「それじゃあ、行っちゃえばいいじゃない、
ニューヨークに。」
「わたしが予算を出してみるよ。
どのくらいかかるか算出してみるね。」
あの頃のわたしは、まったく怖いものなしだったと
今は思う。
話しはリオデジャネイロから少し遡る。
1989年10月のころだ。
当時、わたしは「MB」というメンズアパレルの日本の草分け的存在の会社に籍を置いていた。
そこで販売促進課という、広報、宣伝を担当する課にいたわたしは
バブル景気とは無縁に生きていると思っていたのは自分ばかり。
年商50億の5%は自由に「広報・宣伝」に使える身分にあった。
それでもひたすら気分は時代に抗い
マイノリティこそがかっこいいと信じていた。
「マス」すなわち大衆的なものにはことごとく「NO」をつきつけた。
ほんとうに今思えば
生意気な若くて感性のみで勝負している、手に余る「担当者」だったに違いない。
チーフデザイナーのYが提案したのは
89年の秋冬コレクションのテーマであった「カラーズ」
すなわちわたしたちイエローまでひっくるめた有色人種のかっこよさを
いかにプロモーションビデオに落とし込むか、だった。
それにはNYのダンサーたちに今回のコレクションの服を着せて
東京の街を舞台に踊ってもらいたい、ということだった。
「ちがうよ、NYにわたしたちが行くのよ」
「しかもブロンクスとか、ABCアベニューとか
彼らの本拠地にわたしたちが服を持っていくのよ。」
そしてね
彼らの聖地に乗り込んで、そして一番熱い人物
たとえばスパイク・リーとかにフィルムを回してもらうの。
「I have Dream!」でしょ?
そう
「I have Dream!」
スパイク・リーにフィルムをまわしてもらうのは
バカンス中ということでスケジュールが取れなかった。
がっかりしたわたしたちに朗報あり。
なんと、彼には弟がいて
映画監督をめざしているという。
彼の名は「サンキ・リー」
未知数、そしてすでにメジャーの仲間入りした兄と違い
マイナーなところが面白いかもしれない。
それで、クリスマスの前に
急遽
NYへ飛んだ。
ADのこれまたY氏から紹介してもらったコーディネーターは
今なら知らぬものはいない
あのエリカさまの元ご主人
「T/T」氏であった。
全予算は3百万。
これは一流の企業がCMフィルムと作るとしたら
かなりなはした金?
でも
ぜったい面白くて新しいものをつくるぞ。
このときのNYの体験は
そのあとのリオやインドにも
そして
わたしの人生にも生きてくるのだ。
