明日はいよいよ、
お道開きの儀が
富士吉田の、北口本宮富士浅間神社で執り行われて
富士山、開山となる。
このタイミングで
富士講の開祖である
長谷川角行の制定した
“富士内八海”のうちの
四番、河口湖の話です。
2002年富士山北麓に移住して来たわたしたちは
2014年まで
河口湖の湖畔に住んでいた。
現在は、忍野村に引越してしまったけど、
河口湖にはなんとも言えない、郷愁を感じてしまう。
毎日のワンコ散歩の時に
撮ったもの。
こんなに美しい河口湖と富士山を
毎日見ていたのだ、と思うと
感無量となる。
上のシルエットは、足和田山。
河口湖の北岸から見ると
足和田山に、日が沈むのだった。
さて
富士内八海と
八海巡りのお話。
富士講では、開祖角行が各地の湖や池沼を巡り「水行」したとの伝承からそれらを
八海巡りのルーツとみなしている
富士五湖
山中湖…作薬龍神
河口湖....水口龍神
本栖湖…古根龍神
西湖…青木龍神
精進湖....出生龍神
富士五湖に下記三湖で富士八湖
泉津湖....仙水龍神(御手洗龍神)
明見湖....明見龍神(清氏龍神)
四尾連湖....尾崎龍神
富士講の開祖、長谷川角行によると、
河口湖は、“水口龍神”がおわします、ということになっている。
もともと、“河口湖”という名前だった訳ではない。
現在の、河口地区に
川口村なるものが存在し
河口湖は、『川口湖(かわぐちのうみ)』
と、呼ばれていたらしい。
小さな川から、大河の河となったのは
小さな川から、大河の河となったのは
明治になってからみたいだ。
ちなみに、南岸には“舟津村”があり、
そこから富士山に登る登山道は
“舟津口”と呼ばれていたけど、
明治以降は、こちらも
“船津”と、
大船の船に変えられてしまっている。
それはさて置き
昨日のローカルニュースで
とんでもないことをやっていたのだった。
富士五湖の水位が下がっている話は
連日お伝えしてるけど、
なんと、3m40㎝も下がり
そのせいで沼地化しているというのだ。
『水位が下がっている河口湖は、先週の雨などの影響で一部が沼地になり、この沼地で身動きが取れなくなった釣り人らを消防が救出する事態が相次ぎ、湖畔の一部が立入り禁止となりました。
「湖の北岸に来ています、本来であればこの場所、水でいっぱいになっているのですが、今年は水がありません、1メートルほどの竿を刺しますと、全て埋まってしまうくらい柔らかい土になっています」(記者)。』
おおお!
そうなんだね〜!
しかも、釣り人が埋まってしまうという事故が起きたのだという。
ちょうど、ハーブフェスティバルが行われているという、大石公園に行ってみた。
ハーブフェスティバルといっても
なぜか、河口湖は
ラベンダーばかりを植えている。
今日は鵜の島の向こうにあるはずの
富士山が見えなんだが…
えええええー?
これ以上先には行けないようになっていた!
もともと、
通常の水位だと
このコンクリートまで水が来ていたの。
つまり、ここから先は、
湖の底の部分。
この看板でひるむわたしでは無くて、
さらに湖の際まで進むと…
あれれ?
なんだかヘドロの匂い。
それに、
魚が死んでいて、
腐った生ゴミのような匂いも…
ここが汚泥のようになっていて
進むと、ズブズブと沈んでしまうとのこと。
うむむ…
なんだか、悲しい。
水口龍神は
泣いているに違いない。
大石公園のトイレに行ったら
こんな、張り紙が。
さらに先に進んで行くと
あれれれ?
あの時、駆除したはずの
あの時には
こんな沼地でもなかったし、
こんな匂いもしなかった。
わずか、二週間。
梅雨だというのに
雨が降らないせいだ!
アレチウリをひとりで抜いた。
ひとり、環境保全活動。
ワンコ散歩のたびに
ひとりで、河口湖の湖畔のアレチウリや、オオブタクサを駆除していたんだ。
百年前の、河口湖の写真を見たとき
心が震えた。
牧歌的で、自然がいっぱいあった。
百年前に戻すんだ。
ひとりで、
いつもそんなことを考えていた。
カエルが鳴き
オオヨシキリが営巣して
葦が生い茂る
豊葦原瑞穂クニに戻すんだ。
今日も河口湖には
たくさんの来訪者が訪れいたけど
誰も知らない。
水口龍神は
泣いているだろうか?
だけど、龍神は忘れ去られた存在でも
ひとりでもココロ合わせが出来るなら
きっとまた
わたしたちのために
働いてくれるのだろう。
あの、雨乞いの歌を
今日もまた、口ずさむ。
雨ヲ降ラセ給ウ…ヤイ