ずっと
縄文
じょーもん
ジョーモン
が来てます!
1111は
山梨県でも
縄文祭りが行われるようです。
うわっ!
わたしは客人あり、
1111は行けなくて残念〜〜!
行きたかったなあ…
そんなこんなで
縄文のこともまだまだ探求出来て無いのに、
古墳時代の天皇のお話が
いきなり
飛び込んで来ました。
以前、わたしは何故だか、
“扶桑”という言葉が気になって
こんな記事を書いたのね。
なぜ
このとき、“扶桑”が気になったのか
なぜ、こんな記事を書いたのか
今となっては思い出せなくて
しかも、(いつものことながら)
そのあと、この話は
尻切れとんぼで終わってました。
ところが
突然、昨日
その過去ブログに
コメントを下さった方がいた。
中国に住んでいる中国人のかた?
こんなコメントです。
『ドラゴン さん
日本文化の好きな中国在住の中国人です。
日十大王が応神天皇、即ち倭王武のことです。
倭王武の弟は継体で、つまり男弟王のことである。
倭王武の息子である若武(ワカタケル・欽明)は継体の息子=安閑、宣化を殺して、大王になってから、蘇我王朝を開いたわけですので、記紀を編纂させた継体系の有力者が倭王武を悪人扱いにする必要がある。武烈はちょうどう倭王武とその息子の欽明を合わせた架空の人物です。』
『日十大王は、応神のことである』
え、
応神って
誰だっけ???
古墳時代に疎いわたしは
目を白黒…
八幡神社の祭神だっけ?
アノ
前方後円墳の???
そう言えば、
最近、その前方後円墳が調査されるって
話題なってなかったっけ?
それが
わたしは少し勘違いをしてて
それは
応神天皇ではなくて
仁徳天皇陵だったようです。
初の外部調査が行われるって、
ただでさえ、すごいコトです。
なぜ?
いま?
この、時期に???
そんなことを思ってたら
ドラゴンさんから
再度、コメントが…。
山越 清 さん
そうです。中国の王と申します。私のことを山越(山越)と呼んでもいいです。東亜細亜の歴史と文化が好きでたまたま日本のウィブで資料を探してごブログさまの文章を拝見いたしました。日本の歴史と文化は中国や朝鮮半島の除けば、語れないことだと思います。簡単にいうと、日十大王は百済近蓋鹵王(日本書紀でいう加須利君)の弟である昆支太子のことです。日十は昆支の下の比と又を取った読み方でもあります。古代の中国は後輩の王が自分の親或は血縁のある貴族の名前を直接に呼ぶことを避けるために名前を変えた風習もありますので、日本も例外ではなかったと思います。鏡は昆支王の息子(或は甥)である百済の武寧王(島君)が自分の叔父である継体(男弟王)に送ったものです。記紀は当初天武時代に漢字を母国語にした渡来漢人末裔の手によって編纂されたもので、天武死後、漢語を母国語ではない日本人によって改竄されたとされています。だって改竄とされた部分は従来の中国の文法に合わなかったからだということに気がつきました。なぜ、改竄されたかというと、天皇家族と大和政権の開拓者が百済から移住したことを隠蔽したかったのです。天皇の苗字が本当になかったのですか?それも違います。天皇の苗字が扶余です。なぜ世間に知られてはいけないのですか?扶余は百済王及びその王子の苗字ですから>とよたまひめさん
IP:183.136.157.190
十の太陽を司る『扶桑大王』についたコメント
わあお〜〜、
かなりディープな内容だ!
申し訳無いけど
わたしは漢字の人名には弱くって、
なぜなら、読み方がいくつもあるから。
カタカナの名前は、かなり舌を噛みそうな名前であっても、
読みは日本的にひとつしかないので
なんとか覚えられるのだわ。
だけど
“昆支”という皇子が『日十大王』であると。
昆支=
日十
比又
と
冠とアシ?で表現される???
この話はかなり興味深い。
昆支は百済の大王の弟?
中国や朝鮮半島と
今の天皇家は深い関係にあるのだという話は
納得する要素もありありで…
来年、平成が終わり、
天皇が変わる
そんなタイミングで
色々なことが
あぶり出しのように浮き出てくるのかも、
と思うと
けっこうワクワクするのですね。
(この鏡が、
最大の謎とされているらしいのです。)
(大意)癸未(きび、みずのとひつじ)の年八月 日十大王の年、男弟王が意柴沙加(おしさか)の宮におられる時、斯麻が長寿を念じて開中費直(かわちのあたい)、穢人(漢人)今州利の二人らを遣わして白上同(真新しい上質の銅)二百旱をもってこの鏡を作る。』
なるほど、
『応神』や
『仁徳』は
後の世になってからの諡なので
今の歴史観では結びつかなかったわけだ!
ところで
世界最大の『仁徳天皇陵』の
発掘調査の内容も楽しみなんだけど、
(古代中国や半島との繋がりが出て来ちゃうのかな?)
『前方後円墳』の画像は
なぜ?
こういう向きなのだろう?
前方
後円
なのだから
やはり
大甕なんではないか?
と思うのは
わたしだけ?
改めて思うのは、
やはり
弥生時代から古墳時代
それ以降の日本史は
苦手だわあ…
大陸から漢字が伝わってから
日本はおかしくなったような…
あ、
ドラゴンさん
わたしは中国は好きだし、
かなりハマったこともあるし、
中国にいた前世もあったようです。
だけど、今は
縄文が好き❣️
というよりも
これからは
縄文のエネルギーが大切だとおもうのね。
縄文時代は
人々が平等だった。
弥生時代になって
持つものと持たざるものが分かれていった。
そうして
古墳時代は
大王という権力の時代となって行く。
三種の神器、とか
それを持つことがステイタス、
権力の象徴となって行く。
そこから、大きく変わっていくのが
日本史でもあり
世界史も同じなのかな。
だけど、
ドラゴンさん、
このタイミングで
そんなことをもう一度思い出させて下さって
ありがとうございます😊
このお話は
わたしもさらなる追求をさせて頂きますね!