2003年12月21日
わたしは友人のI君とともに
富士高天原伝説の軌跡を訪ねて廻りました。
明見湖を訪れ
明見の浅間神社や除福の碑
忍野盆地に山越えして周り
内野浅間神社と忍野八海のいくつかを廻り
忍草浅間神社に最後にまわったとき
ただの勘で
宮下文書の研究本にでてくる
「天照皇太神」の墓標といわれるものにたどり着いたのです。
そこは本当に民家が密集した地域で
道が入り組んでおり
どなかたのお家の敷地の片隅にひっそりとあったのでした。
I君はインドのアシュラムで数年ヨガ修行していたという兵で
何故だか「絶対こっちだ」と確信をもって狭い通路に入って行き
それを見つけて手をかざし
「うわあ、すごくビリビリくる・・・」と言ったのでした。
(彼は目に見えないものが見えるというわけではなかったのですが
現在彼の小学生になる長男が見えない存在と会話したりして大変なのだそうです。)
11年前、11年前、とわたしは書いてしまいましたが
ごめんなさい。10年前ですね。
その後わたしはなんどか忍野八海や浅間神社に行きました。
ひとりで行ったときには、あれはどこにあったのだろう。
そう思い周辺をぐるぐる何度か巡って見ましたが
それらしいものを見つけることはできませんでした。
数年前
「忍野村の石造物」という忍野村文化財審議会というところで発行してる本をいただき
その中に
「王一女(おおいつひめ)碑石」という写真があり
「これだ!これこれ!!!」と狂喜乱舞したのですが
地図もあるものの忍野村は石造物だらけで地図も真っ黒になっており
確認しないまま、この日を迎えました。
前日の下見のときにchiaさんに聞いてみたら
ご存じないとのことで、
じゃあ、明日行けたら探して見ましょう、ということになりました。
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(chiaさんがこの日に撮ったご自宅近くからの富士山)
高座山の麓のレストランkazuでランチを食べたのち
鳥打トンネルを抜けて忍野に向かいます。
あのときはこの道はありませんでした。
考えてみれば
宇宙峰をぶち抜いてこのトンネルは存在しているのですね。
とても便利になったけで、しかし
麓の水の流れが変わったりするのもそのような開発の影響があるのかもしれません。
忍野忍草浅間神社の駐車場に車を止めて、まずお参りします。
一ヶ月前に来たとには、紅葉が綺麗でした。
そこから
歩いて探してみます。
雰囲気は
そうそうこんな感じ・・・こんな横丁を入ったところ・・・
それらしいものはありません。
忍野八海八番の菖蒲池がすぐそこです。
浅間さまからそんなに離れてはいなかった記憶あり。
もういちど戻って大きなお家のご主人に
地図をお見せして教えていただこうとしました。
「わからないねえ・・・どこの家にも祠があるかねえ・・・」
地図でいうとあのあたりだと思うよ、と教えていただいた周辺を
もう一度ぐるぐる廻ります。
なんだかなんだかとても気になる路地があり
どう考えてもよその御宅だよねえ、
でも
どうしても気になる!
ええい
行ってしまえ!!!
そうしたら!!!!
「あった!」
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10年ぶりにこの碑石を見つけて
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日代御子神社の獅子岩
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これは