クリスマスイブの晩に「やみつき」で美味しい鶏料理を頂いて
家に戻り
彼がもう就寝してしまったあと
わたしは何故「十一面観音」のことを考えているのだろう。
明日の25日に
chiaさんと山中湖のルカさんのお店でランチをしようと約束しているのだが
これには何か意味があるのだろうか?
しばらく考えてから
急に思い立ったのは
山中湖に十一面観音に由来する場所があるのかしら?ということだった。
そこに行く必要があるのかもしれない。
もしかしたら。
そこで検索して見たら・・・
残念ながら自分の記事ばかりが出てきた。
山中湖の人達も「道了さん」詣でに行くのだという話。
そしてそこは本地仏が十一面観音であるという話だ。
違うなあ・・・・
それでは
と思い
「富士五湖 十一面観音」で検索してみた。
そうしたら!!!
富士五湖地方には
十一面観音を本尊とするお寺が
一箇所だけあったのだ!!!
「明見」に!
「引接山西方寺」
なんだか「灯台下暗し」見たいな感じがした。
だって
明見のことであれば
chiaさんが知らないわけはない。
ましてや大明見ではなく彼女が生まれた場所からのすぐの小明見である。
<引接山西方寺>富士吉田市 小明見
-増上寺黒本尊が疎開― 大衆を守る身替観音
日本の象徴、富士山を裾野から大きく仰ぐ富士吉田市は、富士信仰と甲州織で栄えた郡内地方の中心地だ。郊外ではまだ伝統の機織りの音も聞こえ、寺社などの古いたたずまいも多く残る。その地に、大本山増上寺の黒本尊が疎開したという西方寺がある。
この寺の開基は嘉禄2年(1226)、元は臨済宗の寺であった。新田大炊助義重の五男、祖底禅師を開山として大光院方山寺として甲州に庵を結んだのが始まり。その後、文禄元年(1592)に引接(いんじょう)山西方寺と山号寺号とも改め、浄土宗に改宗され三度移転を操り返し、現在の明見(あすみ)に移ったのが享保14年(1729)のこと。
参道を抜け、三門をくぐるとひっそりとした境内には左手に観音堂、その奥に経堂、右手に鐘楼があり、その他七堂伽藍を整える。
200数十年の歴史を語る本堂も今なおその姿を残している。
観音堂には別名身替観音とも言われる十一面観世音菩薩の尊像が祀られる。この十一面観音は、開山の父義重公が源氏代々の守り本尊として信仰したもので開山時から祀られ、爾来七百有余年当時の秘仏として地方大衆の守り本尊となり、天下太平、万人和楽の祈願と続けている。
また同寺は郡内八番目の観音霊場に指定され、甲斐百八霊場の二十八番目にも指定される。江戸時代になると開山が徳川氏と同じ祖先の新田氏に連なることで、幕府から十万石の格式が与えられていた。
太平洋戦争の大空襲で増上寺は焼けおちたが、徳川家康公の持仏であった黒本尊が現在も無事に祀られるのは、当時の住職が命を懸け東京から黒本尊を疎開させたためで、本山からの感謝状も残る。
寺宝としては大小二基の弥陀種子(梵字)の板碑がある。大きい方の板碑は弘長元年(1261)の銘をもち県内では最も古い武蔵系のもので、その他にも多くの宝物が残っている。
訪れた檀信徒と気さくに話す住職は、布教師でもあり教化にかける情熱がみなぎっている。
http://www.e-ohaka.com/detail/id1304057073-147047.html
芝の増上寺の黒本尊?
増上寺には何度かいったことがあるが
徳川家康公縁の大きな寺院である。
そこの黒本尊とやらを明見のお寺が預かったのもすごいけど
「増上寺」でなにやら思い出しそうだ。
そうだ
あそこは江戸城に対しての
裏鬼門だったのではなかったかしら?
わたしの記憶は当たっていて
江戸の鬼門に上野の寛永寺
裏鬼門に芝の増上寺は公然の配置であったらしい。
増上寺の沿革を調べてみると
空海 の弟子・宗叡 が武蔵国 貝塚(今の千代田区 麹町 ・紀尾井町 あたり)に建立した光明寺が増上寺の前身だという。その後、室町時代 の明徳 4年(1393年 )、酉誉聖聡 (ゆうよしょうそう)の時、真言宗 から浄土宗に改宗した。この聖聡が、実質上の開基といえる。
しかしここの芝の増上寺は浄土宗
「阿弥陀如来」を本尊としている。
(それが何故黒本尊といわれる阿弥陀如来を富士山の明見に疎開させたのだろうか?
宗派が違うというのに?)
しかし、1393年まで真言宗であったというから
それまで十一面観音であった可能性があるのではないか?
明見という富士吉田市の地区は
富士山山頂から見て
丑寅の方向(北東)にあたる。
すなわち「鬼門」
そこにある西方寺が
江戸の「裏鬼門」の増上寺の黒本尊を預かる。
これはいったいどういうこと???
このあたりから
点と線がつながってくる。
また
とんでもない深い淵に
足を踏み入れたようだが
十一面観音を富士山北麓に見つけてしまったことで
今宵は安心して眠れそうだ。
きっとchiaさんはここをきっと知っている。
明日聞いても遅くは無いだろう。
で
次の日はまた
びっくりするようなことが待っていた。
Om maha karunikaya svaha
オーム (聖音)、大悲なる御方よ、スヴァーハー
。
オン マカ キャロニキャ ソワカ