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Channel: トヨタマヒメ富士日記
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「鶴と亀の謎」 わたし(たち)を呼んだもの その五

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ほんとうにいつも走っていた富士急行と平行する

富士吉田の駅(現在は富士山駅)のほんの北側に

その神社はありました。


松尾神社。


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地元の方でなければまったく知る由もない・・・


そこは古いケヤキの大木や樅のご神木からすると

由緒と歴史のある神社なのでしょう。



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松尾神社で調べたら

それは日本全国に散らばって存在していますが

松尾大社という京都にあるものが

その起こりのようでした。


秦忌寸都理(はたのいみきとり)という実在の人物が

松尾山の神 「大山咋神」を祀るとあります。

そこの山頂近くに磐座とされる巨石があるといいます。



当社の背後の松尾山 (223m)に古社地があり、山頂に近い大杉谷に磐座 とされる巨石がある。5世紀ごろ、渡来人の秦氏 が山城国一帯に居住し、松尾山の神(大山咋神)を氏神 とした。大山咋神については、『古事記 』に「亦の名は山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し、亦葛野の松尾に坐して、鳴鏑を用つ神ぞ」と記されており、古事記が編纂されたころには有力な神とされていたことがわかる。

大宝 元年(701年 )、勅命により秦忌寸都理(はたのいみきとり)が現在地に社殿を造営し、山頂附近の磐座から神霊を移し、娘を斎女として奉仕させた。以降、明治初期に神職の世襲が禁止されるまで、秦氏が当社の神職 を務めた。

また秦一族は酒造技術に優れ(同社御由緒)、狂言「福の神」によると、松尾神は「神々の酒奉行である」とされて酒造関係者の信仰を集める。同社の神事には「福の神」が奉納される。

平安 遷都により、皇城鎮護の神として崇敬されるようになり、「賀茂 の厳神、松尾の猛神」と並び称された。『延喜式神名帳 』では「山城国
葛野郡 松尾神社二座」として名神大社 に列する。また、二十二社 上七社の一社ともなった。

近代社格制度 のもと、明治 4年(1871年 )に松尾神社として官幣大社に列格し、戦後は別表神社 となった。昭和 25年(1950年 )に松尾大社に改称。



入ってすぐの右手にある手水舎で

chiaさんが


「ほら、ここは亀さんなんです。

普通は龍さんなのにね。

珍しいでしょう?」と指をさした手水舎の亀さん。


残念ながら画像を撮らなかったのですが

京都の「松尾大社」を調べていたときの手水舎の亀さんの画像をお借りしました。



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そこはお酒の神さまらしく

そういえば「亀の井」という有名なお酒がありますね。


亀で思い出したのが

同じくおめでたい「鶴」


私たちの住んでいる富士山北麓は

「南都留郡」というのですが

都留市の「つる」は、徐福伝説に基づくもの

とする伝説が残っています。


徐福が死んだあとに鶴になって飛んで行ったので

鶴の名転じて「都留」になったというわけです。

また、徐福のお墓だという伝説の「鶴塚」というのが山中湖にあり

湖畔にその名のお土産物やさんがあります。


秦の始皇帝の命により蓬莱山に不老不死の薬を探しに来たとされる「徐福」が

養蚕や機織などの技術を大陸から日本に伝えたという伝説が

日本のあちこちに残っていますが

ここ富士山麓にも「徐福伝説」は根強いのです。


富士吉田や山中湖に多くいる「ハダ姓」も

秦氏の末裔とされているし

そのひとりが

「chiaさん」その人だというわけです。


それにしても

「松尾神社」

「松尾神社」

「松尾神社」

三回耳元でささやいた彼女の夢に出てきた知らない男の人って

いったいどなただったのでしょうね。


さあ

ここも謎を残したまま

今日最後の訪問地に急ぎましょう。


これまた

chiaさんがごくごく最近夢に出てきた場所。


「大きな石に「豊玉姫」って書いてあるのを夢で見たんです。」


もちろん現実にはそんなものはありません。


その夢をたよりに

わたしたちは動く。


動かされていきます。


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