オオカミ犬ドンチャンの
∀KIKOさんからメールを頂いて…
それが、なんと!
321の春分の日、
新橋で行われる
closing galleryのエキセビション。
『森 オオカミ 人』の共生をテーマとした
中目黒で行われるイベントにすでに申し込んでいたわたしたちは、微妙に時間が被ってしまっている…
それで、
エキセビションの前に、少しでgalleryを覗いて見たくて、
この日は新橋が最初の目的地となり、
なんだかやっとの思いでたどり着いた
“アトムCSタワー”
目の前に、なんと、
“浅野内匠頭 終焉之地”の碑!!!
そのお話はひとつ前の記事でね。
さてさて、
B1に降りると…
どおん!!!と
わたしの大好きな、
星になったオオカミ犬
“nociw ”の作品が!!!
左前脚が白い…
そして、
絶滅危惧種の作品のシリーズでは、
クマも〜〜❣️
(実はこの朝、白い熊、黒い熊の夢をみたのね。
生まれて初めてみた熊の夢…
それはかなりメッセージ性が強いものだったので、別の時にお話しますね。)
アキコさんの作品の数々が。
3時からのライブのリハーサル中なのか、
ご本人はいらっしゃらなかったけど、
この空気感に触れただけで、
わたしは満足してしまいました。
で、
新橋駅から、
JRにて、
有楽町に向かうんだけど、
画面右下に
赤い鳥居⛩を発見。
あれ???
『日比谷神社』って書いてあるよ!
白亜のビルとのコントラストがすごい!
なんなの?
どなたが祀られているの?
すると!
御祭神:豊受大神・瀬織津比賣大神・速開都比賣大神・気吹戸主大神・速佐須良比賣大神
ひゃー!
おおかみはおおかみでも
豊受の大神だあ〜〜
しかも、
払い戸の大神たちも!
『御由緒:正確な創建時期は不明。古くより日比谷公園内にあったとされる大塚山(心字池付近)に鎮座し、日比谷稲荷明神旅泊(さば)稲荷明神と称されていた。
1606(慶長11)年、江戸城増築に伴う日比谷御門造営によって、氏子と共に芝口に移動し九か町の産土神となる。
1630(寛永7)年、芝口御門造営により町名が日比谷町から芝口町に改称されたが、社号は現在に至るまで「日比谷」のままである。
江戸時代には伊達、脇坂、中川、肥後、本堂、毛利、井上、片岡氏ら諸武家から篤い崇敬を集めていたとされる。
「旅泊稲荷」の由来だが、当初のご鎮座地にあった頃、苦しむ旅人達に社務所を開放し無病息災の祈願を受けさせたところ、霊験があったことから、旅人や周囲の町人らにより称されたという。
1872(明治5)年、村社に列せられる。
関東大震災の影響で1928(昭和3)年の都市計画区割整理の対象となり、愛宕下町2丁目(現・新橋4-13-9)に換地され遷座し、以降新橋の鎮守として崇敬を集めた。
現在の「鯖稲荷」の別称は新橋に遷って以降、変わるようになったとされている。
なお、虫歯虫封じに苦しむ人が御祈祷を受けると霊験があるとされ、鯖を食すのを断ち祈誓をかけると治ったという。
以降、治った際には鯖を奉納するという縁起もある。
2009(平成21)年に、環状2号線の建設によって再遷座し、現在地に鎮座した。』
1630(寛永7)年、芝口御門造営により町名が日比谷町から芝口町に改称されたが、社号は現在に至るまで「日比谷」のままである。
江戸時代には伊達、脇坂、中川、肥後、本堂、毛利、井上、片岡氏ら諸武家から篤い崇敬を集めていたとされる。
「旅泊稲荷」の由来だが、当初のご鎮座地にあった頃、苦しむ旅人達に社務所を開放し無病息災の祈願を受けさせたところ、霊験があったことから、旅人や周囲の町人らにより称されたという。
1872(明治5)年、村社に列せられる。
関東大震災の影響で1928(昭和3)年の都市計画区割整理の対象となり、愛宕下町2丁目(現・新橋4-13-9)に換地され遷座し、以降新橋の鎮守として崇敬を集めた。
現在の「鯖稲荷」の別称は新橋に遷って以降、変わるようになったとされている。
なお、虫歯虫封じに苦しむ人が御祈祷を受けると霊験があるとされ、鯖を食すのを断ち祈誓をかけると治ったという。
以降、治った際には鯖を奉納するという縁起もある。
2009(平成21)年に、環状2号線の建設によって再遷座し、現在地に鎮座した。』
新旧仲良く…
ん?
狼さんとお狐さんみたいにみえる。
こちらから空を見上げると…
この日は曇りの予報だったのに
なんなの?この青空。
東京の空にも、
龍神雲???
この調子だったら、
今宵の満月🌕
見れるかな?
(実際に観ることが出来ました‼️)
ちなみに、
昨年の321は
忍野村にいて、
その日は大雪!!!
赤い鳥居⛩だけ、共通していました。
さて、
2019年の321春分の日、
次は
有楽町へ…。