先程の続きです。
その風景に
言葉を失う。
巨石文明の宝庫でもあるのだ。
『加牟那塚古墳の存在は古くから知られており、江戸時代には1601年(慶長6年)の千塚村検地帳や甲斐国の総合地誌である『甲斐国志』にも記されており、「金塚」「釜塚」「神塚」などの呼称で呼ばれていた。戦後の1969年(昭和44年)には墳丘裾の補修工事が行われ、工事に先行して青山学院大学教授の吉田章一郎による発掘調査が行われている。また、翌1970年(昭和45年)にも石室入口の修理工事に際して測量調査が行われている。墳丘は二段構成で葺石が施されており、埴輪が並ぶ。内部主体は右片袖形の横穴式石室で、真南の方向に開口している。』
(こちらより)
「金塚」「釜塚」「神塚」などの呼称で呼ばれていた。
だって!
『加牟那塚』は
『かんなづか』と読むのだという。
大正時代は、周りに何も無かったんだな。
この辺りの地名『千塚』は
古墳が文字通りたくさんあったことに由来するのだと。
だが、開発で宅地化され
こちらと、以前行ったことのある『万寿森古墳』以外は、残されていないのだと。
もったいないなあ…
ここに眠っていたのは
どんな方だったのだろう。
古代に思いを寄せるのは、楽しい。
帰る途中に出会った
ミモザの花、
満開だ。
昨日、保土ヶ谷でも出会った。
ミモザって、もっと春の真ん中のイメージだけど、こんな早春に咲くのだっけ?
富士山北麓に帰る道の途中で
カーラジオから
『甲府盆地ソメイヨシノの開花宣言!』を聞いた。
例年より7日、早いそうだ。
ここから一週間で、満開になってしまう。
慌ただしい季節の始まりだ。