『一(ひ)二(ふ)三(み)四(よ)五(い)六(む)七(な)八(や)九十(ここのたり)
布瑠部(ふるべ)由良由良止(ゆらゆらと)布瑠部(ふるべ)』
こちらは
十種神宝(とくさのかんだから)祝詞。
実際はもっと長いらしいのだけど
こちらのフレーズを
繰り返す、とある。
これが
布留の言(ふるのこと)
新潟 弥彦神社
島根 物部神社
そして
奈良 石上神宮
こちらの三社で行われる
『鎮魂祭(たましずめのまつり)』の
重要なフレーズ。
ああ、
ほんとうに、ドツボにはまってる。
石上神宮のことを調べていたら
こちらの公式HPには
美しいイラストとともに
いわば、“表向き”の
こちらの説明がなされていた。
ギリギリなんだろうな…。
きっと
裏の真実が見え隠れするに違いない
こちらをまず
ご紹介することにする。
⑴布都御魂大神
(ふつのみたまのおおかみ)
神武天皇は「東方に国の中心で、すばらしく美しい土地がある」と、九州の高千穂宮を出発し、船で海を渡り、大和に向いました。途中幾多の困難に遭遇しながら進んでいきます。熊野では賊の毒気にあたって全軍が壊滅寸前の状態に陥ります。その時に高天原から降ろされた一ふりの横刀(たち)(またの名を布都御魂・ふつのみたま※日本書紀では韴霊・ふつのみたま)を、高倉下(たかくらじ)が神武天皇に捧げます。するとこの横刀のもつ不思議な力、起死回生の力によって神武天皇の一行は蘇り、賊も退散。神武天皇は、無事に大和を平定することができました。
⑵布留御魂大神
⑶布都斯魂大神
(ふるのみたまのおおかみ)
物部氏の遠祖・饒速日命(にぎはやひのみこと)が、高天原より天降られる時、天津神から「天璽十種瑞宝(あまつしるしとくさのみづのたから)」を授けられました。この時「もし痛むところあれば、この十種瑞宝(とくさのみづのたから)を、一二三四五六七八九十(ひとふたみよいつむゆななやここのたりや)と言って振りなさい。ゆらゆらと振りなさい。そうすれば死(まか)りし人も生き反(かえ)らん」とお教えになりました。この天璽十種瑞宝は「十種神宝(とくさのかんだから)」とも称えられる、十種類の神宝です。「瀛津鏡(おきつかがみ)、辺津鏡(へつかがみ)、八握剣(やつかのつるぎ)、生玉(いくたま)、足玉(たるたま)、死返玉(まかるがへしのたま)、道返玉(ちがへしのたま)、蛇比礼(へみのひれ)、蜂比礼(はちのひれ)、品物比礼(くさぐさのもののひれ)」の十種で、「亡くなられた人をも蘇らす」霊力を秘めています。
饒速日命は天璽十種瑞宝を携えて、多くの供(とも)を従え、天磐船(あめのいわふね)に乗って豊葦原中国(とよあしはらのなかつくに)に降臨されます。最初に降臨されたところは「河内の国の河上の哮(いかるが)峯」と伝えられ、その後、饒速日命は大和国山辺郡布留の高庭(現・石上神宮の地)に遷し鎮められました。磐船に乗って上空から眺め、「虚空見(そらみ)つ日本(やまと)の国」と言われ、これが「日本」の名称の初めになったと、『日本書紀』に記されています。
饒速日命の御子様に宇摩志麻治命(うましまじのみこと)がおられました。宇摩志麻治命は、初代の天皇である神武天皇と皇后の聖寿の長久を祈られる時、天璽十種瑞宝を用いて鎮魂祭(みたまふりのみまつり)を斎行されました。これが鎮魂祭の初めとなったことが『先代旧事本紀』に記されています。この物部氏の鎮魂は、御魂を振動させる「御魂振り(みたまふり)」と「玉の緒」を結ぶことが中心です。「玉の緒」とは玉を貫きとめる緒(ひも)のことで、玉(たま)と同音の「魂(たま)・命」を結び留めることを表しています。現在も石上神宮では11月22日夜に「鎮魂祭(ちんこんさい)」を、また節分前夜に「玉の緒祭(たまのおさい)」を斎行しています。
⑶布都斯魂大神
(ふつしみたまのおおかみ)
須佐之男命が出雲の国に降り立つと、老夫婦が嘆き悲しんでいました。わけを尋ねると、「毎年、八俣大蛇が現れて娘が次々に食べられ、最後に残った稲田姫もまもなく食べられてしまう」と言います。須佐之男命は勇敢に八俣大蛇を退治し、めでたく稲田姫と結ばれます。この時に大蛇を退治した剣が天十握剣(あめのとつかのつるぎ)で、後に石上神宮に祀らます。ちなみに大蛇の尾から出現した剣は天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、または草薙剣(くさなぎのつるぎ)といい、後に三種の神器のひとつとされます。
…
といった具合に
美しいイラストとともに
古事記や日本書紀の神話のなかに
見事融合させているのだけど…
これがギリギリのライン。
真実は異なるものらしい。
トリのトーテムが現すもの
それは…
続きはまた!