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queen 4連発の話 1205

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この話は、
ブログに書くつもりは無かったのだけど、
今日、ダメ押しが来たから
書いちゃおうっと!

例によって
アメブロの少々おせっかいな(失礼!)
振り返り投稿。
『○年前にあなたが書いた記事です』というのが
ホームを、開くと出てくるのね。

書きっぱなしで過去記事を読むのが少々恥ずかしいわたしは、
実は振り返りには良い機会。

そうしたら!
なんと、
3年前の12月5日は
こんな記事を、書いていたんです。

『ミセス クラプトン『幻日に喜ぶ 1205』

この記事の最後に
なぜかわたしは
queenの ブライアンメイを挙げたんですね。





ロックスターで、一番カッコいいと思ってたからだ。

姉のクラプトン好きに対抗するためだったけど
わたしは実際のところ
別にqueenのファンでは無かった。

ただ、
むかーし、むかし、
21才の誕生日の前に
誕生日プレゼントは何がいいかと友人に聞かれたとき
『ブライアンメイみたいなBFが欲しい』
と、冗談交じりに言ったんだね。


で、
3年前に、こんなブログの最後に
この写真❣️




それが、
今日、振り返りを読んだら
出ちゃったというわけだ。





では、
順を追ってお話しようと思います。

queen 一発目の話。

11月22日と23日
わたしは友人と三人で
神津島へ行った。

その道中で
L隊長が、こんな話をした。

『ボヘミアン ラプソディー、見に行っんです。良かった〜〜!大泣きしちゃった‼︎』



へええ、
わたしはむかーしブライアンメイが好きだったんだよ、と話すと、

じゃ、ぜったい観に行った方がいいですよ〜
ブライアンメイの役者が一番本人に似てるんですよ〜〜❣️

そうなの?

富士宮でまだやってますよ、
ぜったい観てくださいね!

あっさりと書いてしまったけど、
L隊長のqueen話は、30分は続いたと思う。

エンドロールの辺りで『フレディ loss』で 大泣きしているところを回りの『いい歳の人たち』に見られたくなくて、館内が暗いうちにそそくさと出て行ったというあたりが可笑しかった。



富士宮かあ…
うちからだと、一時間半はかかるなあ…

往復三時間、
わたしはL隊長のように一人で行く情熱はあるだろうか?

神津島の旅はエキサイティングで
帰る頃には、その話は忘れていた。


しかーし!!!

11月23日というのは
実はqueenにとって因縁の日だったことを知ったのは数日後のことだった。

1991年
11月23日
queenのフレディ マーキュリーが
エイズにであることを公表した日であった!

そして
あくる日
11月24日
フレディ マーキュリー 永眠。

つまり
彼の命日であった。




2018年にまた話を戻そう。

queen二発目。

11月25日
例の悪友から電話。

『ボヘミアン ラプソディー、良いらしいよ。行かない?どこでやってるか調べてよ〜。』

えええええ?
ひょうたんからコマ!だわ❣️
行く行く行く〜〜調べるっ!

調べたら、甲府でやっていた。
しかし、29日までのスケジュールが出ておらず、11月9日から始まったその映画は、29日が最終かも知れない。

28日は浅間山研修だし、
29日はメグさんツアーが入ってる。

結局、悪友とのスケジュールは27日しか合わずに
27日.甲府まで観に行った。

結果、
ハマった〜〜‼️





たいしてqueenのファンでも無かったわたしは
フレディマーキュリーはただの出っ歯(ファンの皆さま、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい🙏)だと思ってたけど、
とんでもない才能溢れたエンターテイナーだと認識を新たにした!


queenのCDなど持っていないわたしは、
興奮冷めやらず、
映画館でサントラ盤を買って
一時間半の道のりを、
ノリノリで聴きながら帰って来たのだった。

ところがあくる日は
浅間山へ研修の日。
6時の集合時間に間に合うには
3時半に起きなくてはならない。
その日はコーフンしながらもベットに入った。


11月28日、
朝は集合時間より早めに到着してスタンバイ。
わたしはガイド協会の役員をしていて、
この日の研修をハンドリングしなくてはならない。
前列の窓際に座り
その隣に会計のM子さん、
その隣にM子さんの娘さんのMちゃん
(ここは親子でガイドをやっている。)
その隣には、バスでのレクチャーを担当してくれるN女史(彼女は植物の博士号を持っとる!)

じい様が多いネイチャーガイド総勢20名の
紅四点が、前列に陣取ることになった。


本日の行程など、簡単にみなさまにマイクでお伝えしたあと、
到着まで3時間半!長いおしゃべりの時間が始まった。

すると、

昨日、映画に行ってきたの、と
M子さん。

ええええ? わたしもだよ!
(注・富士五湖地方には映画館が無い。映画に行くこと自体が珍しい行為なのです。)

何、観てきたの?

『queen』

ええええええええ⁉️
わたしも〜〜!!!

こんな偶然て、有るのだろうか?

バスに乗った前列、四名のうち、
三人が(M子さんは親子で見に行ったのだ。)
昨日?
ボヘミアンラプソディーを
観に行ったの???

ギャーーーー❣️

これが、
queen3連発目。



すると、N女史
ええええ!行ったの?どうだった?
わたしは明日行こうと思ってるんだよねえ。


ええええ?
(N女史は、一見、皇室の方のような雰囲気で、
queenを観に行くような感じが全くしない。

わたし、中学の時、大好きだったの❤️

へえ〜〜全然そう見えないね。
わたしはブライアンメイが好きだったんだよ。
と言うと
M子さんとN女史、口を揃えて

『わたしは、ロジャーテイラー❣️』


へええええ、


そこから、
喋る喋る…
2時間はqueenとボヘミアンラプソディーの映画の話だったかなあ…。


バスの、運転手さん、呆れてた…
これから研修に行く人たち(しかも役員)の会話じゃなかったよなあ。

もちろん、
研修はピシッと、頭を切り替えてやりましたよ!


しかし、
それからわたしの頭の中は、
queenと、映画を観てから急に興味が湧いた
フレディマーキュリーの生きざまでいっぱいになった。

お父さまがペルシア人とインド人のハーフ、
ゾロアスター教のおうちに生まれ
イギリスでは、それはコンプレックスとなる。

わたしはロンドンで、有色人種(日本人も含めて)が差別される場面を何度も見た。

そのような知識を頭に入れて
“ボヘミアンラプソディー”を聴くと
彼の多彩なる才能の在り方がなんだか理解出来そうな気がしてきた。

わたしは、queenとフレディマーキュリーのことを、実はなにも知らなかったのね。


東京から富士山麓に36年前に移住して
1991年には子育てをしていたというM子さんは、
フレディマーキュリーの訃報を、車を運転中に聞いたといい、どこで聞いたかも、すべて覚えている、と。

精進湖の橋をね、渡る時だったの。もう、泣けて泣けて…

わたしにはそのような思い出は無い。

M子さんとN女史は、中学の時にqueen体験をして、ちょうど年齢的にハマったようだけど、
わたしはその頃、大学生で
もうあまりそちらに夢中になるということは無かった。
姉は、音楽業界に就職したので、マニアックな方向に走って行ったけど、
わたしの回りでは、デビットボウイが頂点を極めてたかな。


(うわっ!
これ、縄文だよね〜〜。)



1991年に、
フレディマーキュリーは、エイズで亡くなるわけだけど、

あの頃、わたしたちの回りでも
エイズで亡くなった知人は数名いて、
そのすべては、ゲイの人たちだった。

才能に溢れた人が多くいた。
ファッションデザイナー、
ヘアメイクアップアーチスト、
雑誌の編集者…

20代の前半は、それこそ
homosexualの友人の方が多いくらいで、
感性が優れた人が多かったので、
ノンケの男友達よりも話してて楽しかった。

著名なデザイナーも、そのタイプの人が多くて、
そのアシスタントは、ゲイでなければ務まらなかった、そんな時代だった。


フレディマーキュリーも、ゲイだったからこそ
あのようなエンターテイナー、アーチストとしてたくさんの作品を残してくれたのかも知れないなあ。

20世紀って
すごい時代だったんだなあ、
改めて、認識することになったような。



21世紀になって
18年
平成も終わろうとする今

queen四連発は
わたしの青春ラプソディーを奏でてくれたのかも知れないなあ…



改めて
フレディマーキュリーの冥福をお祈りします。




































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