令和最初の満月の
ウエサク祭、
クラマとキフネの
京都の備忘録の
ラストとなります。
貴船神社 本宮に
やっと、たどり着きました。
奥宮を先にお詣りしたので、
出口から失礼します。
それもそのはず、
大阪湾から黄船に乗り
川を遡り
貴船川のこちらの渓谷のお水を祀ったと言われる
『玉依比売命(たまよりひめのみこと)』
は
神武天皇の母君なのだから。
境内に入ると、
大きな桂の御神木が
青々とした葉を広げています。
今回のまとめを書こうとして調べていたら
たいへん気になる記述に当たりました。
『貴船神社は、貴船山と鞍馬山とに挟まれた谷合の地に鎮座する神社で創建年代は不詳とされていますが、有史以前、太古よりの信仰の地であったと言われています。
近接する鞍馬寺では、鑑禎上人が鞍馬山上で毘沙門天を拝したのが宝亀元年の寅の月、寅の日、寅の刻という伝説、一方の貴船神社では貴船山中にある鏡岩にタカオカミノカミが天から降りたのが丑の年・丑の月・丑の日であったという伝説があります。これは鞍馬と貴船が京都市街から見て鬼門の方角に位置することから鬼門(丑寅の方角)守護の重要な役目を担っていることを示すのだとする見方もあります。
近接する鞍馬寺では、鑑禎上人が鞍馬山上で毘沙門天を拝したのが宝亀元年の寅の月、寅の日、寅の刻という伝説、一方の貴船神社では貴船山中にある鏡岩にタカオカミノカミが天から降りたのが丑の年・丑の月・丑の日であったという伝説があります。これは鞍馬と貴船が京都市街から見て鬼門の方角に位置することから鬼門(丑寅の方角)守護の重要な役目を担っていることを示すのだとする見方もあります。
鬼門の方角は風水でも障りがあると恐いとか逆にそれだけ神聖さが極まった方位であるなどとされていますが、これは鞍馬寺や貴船神社に対する一般的なイメージと奇しくも重なるものです。』
(こちらよりの転載です。)
わたしは今回、26年ぶりに
京都の鞍馬と貴船に行くにあたり、
位置関係を調べた時
『御所の鬼門じゃないかしら?』
そんな予感がしたのですが、
鬼門=丑寅の方角には、比叡山の八瀬がありました。
そして、鞍馬山と貴船神社は
御所のほぼ真北にあり、
北方守護(玄武)であるのだと。
ところが、こちらによれば
鞍馬が、寅、寅、寅
貴船が、丑、丑、丑
ですって???
ここに、クラマとキフネの
大いなる謎にたどり着いてしまったのかもです。
平安京の御所
帝の御坐す所ではなく、
どこから見たら
クラマとキフネは丑寅(艮)の方角に当たるのかしら???
それにしても
京都は、
陰陽道
の 匂いが色濃く残っています。
絵馬の発祥の地だそうです。
『貴船神社本宮の社殿前に白い馬と黒い馬の彫刻があり、その隣に「絵馬発祥の社」と書かれた駒札(立て札)が建っている。
『貴船神社は古くから“水の神様”、特に“雨乞いの神”として名高く、歴代の天皇は干ばつの時には黒馬を、長雨には白馬(または赤馬)を奉納して祈願していたとされる。後には生きた馬に替えて馬形の板に色をつけた“板立馬”を奉納したと伝えられる。(平安時代の文献「類聚符宣抄」』
ここに、生馬を奉納したのだ…
なんだか
歴史って
すごいなぁ…
馬を奉納されても
神社側は、世話も大変な故、
やがて、紙や木で作った絵馬を奉納することになったのだと。
そうして、
ここには
日本のルルド
などと呼ばれている
素晴らしい名水が湧いています。
皆さまが
水占いをしていました。
沢山の方が並んでいました。
石庭の船型があり、
『天津磐境』と名付けられていて、
太古のここの石は
『貴船石』と呼ばれ
その石だけで、ここは形作られているのだと。
奥宮
結宮
本宮
と
すべて
船に関係があるようです。
貴船、
は
黄色の船で
それは、もしかしたら
UFOかも知れません。
2億6千万年前の
海底火山が隆起した
この、鞍馬山の
左右にある二つの聖地は
そんなことも
さもありなん、
と、思えるのですね。
さて、
お詣りも終わり
有名な、川床料理のお店を見ながら
貴船川を下ります。
雅な雰囲気は
富士山麓には無いもので、
もう一度
ここに来て
川床料理を食べたいものだ、
ほんの少しだけ思ったけど、
もう、
二度と来ることは無いのでしょう。
今回の生(今世)では
わたしは今度こそ、
最後だわ…
何故だか
そう思った。
Rちゃんが予約してくれた
新幹線のチケットは…
三島行き、
666号
9号車9番
完全なる
369(ミロク)の新幹線で
富士山麓へ
帰ります。
これで、
メデタシ
メデタシ
なのですが、
この後、
全て
富士山麓と、この旅が
つながっていた事を
知ることになるのです。