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Channel: トヨタマヒメ富士日記
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富士の裏鬼門に 十一面観音を祀ったわけは

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2014年1月12日

合計すると「11」となる、水にご縁の日に行なった

富士山の水巡りは

富士宮市という

富士山からみて西南に位置しています。


俗に言う「裏鬼門」


富士山という火山の火口に対して

おそらくは平安の火山噴火が盛んだった時代には

裏鬼門には延喜式の富士郡三社がすでに存在した。


立宿の福知神社〔オオヤマツミ〕

富士宮浅間(コノハナサクヤヒメ)

明星山倭文神社(タケハヅチ)



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そしてこのエリアには
二つの十一面観音像が祀られています。


今回の水を巡る旅で
ほんの少しだけ
そのヒントが見えてきました。


このあたりには
富士山からの伏流水が湧水となって湧き出し
昔から湧き水が豊富なところでした。


溢れる湧水は流れを作り
大きくは最初に訪れた「白糸ノ瀧」を上流といする「芝川」が
「富士川」となって駿河湾に注いでいます。
そしてもうひとつは「閏井川」
こちらは富士山の最大の崩れ、大沢より流れる大沢川が
途中「飢渇川」という珍しい名の水無し川となり
その後「閏井川」と名を変えるのです。




閏井川上流
確かに水量はそう大くはありません。
午前中に立ち寄った芝川の白糸・音止の両瀧に比べれば。


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しかし、この川の下流部を見ると
いまだにあの地震により崩落した左岸の爪あとを見ることが出来ます。

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2011年3月15日
あの東日本大震災の4日後に起きた
この富士宮を震源地とするM6・9の地震。
未だにここは生々しい爪あと。
コンクリートが吹きつけられ、補強されています。


富士山直下を震源地とした大きな地震だったのですが
当時はフクシマの原発事故が大きな問題となり
ほとんどわたしたち富士麓に住むものしか記憶にないでしょう。




さて
豊富な湧き水を利用して
近年では「わさび作り」や「養鱒」などを盛んに行なっていたようですが
江戸時代はこの水は主に灌漑用水として利用してきました。


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(井出屋敷の高麗門。この後ろに閏井川の崩落現場があります)




頼朝が駒を繋いだという「狩宿の下馬桜」のある場所には
富士の巻き狩りが1193年に行なわれたさいの「本陣」があり
そこには「井出屋敷」があったそうです。
このあたりの「上井出」という地名は
こちらの豪族「井出氏」の屋敷あとからきているようです。

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ここに書いてある「北山用水」というのは
江戸時代に引かれた最古の用水だといいます。


このあたりは湧き水豊富と思っていましたが
ここにも書いてあるように
富士の溶岩流に阻まれ
また溶岩の下に伏流してしまい
このあたりの治水や灌漑用水の確保に
当時の人々はたいへんな苦労をしたようです。


西を流れる「芝川」から「閏井川」へ「北山用水」をつくり水を流し
さらに河口に行けば支流とたくさんもつ「閏井川」の水を
今度は「星山放水路」をつくり
西の富士川に流す。


そして
北山の「上井出」
星山「明神山」
ともに十一面観音!!!


こうして水を巡り旅をしていくと
少しづつ
古えの人びとの水に対する思いが
わかりつつあります。

そして
火山の火は
水をともに祀ることで
陰陽のバランスをとる。
つまり水徳をもって水の神をあわせ祀るのです。

富士山の北麓にあれだけある
「豊玉媛尊」を祀る神社がここにはなぜ見当たらないのか
その秘密にも近づきつつあるような気がします。


この旅のお話しは
もう少し続きます

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