姪の代官山の話は
少し置いておいて
昨日の姉との話の続きを
先に書いてしまいますね。
話があちこちに飛んじゃって
ごめんなさい。
これまであらすじ?のおさらいと
まだまだどこまでも続く
わたしを動かしている大きな潮流のお話です。
先月末に姉が突然富士山に来て
代官山のトンネルの話して、それをブログに書いた。
そしたらそれを見たK子さんがそちらに行き
次の日には渋谷川が気になると・・・そしてそれからそれから
わたしは新宿御苑の玉藻池にたどりつき
ついでに神田上水を調べたら、お江戸日本橋にたどり着き
徳川家康と天海坊
はてさて平将門と、ついでに京都まで足を伸ばして
桓武天皇や安部清明にまでつながってしまったんだ。
姉が来た1月末には
「日本の歴史なんて興味がないよ」といっていたわたしが・・・
昨日、一連の話の流れから
気になって、姉に聞いてみた。
「平の将門はなにか感じる?」
「あんまりなあ。
だってわたし源氏だから。」
きゃ~~~~~!
なんという断定!
やっぱり姉は笑える。
われらが菩提寺は先日水巡りをした周辺にあり
ここいらは「源頼朝」の史跡だらけなのだ。
「将門はね、平と藤原に討たれたんだよ。
だから、平家ってわけでもないの。
日本三大怨霊のひとりでね、」
と、最近調べたにわか知識を披露するわたし。
将門はね、坂東、つまり関東平野でとても大きな勢力を持つようになって
それで京都からみたら朝的となってしまって、
それで自分のお兄さんたちに討たれたの。
渋谷川で。
そして旧暦だけど、2月14日!
このあいだの大雪の日と同じだよ!
「へえ、お兄さんに・・・
じゃあ源義経と頼朝と同じ構造だね。」
出た!
わたしの苦手なNHK大河ドラマ的時代背景。
じゃあ、これはどうだ!
「将門はね、京都では怨霊として怖れられたけど
ほんとうはこの坂東でいろいろな揉め事を解決してあげた
ゴットファーザーみたいな人だったかもしれないの。
徳川家康はその将門を江戸の守り神として祀って
江戸に北斗七星の結界を張ったらしいよ。」
これは1990年代の半ばに出版された
加門七海の「将門魔方陣」の受け売りだ。
でもあのころ、わたしはこの魔方陣と
父の人生の妙な符号に気がついていたんだ。
「ふうん」
これでもまだ
姉は、わたしは源氏だから、といった表情・・・
じゃあ
その北斗七星の頭と尻尾は
どこだと思う?
わたしは姉に尋ねた。
代官山?
ちがうよ!
もっと身近な、
鎧神社!