あの事件から2ヶ月たったあとの北京の町は
何事も無かったかのように表面だけ装っているのだろうか。
いや、しかし
町には戦車が走り
いたるところに人民解放軍という名の軍隊がいて
整然といて物々しい雰囲気だった。
天安門広場は封鎖されて
軍が占領していたので人民は入ることが許されない。
わざとSは近づいていき
憲兵に銃で制された。
「北京飯店」というその頃は北京で一番有名なホテルに泊まったけれど、そこのレストランは退屈で、わたしたちはすぐに飽きてしまった。
やがてホテルを抜け出して
路地裏の庶民的な店などで普通のチャイニーズが普通に食べているものを見たかったが、タイで味わった混沌とした市場の香辛料の匂いのようなものがここでは見つからなかった。
どうしようか・・・
実は行きたいところが北京の他にもうひとつあった。
それは雲南省
チベットや南はラオスやカンボジアと国境を接する「稲作の故郷」
そして、少数民族の坩堝であるらしい。
8ヶ月前に行ったタイのゴールデントライアングルにかなり近いところに
「シーサンパンナ」という村があり
そこでちょうど「水かけまつり」という変わった祭りがあるということだ。
タイのアカ族やシャン族とルーツ的なつながりがありそうだ。
まずは北京を脱出して、昆明(クンミン)という雲南省の首都に国内線で向うことにした。
しかし、共産主義国は当時全て国営で
サービスやおもてなしという心がない。
キューバはそれでもラテン民族なので、陽気ではあったが、やはり他のラテン諸国とは
何かが違う切羽つまったような少し思い空気が流れていた。
一番驚いたのは
この国の人たちが「並べない」ということだった。
国内線のエアーチケットを買う北京というこの国の首都でさえ
このときは窓口にたくさんの人たちが押し寄せて
並ばずに押しくら饅頭をしている。
そして奇声を上げていると思いきや
自分が欲しいチケットの便と行き先を書いた紙と紙幣をにぎりしめ
後ろから、あるいは横から、
皆が窓口に向って、腕を伸ばしているのだ。
窓口の国家公務員の女性は、一番手前の手ににぎられているものからそれを受け取り
その便があいているかを調べる。
答えはほとんど
「メイヨー(ありません)」
わたしが最初にこの国で覚えた言葉。
どこへ行っても、なにを聞いても
「メイヨー」
「メイヨー!」
「メイヨー!!!」
ぶっきらぼうにそっけなく、その言葉が鳴り響き
その窓口のうしろにある時刻表で仕方なく何度も調べ
やっとわたしたちは北京を脱出するチケットを手に入れた。
首都の北京でさえこの調子なのだから
地方はどれだけのことが待ち構えているのだろう。
しかしこの非日常空間にめまいを感じながらも
摩訶不思議な大国に幻惑され始めていた。