まるで台風のような
暴風雨にさらされたあと
夕方になって
大きく雲が動き富士山が出てきた!
ほんとうに
今日は大荒れでした。
さて
夏至になる時間
13:24
わたしがどこに居たかというと…
今日はこんな感じ。
ここは
笹見原遺跡という
縄文遺跡が発見された場所。
富士山と逆側には
古富士の時代の火山灰が
何十回にも渡って噴火を繰り返した層が
バームクーヘン状に見える露頭あり。
なんだか、この場所で
13:24を迎えたかった。
こちらの高台に
小さな目立たない神社あり。
『本社は、忍草部落の北東艮(うしとら)の方表鬼門に位置し、古来から部落の安泰をみそなはしてきた。祭神は大禍津比売神と八十禍津比売神の二神である。眺めてあかぬ霊峰富士に対峙し、西からは鐘山、平山、峯山を体とし、東からは鳥居地、笹見原 湯の平を体とする二体の大蛇が、阿弥蛇で合体して蛇頭となる大自然の恵にあやかる霊蹟の由縁をもって、忍草開祖の頃より祭祀されしと伝へられる。』
イロイロ書いてあるけど
わたしは
縄文時代の富士山を遥拝した場所だと睨んだ。
ここからは、
素晴らしい富士山が臨めるの。
今日は見えないけどね。
さらに登ってみる。
小さなオヤシロが見下ろせて
この尾根は、
富士山と対峙しているのだとわかる。
富士山の噴火を抑えるための
浅間神社ではなくて
アサマノオオカミを讃えるための
遥拝する場所を
今日は選んだ。
の、はずだった。
ところが
この場所を
かつての宇宙湖を眼下に見下ろす地であることから
水神を祀ったものであるとの
大胆な仮説に巡り合った!
(阿弥蛇?→┗┳┛←合体した突端が蛇頭疫神社?)、富士に対峙している点が奇異に感じられます。もし富士を遙拝するなら、社殿の向こうに富士が見えるはずですが、当社の場合は逆です。社頭からも、社殿からも、振り向けば富士!!
さらに社殿の裏を登ってゆくと、ここが「崎・岬・鼻」であると感じます。「由縁」にもあるように、当社が鎮座する丘陵は東も西も山です。笹見原遺跡は鳥居地峠南麓の斜面にあり、その南側にはかつて湖があったそうです。すると、当社は富士を遙拝していたわけではなく、その湖の水神を祀っていたのでしょうか。本殿の手前の祠に、龍頭観音のような像が祀られていました。
こちらのことかしら⁉
うむむ…
また、水であり
水神であり、
蛇であり
龍に結びついてしまったかもしれません。
なにしろ
雨水が、滝のように流れていたし…
このあと、
空の雲がどんどん
変化して行った。
オオカミやら
ヤタガラスやら
たくさん姿を現した。