白鳥ラインの謎10(霊鳥信仰と太陽信仰) | 天の王朝 - 楽天ブログ
『竹内文書に言葉を借りれば、天空浮船で「羽根飛び登り行く所を羽根」と名付け、その天空浮船を白鳥に見立てて、同様に白鳥神社など白鳥という地名を各地に配したのではないでしょうか。
空を飛ぶものへの憧憬や崇拝ーー。古代の人々に強烈な印象を植え付けたであろう天空浮船と太陽などを観測して経線や直線を引いた高度な技術は、まさに後の霊鳥信仰や太陽信仰に結びついた可能性もありますね。
それらは神話にも刻まれました。有名なのは、ヤマトタケルが死後、白鳥となって天を翔けて行く話ですね。その白鳥は夕陽を追うように西へ西へと飛んで行きました。中国の戦国時代(紀元前四〇三~前二二一年)ごろに生まれたとされる風水思想にも、聖なる鳥や太陽が登場します。風水・古代史研究家の松本司氏によると、風水は初期のころ、「青(せい)鳥(ちょう)術・青(せい)烏(う)術」と呼ばれていたそうです。この鳥は、太陽に住むと考えられたカラス(太陽の黒点)のことで、太陽光をいかに受けるかを中心に考える選地術であったといいます。また風水思想では、山脈や丘陵があたかも鳥が羽根を広げて卵を抱くようにしている「抱卵地形」が最良の場所とされています。平城京、平安京、大宰府政庁などがその例だとされていますね。
もちろんこれらの思想や神話が、羽根ラインや白鳥ラインについて、双方向通信基地説や天空浮船の発着場説を証明するものとは言えません。それでも空を飛ぶもの(天空浮船、鳥)や太陽(測量技術、時間)や光(光通信、のろし)が関係する場所が、羽根や白鳥となった可能性は強いと思うんですね。そうでなければ、一直線上にそうした地名が並ぶはずがないからです。
その説を補強する事実として、鳥ラインとも呼べる「白山ー伊勢ライン」についてもご説明しておきましょう。』