新しき元号
[令和]になって2日目は、
立春から数えて88番目の
なんと、八十八夜…
ある方たちを、富士山の某所にご案内することに。
88は、フジの数霊でもあるし、
『れいわ』は
『◯1∞』
とも感知されるので、
なんとも素晴らしき約束の日…
ご案内するのは、
横浜からいらした◯◯丸さん、という変わった苗字の姉弟と
ウィーンからいらしたオーストリア人のYさんの3名。
そもそも、今年の3月17日に
横浜の彼女のお宅にお邪魔しておしゃべりしたとき、
ふと、彼女の変わった名前について由来を質問してみたんです。
知り合って10年くらいになるのに、
わたしはそれを聞いたことが無かった。
すると、
驚くべきことに
祖先が南朝の忠臣だった、と言うんです。
だからね、鎌倉宮になぜか行っちゃったりするの、うちの息子がね〜〜
えええ?
鎌倉宮ですか???
鎌倉へ行っても
後醍醐天皇の悲劇の皇子『大塔宮護良親王』を祀る『鎌倉宮』へたどり着くことは難しいのに。
それより
◯◯丸さんは、『鎌倉宮』のことを知ってた!!!
わたしはなぜだか、
2016年の暮れに
ガップリと、こちらにハマってしまったことがある。
だから、少しばかり
この辺りのことは詳しいのね。
『富士山北麓にはね、
南朝にゆかりのある場所がたくさんあるのよ。
今度案内しますね。』
そんな約束をして別れたら、
4月頭に突然連絡あり
『5月2日にそちらへ行きます!』
というわけで…
期待して無かった富士山がお出迎え!
日本語ベラベラのオーストリア人のYさん、
今回の平成から令和の時代の移り変わりのときに
日本にいることを非常に喜んでいました。
御朱印、頂けますよ〜!
大塔宮護良親王の古蹟のある、
小室浅間神社へお連れすると、
ここからも、富士山が臨めました。
有難いことに、
わたしの令和 初詣もこちらになりました!
後のおふたりはなんと
偶然にもふたりとも、富士宮の浅間大社で手に入れた御朱印帳を持ってた!
GWだというのに、ここはほぼ貸し切りです。
穴場です。
なんと、六本あるそうで。
こちらは立派な
『愛染かつら』との看板がありました。
御朱印
見せてもらいました!
大塔宮さまの御朱印もあるんですね‼︎
で、
いよいよ
大塔宮護良親王 古蹟の桂の御神木の方へ。
ここで、
鎌倉で殺害(ほんとうは自害)された宮さまが
なぜここに古蹟があるのかのお話しを。
鳥肌がだった!
と、◯◯丸さん。
わたしも裏覚えだったのだけど、
今回のご案内で
◯◯丸さんのご先祖さんが
大塔宮さまに最後までお仕えして、
最後に自害された方なのだと知りました。
なんという、因縁…
驚くべきこと。
この大木に抱かれるように
小さな祠が
二基、あるのです。
ここで、
大塔宮さまのお話を。
とても背が高くて、
イケメンだったようですよ。
父君の後醍醐天皇は、お妃が何人もいて
皇子もたくさんいるんだけど、
宮さまは、雛鶴姫一人で
側室も取らなかったみたい。
もし、大塔宮さまが天皇になっていたら、
争いの無い、平和な世の中になったに違いないみたい…
そしたら
◯◯丸さん姉、
『いま欲しい〜〜!そういう人!!!』
まったく、その通り!
残念ながら
歴史では、
南朝は破れて
武士の世に戻って行き
戦国時代の取ったり取られたりを繰り返して行くのです。
『優しい国になれば良い…』
大塔宮さまの言葉を
そっと、思い出しました。
さて、
次にお連れするのは
やっぱり、あそこですよね〜。
浅間神社の
もとの
もとの
もとの場所…
そして
南朝とも縁が深い…
続きます。