わあお!
これね。
日々の祈り
もう九月九日のククリの日…
早く書かなくちゃ
と気ばかり焦ってましたが、
いよいよ
みちのくの みちのくの旅の後半の話です。
9月1日
秋田側の白神山地から
秋田犬ハチ公のふるさとの大館を経て
青森の三内丸山遺跡を目指します。
まずは
前日の宿泊施設での夕暮れのショットから
夕焼けは素晴らしかった!
サザエやウニやアワビといった海のものと
イワナの塩焼きなどの山のもの
どちらも堪能できた。
写真に写ってないけど名物のラムの小鍋が付いていた。(獣肉アレルギーのわたしは人にあげてしまったので。柔らかくて美味しいらしかった)
いよいよ
さらにみちのくへ向かう。
だから
みちのくの、みちのくの旅。
そのあと、秋田犬ふれあい所にいったら
二頭はすでに帰った後だったけど
帰ってからこんな記事を発見したの。
(秋田犬とともに、さんから)
ワンコはとてもセンシティブ、
ましてや、飼い主に忠実な秋田犬は飼い主から離れてるの、とてもイヤなんだろうなあ。
お盆の繁忙期で秋田犬ブームのこの駅は大変な賑わいだったのだろう。
秋田犬本人たちからみたら、大変なストレスだ。
わたしたち人間の側も、もう少し考えなくてはいけないね。
駅前の有名な鶏めし屋さんで
比内地鶏が有名。
比内地鶏のわっぱ飯と
比内地鶏ラーメンが、もう絶品❣️
そこから
北へ
北へ
走ること1時間半。
(人生、初めての青森県!!!
これで東北六県制覇となります(^^))
生 三内丸山遺跡!
ほんとうに来れるとは
夢のようだ。
最後の最後まで
行けるかどうかわからなかった。
なにしろ、ハプニングも予想される行き当たりバッタリの旅だったので。
一番奥までこの日に行けて良かった!
(3泊4日の行程の3泊目なのです)
北東北と北海道の縄文遺跡群が
世界遺産登録を目指していることを
有名な
近くの亀ヶ岡遺跡出土の“遮光器土偶”
その左上が
三内丸山遺跡出土の十字型板状土偶。
この画像を友人に見せたら
ココロが動いたのね。
だけど、遠いから無理だ、と。
だけど、出発の前日になって、友人は自分で距離を調べて
『いけるかも』と。
ああ、ホントに
夢のようだ。
エントランスをくぐると
海の近くだったので、大規模な集落が可能だったのね。
ラッキーだったのは
ガイドさんに付いて説明を受けられたこと。
って!
出来すぎてませんか?
わたしは縄文の人々は、宇宙と交信していたと思っているので。
そうでもなければ、説明がつかないものが
ここにあるのだから。
人工的な建物が。
興ざめ?なんで???
それらがとても重要な、遺跡の保護施設であることは、後ほど判明する。
なによりも
星さんの説明で
驚くことがわかった。
『青森県には野球場が無かった、だから作りたかったんです。ジャイアンツが来るような野球場が。そこでここが予定地になったんです。』
えええ?それで?
『江戸時代から、ここには色々なものが出てくることは知られてたけど、それで野球場にする前に調査を行ったんです。
すると…』
たくさんの貴重な発見がゾクゾクと出てきた。
だけど、野球場を望む市民の声が大多数。
しかし、
アレが出た!
六個の穴と
その中に栗の柱の一部。
巨大な栗の木の柱???
(これには大いなる秘密が隠されているので、その話は次の記事にて)
結果
野球場にするのは大反対の一部の学者先生たちの声により
25年前、ここを遺跡として残すことになった!
あれれ?
25年前?
1993年。
昨日似たような話を聞いた。
1993年
白神山地の世界遺産登録。
それが、同じ青森県内の二箇所で同時に起きたことになる。
1993年
三内丸山遺跡の特別史跡指定。
市民のほとんどが
かたや林道の開通を望み
かたや野球場の完成を望んだのに。
色々なものが覆される
ほんとうに大切なものはなんなのかを問いかける
ラストdecade(最後の十年)はそんな気運に満ちていたのかも知れない。
(こちらに詳しく出ています)
特別史跡「三内丸山遺跡」これまでのあゆみ日々の祈り
宇宙との交信
あの世とこの世の垣根の薄い
生まれ変わりを信じていたらしい
縄文の人々の暮らし
そのお話は
次の記事にて。