『サ』の神
サガミを訪ねると
いつもそうであるように
結局
アサマに結びついてしまう。
サムカワもそうだった。
アサマ(富士山)は
“サ”の神を、内包しているのかもしれない。
さて
2月11日に
サガミに行った話の最後になります。
ランチを頂いて
いよいよ、帰路につこうというとき
『石楯尾(いわだてお)神社に行きますか?』
mioさんが、提案してくれた。
ええええ!
そこ
そこ
そこ…
ずっと行ってみたいと思ってたんです!
だけれども
位置関係もわからず
この日まで来てしまった。
なんだか
すごそうな匂いがふんぷんするよ!
たしか、富士山となにかの関係があるのではなかったか?
聞けば
『石楯尾神社』は
いくつもあるらしく
このサガミの
ミステリーでもあるらしい。
(諏訪神社となっているものも、古代には石楯尾神社だったものも含めると…)
石楯尾神社
石楯尾神社 神奈川県相模原市緑区佐野川3448
石楯尾神社 神奈川県相模原市緑区名倉2524
石楯尾神社 神奈川県相模原市南区磯部字中峯2132
諏訪神社 神奈川県大和市下鶴間2555
諏訪神社 神奈川県座間市入谷1-1568
諏訪神社 神奈川県相模原市緑区大島594
石楯尾神社 神奈川県藤沢市鵠沼神明2-1-5
ね!
アヤシイでしょ‼
その中でも、もっとも重要であるらしい
『名倉の石楯尾神社』
に
連れて行ってくださる、というのだ。
わあお!
ついに行けるんだ!
狂喜乱舞〜!
ありがとう、
mioさん!
わたしたちだけでは
は
謎の神…。
古事記や日本書紀には登場しない
古層の神。
桂川の谷にある
『烏帽子岩』が御神体であったと伝えられる。
桂川の流れ。
つまりは
すでに富士とつながっているのだけど
くだんの『烏帽子岩』は
富士山から飛んで来た、との
伝承があるそうだ。
このような記述もあった。
『 旧来は、相模川(桂川)の対岸にあった「エボシ岩」を崇拝していたのだが、明治に中央本線が敷設された際には、撤去されてしまったと言う。
また、その相模川も現在は相模湖の水域となっており、満水ともなるとかつての渓谷美も損なわれている。』
そうなんだね…
生々流転…
なのに
ここには
昔と変わらず
満ちるひかり…。
『石楯尾神社の祭神は、石楯尾大神ということは各社共通しているが、名倉の石楯尾神社の社伝では「第12代景行天皇の庚戊40年、日本武尊東征の砌、持ち来った天磐楯 (あまのいわたて)を東国鎮護の為此処に鎮め神武天皇を祀ったのが始まりである。石村石楯は高座郡の県主で当地の住人であった。第47代淳仁天皇の764(天平宝字8)年、先の太政大臣藤原恵美押勝反逆の折、貢の為上京中で押勝の首をとり乱を鎮めた功により高座、大住、鮎川、多摩、都留の五郡を賜ったといわれ、石楯尾神社の保護者であった。」とある。また、この神社には「烏帽子岩」という巨石信仰も伝わっている。当地は丹沢山地北端の桂川(相模川上流部)沿岸に当たり、巨石信仰にはふさわしい。』
完全に
『石楯尾神社の祭神は、石楯尾大神ということは各社共通しているが、名倉の石楯尾神社の社伝では「第12代景行天皇の庚戊40年、日本武尊東征の砌、持ち来った天磐楯 (あまのいわたて)を東国鎮護の為此処に鎮め神武天皇を祀ったのが始まりである。石村石楯は高座郡の県主で当地の住人であった。第47代淳仁天皇の764(天平宝字8)年、先の太政大臣藤原恵美押勝反逆の折、貢の為上京中で押勝の首をとり乱を鎮めた功により高座、大住、鮎川、多摩、都留の五郡を賜ったといわれ、石楯尾神社の保護者であった。」とある。また、この神社には「烏帽子岩」という巨石信仰も伝わっている。当地は丹沢山地北端の桂川(相模川上流部)沿岸に当たり、巨石信仰にはふさわしい。』
拝殿の右手、
桂川沿いに
『福の神 大黒様 (大国主神)
昔 富士神界中心地のなごり
(日待ちも行われてた) 』
富士神界中心地、なる言葉に
こんなところで
お目にかかれるとは…。
このとき
キャーキャー叫ぶ声が!
レイちゃんが引いたおみくじ
二十三番‼
(シリウス〜〜〜‼)
この地がシリウスにつながるがごとく
二本
インフィニティ…。
最後に、Kちゃんが撮った
Aちゃんの後ろ姿と
ひかり…。
完全に
別の次元にトリップしてた。
こんな風にして
211
満月の旅は終わった。
ほんとうに、ありがとう
mioさん!
そして
フジサクラの仲間たち‼
また、ミステリーツアーに
誘ってくださいね!