宗
「阿弥陀如来」を本尊としている。
(それが何故黒本尊といわれる阿弥陀如来を富士山の明見に疎開させたのだろうか?
宗派が違うというのに?)
しかし、1393年まで真言宗であったというから
それまで十一面観音であった可能性があるのではないか?
明見という富士吉田市の地区は
富士山山頂から見て
丑寅の方向(北東)にあたる。
すなわち「鬼門」
そこにある西方寺が
江戸の「裏鬼門」の増上寺の黒本尊を預かる。
これはいったいどういうこと???
このあたりから
点と線がつながってくる。
また
とんでもない深い淵に
足を踏み入れたようだが
十一面観音を富士山北麓に見つけてしまったことで
今宵は安心して眠れそうだ。
きっとchiaさんはここをきっと知っている。
明日聞いても遅くは無いだろう。
で
次の日はまた
びっくりするようなことが待っていた。
Om maha karunikaya svaha
オーム (聖音)、大悲なる御方よ、スヴァーハー
。
オン マカ キャロニキャ ソワカ
富士山の鬼門と裏鬼門 その三 「江戸時代に迷い込む」
この日の朝一番に
わたしはchiaさんにメッセージを送った。
「引接山西方寺というお寺に帰りによってみたいのですが
ご存知ですか?」
答えは
想像以上!
「わお~!!
そこは姪っ子が通っている幼稚園!
わたしもかつて通っていました・・・
是非行きましょう~。」
って!
すごくないかしら?
ルカさんのお店でランチを楽しみ
濃い内容で笑い転げたあとは
「じゃあ
あとをついてきて下さい。
けっこう狭い道を行くんですけど。」
山中湖から富士吉田の小明見まで
chiaさんのちび青龍ちゃんにくっついて行く。
彼女は自分が通っていた幼稚園に隣接するお寺のご本尊が
「十一面観音さま」なんてまったく知らなかった。
それはそうだろう。
子供の頃に近所にお寺とかあっても
宗派は、とか
ご本尊は・・・なんて興味はまったくない。
ただ「お寺さん」。
そして神社であれば村の鎮守のお祭りともなれば楽しいイベントであるが
お寺さんは自分の菩提寺でもない限り行くことはない。
何しろお墓とかあって子供が遊ぶ場所でもないし・・・
「十一面観音さま」なんてまったく知らなかった。
「たまたま」わたしが前日の夜に
ネット検索するまでは。
そしてそれが「たまたま」chiaさんの幼稚園の隣だったために
このようにスイスイと案内していただける。
妙だなあ・・・・
狭い道を右折し
左折し
車はどんどん進んでいく。
きっとわたしひとりでは今でもたどりつけないだろう。
そしていつも思うのだが
忍野と明見は
歩いていると
江戸時代に迷い込んだような気にふっとなる。
山中湖は決してそうではないし
河口湖もそんな感覚に陥ることはない。
これは生まれて初めて忍野や明見をおとずれた
9年前と同じ感覚なのだ。
「引接山西方寺」
富士山の鬼門と裏鬼門 その四 「インドっぽくなってきた」
手の数を数えたら16本!
調べてみたら
千手観音さまだったようだ・
なんとwikiではこんな表記が出てきて驚く。
「十一面千手観音」
日本語では「十一面千手観音」、「千手千眼(せんげん)観音」「十一面千手千眼観音」、「千手千臂(せんぴ)観音)」など様々な呼び方がある。「千手千眼」の名は、千本の手のそれぞれの掌に一眼をもつとされることから来ている。千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表している。観音菩薩が千の手を得た謂われとして、伽梵達摩訳『千手千眼觀世音菩薩廣大圓滿無礙大悲心陀羅尼經』がある。この経の中に置かれた大悲心陀羅尼 は現在でも中国や日本の天台宗、禅宗寺院で読誦されている。六観音の一尊としては、六道 のうち餓鬼道を摂化するという。また地獄の苦悩を済度するともいい、一切衆生を済度するに、無礙の大用あることを表して諸願成就・産生平穏を司るという。
板碑とは
空にクロスの雲がかかる日
富士山の鬼門と裏鬼門 その五 「鹿野苑」
本堂にたどり着く。
このとき
沈み行く夕陽のひかりがとても綺麗に
この伽藍を染めていく。
(サルナートは、インド のウッタル・プラデーシュ州 にある地名。ワーラーナシー (ベナレス)の北方約10kmに位置する。釈迦 が悟り を開いた後、初めて説法を説いた地とされる。初転法輪 の地。仏教 の四大聖地 のひとつ。鹿 が多くいたことから鹿野苑(ろくやおん)とも表される。)
あの人がやって来た!!!
今日は
待ちに待った
あの人が来る日・・・・
朝からわたしはそわそわ・・・
あの人とはリアルに会うのは三回目。
今年の3月の「江の島」で初めてお会いして
6月に「鵜の島」
そして12月28日!!!
あの人は東北から長野に入り
安曇野であるかたと会ったあと
本日富士山入り。
待ち合わせは?
河口湖大橋の袂の大池公園に10時半と決めました。
その人とは?
「魂絵」を描く
kanちゃんです!
(あらら!もうすでに記事にされてました~
kanちゃんのブログ)
http://ameblo.jp/kamiko1119/entry-11737236185.html
お会いして、久し振りなので話したいことがいっぱい!
河口湖畔で、まるで近所のおばちゃんみたいに
いきなり立ち話。
そうしたら・・・・
河口湖の水に波がたち
いきなりこちらに押し寄せた!!!
こんなの初めてだったので
すごく驚いた!
なんにもないんですよ!モーターボートも走っていなかったのに・・・
お口あんぐりで写真も撮らなかった!
その後
わたしに付き合っていただき
前回、鵜の島に渡った場所
「大岩」の駐車場に移動。
実はわたしは今日、ここに来るように仕向けられたのです。
その話しはまた別に書くことにします。
少し長いのですが
「神さまの人頼み」
山中湖村に入ると
どんどん雪が激しくなってきました。
ひゃああああ
恐るべし、標高1000m。
フロントガラスが曇ってしまい