『山中殿』によって
この山中村が開けたのだ
と、
この里では、言い伝えられているそうだ。
(現在の名前は、山中湖村というのだけど、山中村と平野村が合併してその名になったらしい。)
しかし
山中湖村には現在
『山中さん』はいない。
これは不思議ではないか?
先ほどの記事に書いた
五輪塔の
『村では、山中太郎左衛門(明応三年(1494年))三月二十六日合戦があり打死)の墓と伝えられる』
以来、
山中太郎左衛門の子孫の行方はしれないとされているのだ。
しかし、
その五輪塔は、
“御所”内の、高村次郎さん宅の敷地内にあり、
高村家が手厚く祀り続けているのだという。
そして
御所を分断する道路を跨ぐと
いつも通るのに、全く気がつかなかったものを、この日に見つけた。
高村家の真新しい墓地‼
これは、偶然にも、
わたしの家の家紋と一緒なのだけど
この紋には
『◯十』が隠されているのだ、と
わたしは密かに思っている。
地球の惑星記号でもある
◯十!!!
ここにも
大きな五輪塔があり
あちこちからここに集められたらしき高村家の墓石や石仏が!
あの日
4月20日にも
奇しくも、訪れた
4月20日
そして、
4月22日は、わが家の墓参り、
そして
この日4月29日…
10日間で三回も
この家紋に出会うとは。
そして
最初に訪れた20日のあと
心さんとmioさんのブログ記事に
『小野篁(おののたかむら)』
という平安時代の人物の話題が出てきて
わたしたち三人は、驚愕したものだ。
わたしが一番驚いたのは
その、たかむらという字。
篁!!!
竹冠に皇⁉
皇の字が竹に隠されている?
さらに
“御所”の中には
『山中太郎左衛門の屋敷跡』とあり
『山中湖村の史話と伝説』によれば
十六菊花章の入った香炉、
馬具轡、
石に刻んだ菊花十六弁の四分の一にあたると思われる品々が
地下一mくらいのところから出てきたのだという。
ここは
『大森五郎氏屋敷内』であるとされ
大森さん、という名前も
なんだか大きなものを御守りする家系、
と感じてしまうのは
わたしだけかしら?
ここからは
あの、赤い橋が見える。
右、諏訪神社
左、浅間神社
もともと一つの敷地内
“御所”の中にあったふたつの神社。
そういえば
山中浅間神社って、いったこと無いんです
と
Aちゃん。
ではでは
お参りしましょうか、
といって
先ほど車を停めた
“まるく”の前まで戻ることにする。
ラスト一回、
続きます。