初午というのが二月の初めての午の日というのは
旧暦に照らし合わせ節分後の初めての午の日ということで
それは何となく理解できたのですが
お稲荷さんといえば
お狐さん。
それと午?馬?とどのような関係が???
ずっと疑問だったことが氷解しました。
稲荷山という山に伏見稲荷のご祭神
「宇迦之御霊神」が降り立ったのが
初午の日だったのですね。
http://ameblo.jp/mizunotunagari3776/entry-11769767741.html
ここ富士山にも似たような由来があり
辛申(かのとさる)の日に富士山が突如出現したといわれていて
だから富士山のご眷属は猿なんですね。
お稲荷さんが少ない富士山北麓
それは溶岩だらけの土地では田圃や畑が出来なかったため
穀物神であるお稲荷さんは重要ではなかった。
山仕事をしたり、お蚕さんを飼ったりするこの地方では
そちらの神さまが重要だったのですね。
それでも
浅間さま(富士山のコノハナサクヤ姫を祀る)には
「稲荷社」がありました。
せっかくの初午の日
午年の初午
これは縁起がいいわいな・・・
単純な理由で、ここまでChiaさんを誘ってきてしまったのですが
まだ二歳にならないMクンの怖がること・・・
思えばわたしは方々の神社にあるお稲荷さんを
ほとんどスルーしてしまいます。
三峰さんなどあれば
「わあ、お犬さま!」
といって必ず手を合わせるのに
といって必ず手を合わせるのに
オオカミもキツネも
同じ犬科なのに何故なんでしょう?
そうしたら
なんとChiaさんも同じだというのです。
ふたりとも
なんどもここに来ているのに
この稲荷社にはお詣りしたことがなかったのです。
不思議ですね。
でも、イヌ科のキツネ属キツネの名誉(?)のために
お稲荷さんがなんで「お狐さん」といわれているのかを
わたしの知っている範囲でお伝えしておきますね。
もともとはお稲荷さんは「稲を背負う(荷なう)宇迦之御霊」
という穀物の神さま。
穀物の蔵などにやってくるネズミが大の天敵で
正倉院時代の蔵には「ネズミ返し」というものが柱についている。
しかしネズミも頭のいい生き物なので、どんなことをしても蔵に侵入してくる。
それで、ネズミの天敵である、蛇や狐は、正義の味方だったのです。
蛇の神さまのことを「宇賀神」と表現することがあるけれど
これは「宇迦之御霊」が変異したものだと考えられます。
そして「おきつねさま」は狛犬よろしく
「稲」を守る眷族になったとさ。
これはかなり具体的に、狐という哺乳類は穀物蔵を守ってくれまして
昔は校倉作りなどの高床式の柱のそばに
狐の好きな油揚げを置いておく。
それを嗅ぎ付けた狐が定期的にそこを巡回し
マーキングする。
その柱をネズミは怖れて近づかなくなる。
一方人は定期的に狐にご褒美の油揚げを置いておく。
こういった具合です。
それで
油揚げに酢飯を詰めたものを
「お稲荷さん」と呼ぶようになったのです。
その後お稲荷さんは交通の神さまやら
庶民の信仰をあつめて商売繁盛の神さまと変化をしていきました。
わたしたちが稲荷社にあまり近づきたくなかったのは
オキツネさんがいやなのではなく
現世利益を求める人の想念がうようよしているからかもしれません。
この初午の日
わたしは稲荷社に
「いやさか、ますます本来のお働きが出来ますよう」
と祈りました。
なんとそこは旧姓の
さて
無事に稲荷社にお詣りしたあと
chiaさんは
わたしを「松尾神社」というところに行きましょう、と誘います。
それは「富士吉田駅(現在は富士山駅と改名しましたが)」の
すぐ北側にあるというのです。
それは彼女の旧姓と関係が深いところでした。
「夢を見たんです。」
「実家の近くの浅間神社(吉田の小明見)が夢にでてきて
まったく知らない男の人が
「松尾神社、松尾神社、松尾神社」って
三回言うんです。
それで気になって調べてみたら・・・」
なんとそこは旧姓の
「ハダ氏」の産土だったというのです。
ちょっとまって!
「松尾神社?聞いたことがあるなあ。」
わたしは首を傾げました。
「なんだか、九州だかどっか?
ううん。違うなあ
京都かしら?」
「京都ならあるかもしれない!
何しろ「秦氏」と関係があるみたいだから!」
と、dhiaさん。
その直感はどんずばり!
「松尾大社」なるものが
京都にあったのです。
それが何故
富士吉田に?
やっぱり徐福伝説?
明見地区や山中湖に多い「ハダ姓」は
自らが秦の始皇帝の末裔だという伝説を持っています。
そこの地域の大切にされている「秦氏」を祀る神社???
またしてもジモティでないとまったく知られていない場所に
連れて行ってくださるといいます。
それも
またまたきっかけが
「夢」!
いったいそこは
どんなところなのでしょう?