レイ・ブラッドベリの小説のように
たそがれの11月がやってきた。
父が逝って49日が過ぎたころ
会社から新宿の家に戻ると、
父の部屋がすっかり綺麗に片付けられていて
ダンボールが積み重なっていた。
玄関の父の靴もすっかり無くなっていて
母が「亡くなった人のものをいつまでも置いておくと成仏できない」
と、どなたかから言われたらしい。
家に帰れば、この家を売ろうと母と姉が算段していて
「あなたはどう思う?」と意見を求められた。
わたしは父のように答えた。
「あなたがたの好きにして」
春夏のコレクションのカタログ作りでそれどころではない。
Yが立ち上げた新しいブランドの販促活動と重なって
目が回るような忙しさだ。
また、どこか海外に逃げて充電したくなってきた。
そろそろ年末にどこに行こうか決めておかなくてはならない。
そんな頃
Sがタイに行かないかと提案してきた。
カンボジア、ミャンマー、タイの国境にある
ゴールデントライアングルに行きたいのだという。
わたしは中南米ばかり集中的にひとりで旅行してきた。
メキシコ、キューバ、ペルー、ジャマイカなど。
考えてみたら、アジアへはフィリピンくらいしか行ったことがない。
タイか・・・
俄然興味が湧いてきた。
毎日がただものすごいスピードで流れていく。
秋には暖房をガンガンかけて春夏物の撮影。
春にはエアコンを効かせて秋冬物の撮影。
年末年始は海外に行って、真っ黒になって帰ってくる。
まったく季節感のない暮らし
不自然、反自然な暮らしを繰り返していた。
「○エと離婚が成立したよ」
1988年、11月
Sが言い
家に来て欲しいといった。
アトリエとしてSが借りていた目黒のマンションに
初めて足を踏み入れた。
11階に玄関があり、12階がリビングとベットルーム。
12階からものすごい勢いで喜びいさんに犬がSに突進してきた。
まるで弾丸のように。
噂には聞いていたが
それが愛犬Pとわたしの初めての出会い。
小学校高学年くらいまで、家で犬を飼ってはいたが
それからはずっと猫だらけの暮らしをしていた。
犬は久し振りでどのように接していいかわからない。
それまで面倒を見てくれていた○エさんの代わりに
週3日京都の本社に行っている間、
この犬の面倒を見て欲しいというのだ。
犬は大好きだから大丈夫だよ。
「犬じゃない。Pだ。」
突進してきて体中で喜びを表現している。
しかしわたしは無視して
ひたすらSにアイコンタクトをしている。
「おかしな生き物だなあ
猫とは全ぜん違う・・・
大丈夫かしら?
わたしに懐くのかなあ。」
この年から今日まで
さらにおそらくわたしが死ぬまで
わたしは犬無しでは生きられない人生になってしまった。
犬の一途さ、愛らしさ、懸命に生きるということ
それを教えてくれたのも
犬との接し方を教えてくれたのも
また、Sであったのだ。