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ココロの旅 「魂をつなぐ」

1990年に次にわたしが出会ったのは

「ヨガ」でした。

今回そのことを書くにあたって

そういえば、「ヨガ(ヨーガ)ってどういう意味だったっけ?」

そんな好奇心が頭をもたげ

調べてみたら・・・



直接の由来は

「馬のくびきをつなぐ」だったというのです!



「正しい道に行くように、馬を車をつなぐ」

そこから宇宙と魂、魂と肉体をつなぐ修行法と派生したようなのです。



ちょっとびっくりです。

何故なら結局わたしが「ヨガ」を習っていたのは

この午年の一年間だけだったからです。



またしても午年とのことで、小さなシンクロにびっくりでした。






そのころ、わたしは

六本木にある、ヒップホップのダンススタジオに通っていた。

といっても気が向いたときに行く程度だったけど

それよりジャマイカのダンスがお気に入りで

腰を落として踊る現地の女の子にひたすら憧れて

西麻布の「クラブジャマイカ」で

週三回は練習に通っていた。

(というか、遊んでいた。)


時はバブルで、いわゆるお立ち台のある「ディスコ」には

ワンレン、ボディコンの女性たちが扇子などを振って踊っていたらしいけど

わたしたちの仲間はまったくそちらには興味が惹かれることはなく

「ピカソ」とか「ブルー」といった

霞町や西麻布の小さなダンスクラブで

知り合いのDJがプレイする日をねらって

ナイトクラビングを楽しんでいたのだ。




そんなわたしが

いきなり「ヨガ」に通い始めた。


「ヨガ?」


回りはほんとうに驚いたに違いない。



会社ではあらぬ噂が立ち始めた。


そのときわたしは広報室で「プレス」というセクションにいたのだが
後輩のMちゃんがわたしに言った。


「今朝、経理に行ったら
Tさんが、オタクのチーフ、最近怪しい所に出入りしているらしいね。
って言われちゃったんですけど・・・・」


そうなんだ・・・・


六本木のヒップホップダンススクールは怪しくないのに
ヨガ教室はやっぱり変かなあ。


あのオウム真理教事件の五年前である。





「翔卯」の地下一階で毎週水曜日の夜に行なわれるヨガ教室は
場所柄もあり、なかなかおしゃれな雰囲気だった。


健康になりたい、というよりは
わたしのようにいきなり「遅れてきたニューエイジャー」に
なってしまった若い人が多いような気がした。


最初は、またしても好奇心の塊となって
どんな変化が訪れるのか、それこそワクワクして待っていた。

その間、またいわゆる精神世界系の本をたくさん読んで
いつものように「頭でっかち」になっていった。


しかし、そちらのスクールは
どちらかというとヨガのポーズは準備運動のようなもの。
メインは「ヨガ瞑想」だった。

深く、深く
さらに深いところには何があるのだろう。

瞑想の段階が深まるに連れて
例によってまた「はまって」行ったのだ。


ある日、先生(とても小さくて痩せた男性だった。名は忘れてしまった)が
とっても深いところまで行って帰ってこれないような深い瞑想状態に入ったわたしに
「○○さん、そこまで行ったの初めてだね」とおっしゃったので
当たり前かもしれないけど、わかるんだ!と驚いた。
そしてよくオーラの話をしてくれた。
終わった後にお茶を飲みながら
生徒の前世話などを面白おかしくしてくれた。
生徒同士で
「前世は僕の妻でしたね」「わたしもそれがわかりました」.などと話している。
やっぱり怪しい世界だな、と思いながら
それでも毎朝、ひとりでヨガ瞑想をするようになった。

太陽の光を浴びながらしたり
隣の敷地にある営林所(目黒駅のすぐそばにけっこう広めの土地があり
そこに一本だけ大きな木が生えていた。)
その木と交信したりしていた。

そのころ、わたしは人生で最高額の家賃55万の
目黒の12階建てマンションの最上階にある
Sのところに同居していた。

それは、Sが自らの才能、運、努力で手に入れたものだったが
(そこの家賃と光熱費等は、Sの会社が支払っていた。)
わたしは父の死がきっかけで、Sと同居することになり
結果、六年そこに住み
その後今の彼と知り合うまで、信州の「週末田舎暮らし」を二年ともにした。

その八年間は全てが順調というわけでもなく
惚れたはれたは最初の二年くらいなもので
そのうち
わたしの好きな言葉、「コンパニェーロ(キューバでいう同志)」
つまり同じ志を持つというのに相応しい関係になっていった。

わたしが会社を辞め、自分の会社をつくったり
バブルが崩壊して、
Sがそのマンションに居られなくなったりして
けっこうな大立ち回りもあったのだ。
でも、不思議なことにそれらは全てわたし自身の成長のためには必然で
こうして思い返してみると
ものすごくエキサイティングでそれこそワクワクするような毎日であったことに
今、これを書きながら気付かせていただいている。

さて
話しを「ヨガ」に戻すと
そのマンションには自慢の「富士山が見えるジャグジーバス」があって
(それはその部屋だけについていた)
そこで毎日
シャーリーおばさまを気取って
蝋燭の光で瞑想しながら長湯をしたりしていた。
そのころ体得したこともあって
その話を何故書かないかというと
現在は、それがすっかり出来なくなってしまったからである。
人生って、そんなこともあるのだ。


そのうち4月に行なわれる秋冬コレクションの準備に追われて
週に一度のヨガ教室にはいけなくなったけど
先生の下北沢の自宅で土日に行なわれているとの事で
そちらのほうに通うようになった。


当然のように同居しているSにも教えていっしょに瞑想したり
会社の女の子や友人を誘ったりもした。
またしても回りを巻き込んでのはまり具合だったけれど
今こうして思い返してみると、
わたしは自分のベースを一生懸命作っていたのだなあ、と思う。


家を建てるときの「基礎工事」

それが
心と体をつなぐ
内面と外側をつなぐ
「ヨガ」という(わたしのマイブームに見せかけた)工事だったような気がする。


やはり「ヨガ」は
この時点で
「必然」だったのだろう。


(吟遊僧侶日記さん
「チャクラを整え、快適な眠りに導いてくれる音楽」
すごくステキ
聞いてみてくださいね。)

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