今年の一月の終わり
姉が富士山に突然やって来て
代官山のトンネルの話をしたのだ。
それが、
すべての始まりだ。
わたしはこのあたりの地名
猿楽町に秘密があるような気がして
そこを調べてみた。
猿楽町。
その名の由来は
猿楽塚という、古い古墳に由来する事を突き止めたときは、本当に驚いた。
そこは、代官山ヒルサイドテラスという
わたしが1978年に縁した会社があった場所であるのにもかかわらず
そのときまでその存在を知らなかったからだ。
猿楽とはなんなのだろう。
この古墳に眠っているのは
どなたなのだろう。
生まれて始めて
ここに訪れて見た。
このような緑深い場所が
残っていることが奇跡だ。
猿楽でさらに調べたら
こんな記事にたどり着いた。
「猿楽」として確立したのが平安時代中期の頃のことである。当時の猿楽は滑稽芸・寸劇の類であったが、これを披露して生計を立てる専門の芸能集団(座)が現れて各地を渡り歩き、一部には寺社の保護を受けて寺社の祭礼行事と結び付き、その内容を祭事的・宗教的なものに変容しつつ、密教的な呪師猿楽(しゅしさるがく)が誕生した。
呪師猿楽とは、呪師が猿楽芸を披露するもので、儀礼色の濃いものであり、現在の能の「翁」の前身である。諸大寺の法呪師の役(法要などで独特の所作で加持祈祷を行う)が猿楽師に委ねられ、呪師走りと呼ばれる所作が習い伝えられた。こうして諸大寺と強く結び付き、有名になったのが大和猿楽四座、近江猿楽六座である。
呪師猿楽とは、呪師が猿楽芸を披露するもので、儀礼色の濃いものであり、現在の能の「翁」の前身である。諸大寺の法呪師の役(法要などで独特の所作で加持祈祷を行う)が猿楽師に委ねられ、呪師走りと呼ばれる所作が習い伝えられた。こうして諸大寺と強く結び付き、有名になったのが大和猿楽四座、近江猿楽六座である。
これで
代官山の気になる場所の全ての来訪が終わった。
付き合ってくださった五名のみなさま。
本当にありがとうございました。
最後のミッションの締めくくりに向かいます。