PR: チャージのいらない電子マネー、QUICPay
初雪
全てのものの上に
十一面観世音さまが!!!
「御真殿」を御参りした後
さらにおふたりは左側に進んでいきます。
遠くに、仏像のようなものが見えました。
だんだん近づいて行くと
頭にポコポコとした冠のようなものを被っているのが見えました。
あれは?
十一面観世音さま!!!
きゃああ!
わたし、おそらくお目にかかるのが初めてですよ!!!
chiaさん、りなさん
ありがとうございます!
道了さまの正体は
今日は山中湖のカオさんと
電話でおしゃべりしたのです。
あの
富士高天原ツアーでご一緒だったカオさんです。
彼女もこの「大雄山最乗寺ツアー」にお誘いしたのですが
ご都合が合わなくてご一緒できなかったんです。
でも
わたしは「chiaさんが瀧に連れて行ってくれるんだって!」
それしか云ってないんですね。
(だって、大雄山最乗寺って言葉を知らなかったんだもの。)
そうしたら
カオさんはわたしのブログ記事を見たらしく
今日の電話で開口一番に
「どうりょうサンどうだった?」
他の話をしようとしても
「どうりょうサンはどうだった?」
わたしは頭がぐるぐるになった。
「ドウリョウサンてなんだ???」
あれ?
そうか
「道了さま」のことね?
そうしたら
なんと山中湖の嫁入り先のご実家でも
毎年「道了さん」に御参りするのだといいます!
彼女は今までに三回くらい行ったことがあるそうです。
え~~~~?
なんでなんで???
何故山中湖からあの南足柄へ?
「毎年、二月か三月くらいだよね~」
そうなんですか?
毎年???
「天狗さんがすごいよね~!」
はい・・・・
「それが、それが
あそこ十一面観音だったのよ~!」
わたしがそういうと
「へ?そうなの???」
逆にカオさんはそれはご存知ない。
いや~ますます謎が深まってしまった。
西湖のchiaさんのご主人が小さいころから連れて行ってもらったという
「道了さま」
そして富士吉田市の明見のひととかも、昔から御参りに行くのだという。
富士五湖地方で古くから習慣となっているという「最乗寺詣で」!
(富士五湖地方からだと一時間半くらいかかるというのに・・・
そしてそれほどメジャーな場所でもないし)
そしてどうやら、それは「職人さんの寺」というキーワードがあるらしい。
昔はどこからどこまでを職人さんといったのだろう。
chiaさんのご実家は大工さんだというし
りなさんは全然知らなかったというし
そしてカオさんは?お店を経営しているのだけれど
山中諏訪神社と関係があり、職人さんといえば言えるし・・・
いったいここはなに?
さあ
気を取り直していきますよ。
あの三百数十段の両脇に控える
左、カラス天狗さま
でも
「火と水で 神となる」
大峰山修験道の先達
daraさんのご主人のFさんから
今回の「大雄山最乗寺」についての
考察をいただきました!
ご紹介します。
結構疑問が吹き飛んだかも!!!
以下
Fさんからのメッセージを転載させていただきます。
迦楼羅天(カルラ)について。
不動明王と言えば光背で燃え上がっている炎がすぐに思い浮かぶと思いますが
正にあの炎が仏法を守護し煩悩を焼き尽くす迦楼羅炎です。
不動明王と迦楼羅は一体みたいなものですね。
(結界門のカラス天狗)
また、修験者に深く信仰されて来たこともあり、
天狗やカラス天狗は修験者の装束を着ていますね。
(結界門の大天狗)
道了尊も本来は修験者であり、
水の神を祀る所は火の神を祀り陰陽のバランスを保ってきたと思えますので、
大雄山最乗寺奥ノ院本尊は道了尊本地仏である十一面観音であり水場に瀬織津媛を祀ってきたのだと感じます。
(三界大黒天のお水場。この水は甘露であった。)
また、不動明王や天狗を祀ることで陰陽のバランスとしたと思います。「火」と「水」で「かみ」となります。
修験者は今で言うネットワークを結果的に担ってきたと言われております。
古の時代は山を越える事が別の土地に移動する最短の手段であるわけですが、
山は険しく修験者ぐらいしかその任に当たれなかった訳です。
修験者(山伏)は、各地の情報や物資等を運んで行つたのです。
その修験者達が信仰したものが山岳の自然そのものに対する畏れや感謝することから
山の神への信仰、そのお使いとしてのオオカミ信仰、
山の中で方位を確認するために北斗七星や金星への信仰(妙見信仰、虚空蔵菩薩信仰)、
北斗七星の星の並びから水の神である龍神信仰、龍神信仰がさらに観音信仰へと繋がっていったように思えます。
(同じく三界大黒天の甘露水)
関東36不動霊場は雨降山大山寺を1番札所として始まりますが、
元々、現在の大山阿夫利神社(大山祇大神)の場所にあり神仏分離で現在の場所に移されたものです。
阿夫利神社も水の場所であり不動明王と対になっています。
36霊場は不動明王に仕える童子が36人いることからその数としたと思います。
秩父にも不動山 洞昌院が長瀞に在ります。
(以上、転載を終わります)
Fさん
どうもありがとうございます!
めぐりめぐる
「三面大黒天」で秘密が明かされる!
さて
小さいお子さんを連れて御参りしているchiaさんには
参拝客の方から
けっこうお声がかかります。
あら、えらいねえ!
いくつなの???
善男善女の方たちの中で、アイドル的存在になってしまいます。
最初に「麦とろ御膳」を食べたところだったかしら
「三面大黒天の狛犬さんを見たらいいよ」
そう教えてくださったのは。
前回の2009年の御参りでは
おふたりはそこには行かなかったそうです。
今回は
行く流れになりました。
そして
その「三面大黒天」に御参りすることが
今回の必然だったようです。
ここの狛犬さまは子を腹の下に入れて乳を飲ませているのです。
これが
とっても珍しいということで
安産や子育ての神様でもあるとのこと。
すでに昨日の記事でお見せした甘露の水。
そして少しユーモラスな龍神さまの口から流れる甘露水。
旅の終わりに 2013 12・18
今年はほんとうにたくさんのところにぐるぐると行かされた。
でも
最後にchiaさんが連れて行ってくれることになった
この「大雄山最乗寺」は
いままで見聞きしたこともなかったのですが
すっごく楽しく、気持ちよくて、
意味のある時間と空間に思えてきます。
ここの追求的には最後の記事になりますが
この話も
まだまだ終わりはないのかもしれません。
あの石碑に書いてあったこととは・・・・
「当山鎮守三面大黒天を奉納する。
開設にあたりその工を助けた
飯澤、矢倉の二明神と箱根権現の三身を一体とした福徳○○の御像である」
ここで「工」の字がでた!
それは最初にchiaさんが教えてくれた
「大工さんなんかの職人さんが必ず行く」という言葉・・・・
つまりこんな山奥にこれだけの伽藍を建築するには
宮大工や石積みに携わるたくさんの職人がその仕事に従事したはずだ。
最初に地図を見たときに
「矢倉」がとても気になった。
だからここで
矢倉と箱根権現が出たときに
「やっぱり!」という思いがあった。
でも
この三身を一体としたという「飯澤」は、初めて聞く地名であった。
だから家に帰って最初にしたことは
「飯澤 三面大黒天」で検索したことだった。
そうしたら
すごく面白いものを見つけてしまったのです。
「道了さま」は実在の人物で
了庵というかたの弟子。
(了庵さまは神奈川県の大山で活躍、箱根権現の血脈を授けたということ)
道了さまは最乗寺の伽藍を建立するさいに活躍し
のちに天狗となって伽藍を守護した。
既存の山岳信仰の形態に新しい信仰の形態を与えたということです。
(こちらは曹洞宗が山岳信仰と結びついて発展してきた過程と
石工集団と結びついていったという興味深い話が書かれています。)
曹洞宗は、室町時代から江戸時代初期にかけて飛躍的な発展をとげました。現在では全国に一万四千ヶ寺を擁し、単独の宗派としては最大の規模を誇っています。
このように、曹洞宗が全国に広まる際に、その担い手になったのは多くの民衆達でした。一般に、禅宗は武士が担い、浄土真宗は民衆と農民と武士が支えたと考えられていますが、そうした考え方は改められるべきでしょう。
また、曹洞宗が広まった地域に関しては、第一に山間部、第二に交通の要衝、第三に農村地域が挙げられます。
まず、山間部での曹洞宗の展開を見てみましょう。ここでは、山岳信仰との密接な関係が窺われます。
例えば、富山県の立山地方で活躍した大徹宗令(1333―1408)は、立山信仰と深い関係を持っていました。彼は、樵夫(きこり)に姿を変えた立山権現(神)に授戒を行い、その権現から寄進された巨木を用いて立山寺を建立したと伝えられています。また、彼の弟子達は立山の参詣道に寺院を建立し、同派の発展を支えました。
一方、了庵慧明(1337―1411)は神奈川県の大山で活躍しました。彼は、同地方の鎮守である箱根権現に血脈を授け、その返礼として、芦ノ湖の水をその地に湧出させたと伝えられています。また、了庵は近隣の村の飯沢明神や矢倉沢明神にも説法を行ったと言われています。さらに、弟子の道了は、小田原の最乗寺の伽藍を建立する際に活躍した人物ですが、後に天狗になって伽藍を守護したと言い伝えられています。こうした了庵や弟子達の活動は、既存の山岳信仰に、新しい信仰の形態を与えるものだったと考えられます。
次に、交通の要衝での展開を見てみましょう。ここでは源翁心昭(1329―1400)に注目したいと思います。彼は、島根県から福島県までの非常に広い範囲で活躍し、約20カ寺を建立したと言われています。
その中で、茨城県の安穏寺には巨大な石塔が残されています。この石塔や彼の他の事跡から推察すると、彼の周辺には石工集団が存在したのではないでしょうか。と言うのも、寺院を建立する時には土台となる礎石が必要ですが、源翁自身が指揮をとり、石工集団を統率していたのではないかと思われるのです。
また、彼は福島県にある熱塩温泉の示現寺を再興しました。そこでは、何らかの形で温泉の開発にも関わったと思われます。
さらに、彼の逸話で有名なのが、栃木県の那須高原にある殺生石の話です。旅人にいたずらをする魑魅魍魎を殺生石に封じ込め、それを杖で割って退治したということですが、そこは有毒ガスが蔓延する地域でした。ですから、実際には退治ではなくて、有毒ガスを避ける新しい道路の敷設だったと推測されます。
このように、源翁は各地を行脚(あんぎゃ)する際に、職能集団とともに行動し、それぞれの地域の開発等で、多方面の活躍をしたと考えられるのです。
(中略)
では最後に、論題にもある東南海大地震に触れておきましょう。曹洞宗の発展との関係で注目すべきなのは、明応7年(1498)の明応地震です。記録によれば、この地震では、紀伊半島から江戸湾までの広い範囲が、多大な被害を受けたということです。
この大地震にちなんで、松堂高盛(1431―1505)は僧侶や信者への説法を行いました。その中で彼は、人々が神仏に対してみだりに祭酒を奉納し、託宣を受け、その加護を期待することを批判し、むしろ災害から逃れるためには、自己の行いを正すべきだと説いています。
このあたりで
すべての答えがでてきたような気がします。
神格化された修験道者
了庵と道了という人物。
そのかたたちが本当に偉大だったのでしょう。
だから今日まで、敬愛されているのでしょうか。
で
最後は
この「三面殿」で引いた
ある不思議なおみくじの話です。
続きます。
PR: 農業で夢を叶えよう!担い手支える地域の絆-政府ITV
不思議なおみくじの話
ほんとうに最後で最後のお話は
とっても不思議なお話です。
三面大黒天で
りなさんが引いたおみくじを開きました。
小吉?
いいじゃない???
三人の代表みたいな感じで
りなさんが読み上げてくれたのです。
山中湖を通過
キラキラ世界
今朝は寒かった!
樹海に息づくいのち
冬至
明日は冬至。
一年で一番太陽が弱まる日。
それなのに今日のこの太陽の光の強さは
いったいどうなっているのだろう?
心がクスクスと笑い出すような
魂が歌いだすような
そんな人生に向かって生きたいな。
PR: 農業で夢を叶えよう!担い手支える地域の絆-政府ITV
水のつながりと頼朝の「おびん水」
来年の話なのですが。
わたしが所属しているあるNPOの来年企画で「白糸の滝」をふくむ
「新春富士山西麓の湧水めぐり」というのがある。
すでに申し込んでいるのだが
白糸の滝は結構長いこと工事中で
富士山世界文化遺産構成要素にも指定されていたのに
まったく間に合わずに来年工事が終わるので
そうそうに行ってみようとのイベントだ。
(白糸の滝)
「新春富士山湧水めぐり」は
白糸の滝だけではなく、その他の湧水を巡ることになっている。
行程の中に「おびん水」とあった。
初めて聞く名だった。
なんとなく頭にその名が入っていた。
今日は樹海のガイド当番で
先日当番だった「くらさん」から
「もうお客さんが全然来ないよ。読書の日と決めて本を持っていって読んでいた」
そんな情報をもらったので
わたしも今日は読書の日と決め込んだ。
それで
図書館で本を何冊か借りていたので
それを持って行き、午後の2時くらいから開いてみた。
結局二冊ほどしか読めなかったのだが
遠藤秀男さんという方の地元の郷土史研究家の「富士宮歴史散歩」がおもしろく
合間合間になんとか興味のあるところを読んでみた。
そのなかに
「おびん水」があったので
あら?これだこれだ、と読んでみたら・・・
なんと!!!
すごい場所であった。
お鬢水は、白糸の滝のすぐ左上にある溶岩の窪地に湧き出している水で、源頼朝がこの水でほつれた鬢(耳際の髪)を直したという伝説が残る場所。白糸の滝の流れ落ちる音が響く中、静かに水をたたえており、周囲は清らかな雰囲気に包まれている。富士講の霊場の1つでもあり、パワースポットとしても知られるところだ。
http://japan-web-magazine.com/japanese/shizuoka/obinsui/index.html
(パワースポットはいいとして)
まさに「まじ?」という感じであった。
しかも・・・
遠藤秀男さんの本によると
「(長谷川角行が富士講をつくった源泉として)
その基礎力となったのが、じつは白糸滝にある「おびん水」なのである。
今その場所には木華(このはな)竜神と真之御柱竜神、および
磐長竜神が祀られている。」
ゲゲゲッ!!!
自然科学や地球科学
そして火山学や環境科学を深く学ぼうとすればするほど
日本の歴史や信仰の世界にぶち当たってしまうのは何故なのだろう?
わたしは実は日本史が大嫌いだった。
漢字だけでできている人名を覚えるのが大の苦手で
記紀神話の神様の名前などは覚えられるのに
実在の人物にはとんと興味がもてない。
わたしは過去世で日本に生まれたことが今までなかったんではないかしら?
源頼朝さんは富士山麓にたくさんの足跡を残しているようで
どこにいってもその名が出てくるが
まったくといってよいほど興味をそそられない。
にもかかわらず・・・
また!出てきてしまった・・・
おそらく
今興味のある方向と
出てきてしまうファクターの何かを融合しなくてはならない時が
来ているのかもしれず・・・・
とりあえず
来年は
「おびん水」から
新しい謎解きの旅はスタートするのかしら?
みなさま
来年もよろしくお願いいたします。
(まだ早いって!)
冬至の日 宇宙湖(うつのうみ)へ
富士山の東にある
ここは古代「宇宙湖(うつのうみ)」とよばれていた
山中湖
さて
阿祖山を臨む場所
さて
阿祖山とはいったいどこを指すのでしょうか?
アサマやアソは
火山を指すという古代の言葉から来ているようなので
わたしは最初
富士山を指すのだと思っていました。
でも
富士高天原伝説のもととなる
「宮下文書」には
異なる山が出てきます。
来るべきしてやってくる時を待つ
さてさて