天上山から
アワノミコトのカミヤシロに
約束通り13時に降りて来たのに
ガイドのNさんは、すでに駐車場に来てくれていました。
この方よりは、どうやっても
私たちは早くはつけないんだな。
不思議なことがありまして、
私たちが到着した11月22日の前日までは
『前浜』という一番大きな浜に船は着いたのに、
その日から、
『多幸湾』という南側の浜に
船の発着が変更になりました。
だけど、そのおかげで
このお水をおつなぎする場所は
富士山のとある重要なポイント。
すでに決めています。
そのお話は、もう少しあとにて。
時間に余裕がありましたので、
宿に預けている荷物を取りに行く道すがら
気になっていることをNさんに相談してみました。
前浜という、神津島で一番賑やかな場所には
地図で見たのですが
『猿田彦神』がたくさん祀られていました。
あっちもこっちも
『猿田彦神』だらけなんです。
その中の一つでいいので、お詣り出来ますか?
いいですよ〜!
と、二つ返事。
Nさんて、サルタヒコですよねえ?
L隊長が、半ば冗談で言ったのに、
そうですよ!
と!!!
猿田彦神は
“三叉路”に 祀られているのだと!
まさに、わたしたち三人を案内する
サルタヒコそのものじゃないかしら?
連れて行ってくださったのは…
古めかしく、
大切に、大切に
村人に信仰されていている様子が
うかがい知れました。
この猿田彦神は、なんと
この前浜地区で
25箇所も祀られているのです!
そうして、まだ時間がありますね。
あそこへお連れしましょう!
と、
Nさんは、車を走らせます。
あそこ、とは?
この島の神さまに関して、と
伊豆諸島の神さまについては
すでにお話していました。
神津島の神さまは
三島大神の本后である
阿波命(アワノミコト)であるとされているのだけど、
その后には二人の王子がいて、
それが
たたない=物忌奈神社
たうない=日向神社
に、祀られているというのです。
Wikipediaより
これら3神の社はそれぞれ阿波命神社、物忌奈命神社、日向神社に比定される』
だいたいが、物忌奈(ものいみな)だなんて
神さまの名前としては、かなりヘンではないでしょうか?
だけど、前日にちらりと前を通ったこの
弟君の『たうない(たふたい)王子』のことは
なんとなく、気になっておりましたので
この采配はブラボー!!!
車を停めて
Nさんは、どんどん山に上がって行くのです。
白砂が敷き詰められた
不思議な場所があり、
こここそが
秘密のご神事を行う場所のようです。
これこそが、
この神社のヒミツのようです。
天上山に、向かっていました。
さて、
わたしはここで、
この、伊豆諸島に伝わる
おかしな名前の王子たちの謎に迫りたいと思います。
前回もこちらを掲載させて頂いたけど…
大島、
おほい
すくない
神津島、
たたない
たうない
三宅島、
あんねい
まんねい
これは
末尾に
“nai”
という音があるのです。
(三宅島では、neiに転化しています。)
アイヌ語に興味があるかたなら
“ナイ”は、何を表すか、ご存知だと思うのですが。
ナイ=川
例えば
稚内(ワッカナイ)という地名は
ワッカ=水
ナイ=川、入江
というように
現在の地名に残っています。
そう言えば、
たたない王子の神社は
あの、多幸湾の湧水を生み出す
天上山の川の上にありました。
ということは!
海の民にとって
塩辛くない真水の存在は、貴重なのです。
真水の湧水は、神として崇めていたに違いない。
縄文遺跡は、湧水のあるところに存在するのですね。
おそらく、
伊豆諸島では、
真水の湧くところに
水神を祀ったのに違いないわ。
それは、太古の
旧石器時代や
縄文時代の人々によって。
だけど、
ここは、太平洋。
太平洋から舟を、漕いで来た人々は
どんな言葉を使ったのかしら?
いきなり、
『マオリ語』が気になった。
マオリ語と古代の大和言葉は
かなりな共通点があり、
例えば
海。
マオリ語では、
ウ=大きな
ミ=水
マオリ語で、川は
なんというのだろう?
単純な疑問で
『マオリ語 川』
と調べてみたの。
そうしたら???
マオリ語だと、
川=awa???
マジですかーーーー???
kawa
と
awa
やっぱり、似てる…。
では
あの?
阿波命も???
やはり湧水を神格化したものかも知れず…
そうして、
平安時代にこの島が噴火し、
そのために神格を上げる前に
アワノミコトが鎮座していた場所は…
河口湖に浮かぶ
[鵜の島』を彷彿とさせました。
1ヶ月も経ってしまったけど、ここもまた
女神の島だった!
驚いたことに
火山の女神は噴火して破壊を繰り返すけど、
より高くなり、山に木々が茂るころには
沢となり、川となる
真水の湧き出る山となる。
それが
女神の産んだ王子とされたのでしょう。
だから、水配り伝説があるのでしょうね。
水の神は
やはり女神だったのだと
わたしは思うのです。
そうして、
1122のあの日、
アワノミコトのカミヤシロに
太陽はまっすぐに
沈んで行った…。
この記事を書いている
12月2日、
次にやるべきことが
すでに、わたしの中では決まっています。
それは
神津島の旅の
最後の記事にて
お話させて頂きますね。