神津島のお話の
砂糠崎を回り込んで
ラストに
やっとたどり着きました!
その前に
本日12月3日.
こちらも123の一二三の日の
富士山からのお届けです。
彩雲が出現しました!
さて
1123の最後のお話です。
旅のまとめ記事はこちらから。
(画像の重複をお許しください。)
多幸湾の
“たうない王子”の祀られている
日向神社からほど近くに
素晴らしい展望台がありました。
恩馳島と同じくらい黒曜石の産地であった
砂糠崎の黒曜石の層の露頭がここから眺められるのね。
ガイドのNさん、
サルタヒコさま。
最後まで、最高なポイントに連れて行ってくださって
本当にありがとうございました!
船が多幸湾に到着します。
なんという幸先よい名前なのでしょうか。
遥か北を見ると
こちらにも虹の足🌈
船の方向は北を向いているので
なんと、右手には、虹!
左手には、
今まさに落ちなんとする夕陽!
しばらく夕陽を眺めていてから、
まだ右手のデッキへ行くと、
あの、
海上のピラミッドの
利島に、虹がかかってました。
デッキを
右手へ
左手へ
忙しい。
だけど、つぶさに
この風景を心に焼き付けておきたいと思いました。
やがて…
光芒は、消え去っていました。
今度は
車を、停めている
沼津まで
やく2時間の道のりです。
遠いわ〜〜。
すると、
双子座の満月。
つねにわたしたちの右側に
お月さまが見え隠れ…
こんな風にして
神津島の旅は終わりました。
それにしても
ディープな旅だったなあ…。
わたしは今
思い起こします。
あの島は
やはり女神の島であった、と。
“ありま”は“マリア”を逆さまにして隠したのだと言われています。
マリア=ありま=数霊77❣️)
こんな風にして
女神は
何重にも隠されています。
神津島の女神は
阿波命(あわのみこと)でしたが、
お隣の、
三宅島の女神は
阿米都和気命(あめつわけのみこと)という名前です。
“天地今宮”が神社名。
(天地分宮を書き写し間違えたのだとも)
こちらも“三嶋大神の后”とされていますが、
三宅記が編纂される以前から
そこに鎮座していたのです。
三嶋大神が天竺から来て
十の島を次々に作り
そこに十人の后を置いた
という“三宅記”の神話は
どこか、男性本位な匂いがします。
すでにそこには
女神はいたのだ。
それは、荒ぶる火山の、
火の女神であると同時に
雨を降らせ大地から湧水を生み出す、
水の女神でもあった。
12月22日。
2018年の
平成最後の冬至の日、
富士山の河口湖に浮かぶ
あの、女神の島
“鵜の島”へ行こうと思います。
そこで
一緒に行ってくださる方を募集いたします。
ひとりひとり
全ての女性が女神であったことを
思い出すために。
1123=7
1222=7
77=マリア‼️
詳細は、次の記事にて
お知らせしますね!