わたしたち日本人は
どうして火山を神として祀るのだろう。
これは三原山へ行く登山道にある
白い鳥居。
右にいるのは今年4歳になるTちゃんの子供なのですが
こちらの比較してもこんなに小さな鳥居。
これをくぐることが
ひとつのイニシエーションなのでしょうか?
この小さな白い鳥居を二つくぐり
さらに登山道を登ると
山頂の「三原神社」にたどりつくのです。
二週間前に行った箱根の九頭龍神社では
併設されている弁財天も含め
鳥居は赤かった。
しかし
こちらは白い。
水の神様が赤いのに
火の神様は白い。
これは結界?
神様がこちらから出られないように?
あるいはネガとポジ
すなわち陰陽の関係?
二時間ほどで
山頂の三原神社に到着!
1777年の安永の大噴火でできた三原山。
あれれ?
富士山の宝永噴火より70年新しいのね・・・
それはそれで。
(覚えやすいなあ)
そして
大島の高台にあがると
どこからでも、このおやま
実はフィリピン海プレートに乗っかっている大島は
富士山に向かって動いている。
でも
富士山は動かない。
あらゆるものを受け入れて
不動なのだ。
だから
恋しい恋しい富士山に
大島は近づいていっている。
こちらは「利島」
大島より南西方向にあり
まるで洋上の富士山みたい!
でも
なんだって
日本人は、火山を神として祀っていたのだろう。
それは日本人の中にくすぶる縄文の炎によるもの?
それとも
環太平洋に住まうもしかしたら
太陽の民族 レムリアの息吹?
真っ黒い玄武岩質溶岩を踏みしめて
さらに
噴火口へ!