『蓮華寺』は
謎の多いお寺さまです。
現在は富士河口湖町の
大嵐という地区にあります。
(かつては大嵐村。古くは大原、さらには大荒と呼び、いまでも地元のひとは“おおわら”などと呼んでいます。)
河口湖周辺の大原七郷と呼びますが
甲州から駿河への“若彦路”と
富士山へ登る“道者道”の分岐点に存在するため
大原七郷の中心的存在だったといます。
日蓮宗のお寺さん
持名山蓮華寺。
星祭りを行うことで知られています。
フジ三龍王〜『星祭りの寺』
奇しくも新月の5月26日に
こちらの八須御住職に
お話を聞きに行って来た話です。
実は、あくる27日に
『行者屋敷跡』と
『榛名池』を訪れるので
実際に訪れる前の情報収集も兼ねていたのでした。
まずは
役小角(役行者)との関係は?
(行者屋敷跡が、役行者由来であるとの見解をすでにAさんから聞いていたので)
富士山にも色濃く
役小角(役行者)伝説が残っています。
そして、
こことの関連は
頂いた蓮華寺のパンフレットに
明記されていたのでした。
(地図は、明治三十六年十一月とありました)
大宝三年(703)役の小角、富士山の小室に大日如来と四金剛童子を安置し、
大日往生寺と称した。そして大原村(現蓮華寺)に修験の行場を構えた。
それから大同四年(809)弘法大師空海が富士山に登り、大日往生寺の大日如来と四金剛童子を大原村に移して一宇を建立大同山御堂寺と称した。
『これはあくまでも、伝説ですが…』
と、仰る八須さんは
なかなか信頼のおける方のようでした。
本堂の上には七面堂が描かれており
(現在はありません)
さらにその上に
『壇ノ山』(足和田山)
『奥ノ院』(行者屋敷跡)
か描かれています。
2012年の行者屋敷跡の
山梨県の発掘調査の様子が
こちらには展示されていました。
それによると、
やはり、行者堂らしきものが
少なくとも江戸時代後期まで、あったのでは、と。
ふむふむ…。
日蓮宗のお寺なのに
なんだか不思議です。
そして
噂には聞いていたのですが
河口湖河口上の坊にあった
日蓮上人の半跏像が‼
もっともそれほど古いものではなく
江戸時代後期のものだそう。
だけど
上から垂れ下がっている
御幣のようなもの
お寺さんなのに、違和感がありませんか?
さらに案内してくださった場所には
わ!なんじゃコリゃ〜‼
普通のお寺さんと違う‼
すると、八須御住職は
『法華神道なんですよ』
という言葉を口にされた。
え〜〜〜!
なんですか?それ⁇
なんと、
神道と仏教の
融合した形のようでした。
そもそも、役行者が開いたとされる修験道も、
もともとあった山岳信仰と、
仏教が融合した当時でいう新興宗教みたいなものだったのでしょう。
『法華神道とは…』
で
続きます。