今朝みた不思議な夢のお話です。
いつもの山に登る。
(と言っても現実にはない架空の山)
姉と一緒だ。
(姉は東京にいるはずなのに。)
姉に途中で待っていてもらい
一旦山を降りる、
と、
そこに姉の子供たちが待っている。
(わたしにとっては甥と姪だ。)
二人とも、小学生と中学生。
(現在は二人とも30代だ。つまり20年前の状況か?)
子供たちを連れて山を登ると、姉が待っている。
『お母さん!』と
子供達は口々に喜ぶ。
皆で山を登る。
姉の新しい夫が途中で合流する。
(子供たちの父親はすでに他界しているのが現実なのだけど、夢の中では姉に新しい伴侶がいる。)
一緒に登って行くと
分岐点に、矢印の看板あり。
『安達山』
との矢印看板が見えた。
『右側の矢印の方向に行くと
大月に行ってしまうよ』
と
わたしが誰かに話しかける。
左手がいつもの道だ。
すると
一緒に登っていたはずの
義兄が
降りてきて
わたしの耳元で囁く。
『この山は、スイゼイ・テンノーの御陵なんだよ。』
えええええ?
どなた?それって?
わたしが叫ぶ。
姉が訝しがるので、
思わずわたしが
『わたし、古墳が好きなんだよねえ』
と
義兄のフォローのようなことを呟く。
それにしても
スイゼイテンノウ???
すると
義兄が
さらに囁く。
さっきの分岐で
安達山であったでしょ?
あれって
安達天皇の陵墓なんだよねえ。
なにそれ?
なにそれ?
『安達天皇』という
字面だけ見えた。
そこからその二つの陵墓を
俯瞰で見るの。
すると
そこは、
こんなふうに見えたのね。
左手が
スイゼイ天皇
右手が
安達天皇の
陵墓。、こんなふうに陰陽になっていた。
と、
そこで
目が覚めた。
時間は
4:33
なんだなんだ、
と思いながら
スイゼイ・テンノウ
って?
と、
検索してみる。
そうしたら!!!
なんと
なんと、
神武天皇の皇子であり、
なんと、
第2代天皇なのだと!
『綏靖天皇(すいぜいてんのう、旧字体:綏靖󠄁天皇、神武天皇29年 - 綏靖天皇33年5月10日)は、日本の第2代天皇(在位:綏靖天皇元年1月8日- 綏靖天皇33年5月10日)。 『日本書紀』での名は神渟名川耳天皇(かんぬなかわみみのすめらみこと)。欠史八代の1人で、実在性については諸説ある。』
第二代天皇なんだ〜
(もっとも実在性は不明?)
というだけで驚いたのだけど、
さらに
さらに、
こんな記述が。
甲斐国に伝承が多く存在する。山梨県甲府市中央にある甲斐奈神社や甲府市下向山町にある佐久神社、甲府市朝気にある熊野神社は綏靖天皇の御代創建とされる。
甲斐奈神社社伝によると”第二代綏靖天皇の皇子土本毘古王、甲斐国疏水工事を行い、開拓の御業なせし時、中央の山上甲斐奈山に、白山大神を祀る事に始まり、以来延喜式神名帳に載る如く甲斐国鎮守の神として尊崇された”とされる。
佐久神社社伝には”彦火火出見尊の後裔向山土本毘古王は媛靖天皇の勅命により国造として甲斐に入国後、一面の湖水を切り開き平土を得た。住民安住の地を確保した功績は偉大なるものであり、甲斐の大開祖として崇められた”とある。
朝の寝ぼけまなこで
ほんとうに驚いたの!
神武天皇の次の
二代天皇の皇子が
なんだって甲斐国の大開祖なの?
そして
彦火火出見の後裔向山土本毘古王
の話は
たしかに聞いたことがあるぞ、
もうなんだか
あたまがぐるぐるだ。
すると、
こんな記述も出てきたの。
福岡県の神社に伝わる話です。
おば豊玉姫!!!
ですかあ!
さらに
さらに
こんなものを見つけたの。
『他の人はこちらも検索』
ん????
安寧天皇?
わたしが夢でみた、
安達山
は
安達天皇の陵墓である?
とは、
漢字で字面だけ見た。
どう読むからわからなかった。
ということは
もしからしたら???
わたしが
安達天皇
と思ったのは
安寧天皇のことなのか???
しかーも!
この方は
第三代天皇なのだと!
そうなんだ!
だとしたら、
神武天皇から実在が確認されていない
欠史八代のうちの
2代と3代の陵墓が
甲斐国にあるとの
夢???
それにしても、
宮内庁が公式に発表した
綏靖天皇
と
安寧天皇の陵墓は
どこにあるのだろう?
気になって調べてみたら…
奈良県の畝傍山を挟むように
東北と
南西に
おふたりの陵墓はあったのね。
畝傍山といえば
大和三山。
畝傍山を挟むように???
うわー
夢と同じだ!
これは何かの
サジェストなのか?
それとも
ただの夢なのか???
あたまがぐるぐるの
わたしなのです。