ああ、
ここには、ウッドサークルもありました。
やっと最後のお話を書くことができます。
長かった〜!
秋田の北にある
大湯環状列石(ストーンサークル)の話です。
9月2日、
4000年前の、縄文中期の遺跡となります。
知らなかったのですが
こちらは、二つの環状列石がひと組となって
『大湯環状列石』と呼ばれています。
と
野中堂環状列石
間に道路があるのね。
これらの中央を結ぶと
夏至の日没と、冬至の日の出。
野中堂環状列石。
こちらにあり、
少し想像と異なったのは
ぐるりロープが張り巡らされて
この“日時計”のそばには行けなかったこと。
ここの遺跡では7200個もの石が使われているのだけど、
その95%が、“みどりの石”(石英閃緑ひん岩)だそうです。
あまり緑色には見えないんだけど
気になるのは
5.6kmも離れた安久谷川から運ばれてきたのだそう。
当時、どのようにして7000個もの石を運んだのでしょう?
わたしはこの川の名前が妙に気になりました。
八ヶ岳で最古の縄文遺跡(阿久遺跡)に名前の音が似ているので。
さあ、道路を横断して
万座環状列石へと向かいます。
ここで、あるアクシデント。
野中堂のほうは何も書いていなかったのだけど、
こちらの入り口に『ペット連れはお断り』の看板あり。
それで、二頭の犬を連れている友人は
先に戻ってるね、と
さっさと駐車場までもどってしまったの。
それで
万座環状列石は
ひとりで回ることに。
環状列石のサークルをぐるりと囲んでいて、
このあたりは昔から『石神』という地名だったそう。
石がゴロゴロしていたので。
石神?
シャグジ、だわ!
だけど、
立石は横倒しになり
四千年の時間を物語っているように感じた。
一つだけ
ここでひとりで遺跡と対峙したことで良かったのは
風のように
なにか頭の中で
テレパシーのようなものを受け取ったこと。
気のせいかもしれないけど
なんというか
『オモイダシタ?』
みたいな
言語にならない言語でした。
いにしえの
記憶…
風のように。
栗の木がたくさんあって、
縄文気分を醸し出すためと思っていたら
自然と生えてきたのだそうで、
縄文人の置き土産?
などと思いました。
そこから12時間かけて
東北自動車道を
南下して
夜中の12時には
富士山の忍野村の自宅に滑り込み。
長かった〜〜!
8500年の白神山地のブナの森
5000年前の三内丸山遺跡
4000年前の大湯環状列石(ストーンサークル)
時空の旅をしてきたような気がします。
ブッダも
キリストも
まだ生まれていない時代への
長い、遠い
時空の旅。
東北からは帰ってきたけど、
この旅は
まだまだ、
続くようなのです。
みちのくの
みちのくの 旅
ひとまず
〈完〉