そもそも
ここは徳川の水戸藩の屋敷跡だったはず。
でも
突然、そうなったわけではなく
明治になってから
皇室の管轄になり
朝倉邸の管轄の時代を経たようです。
今でも、
旧山手通りの向かいには
朝倉郡の屋敷跡。
馬車が走っていたという
Aさんの霊視も頷ける。
電電公社の集合住宅があったということは
元々は官営の土地が
払い下げられたということなのか。
1956年くらいに建てられたという
電電公社の住宅
突然
きれいに整地された駐車場にて
Aさんが
江戸時代のビジョン。
ここに土塀があって
石畳。
その奥に
女中たちが忙しく働いている。
着物は引きずっていない。
地味な着物。
悲しんでいる存在。
全ては
金銭のために。
かつては憩いの場であったのに。
鶯が歌い
それを詠む輩もいたのだろう。
もちろん、縄文のころのように
全てが平等で幸せだったわけではない。
風。
違うよ!
そうだよ!
いつも、風が指し示してくれる。