その日がやって来た。
本日、
12月17日
『徐福の研究者さんたちの集まりがあるので、良かったら来ませんか?』
鳳凰のひと、
レイちゃんからそんなお誘いを受けたのは
10日ほど前だったかしら。
徐福〜!
行く行く‼
その後、
12月10日に忘年会があり
奇しくも、護良親王の古蹟を二日にわたりお参りしてしまったわたし。
それまで書いてなかった『みしるし』シリーズを、慌てて書き始め
ああ、ダメダメ
徐福関係の方とお会い出来るんだから
徐福のこともちゃんと調べておかないと…
そう思い
河口湖の図書館へ行ったら
なぜか、南朝関係の本ばかり借りてしまい
かろうじて借りた『宮下文書』の解説本、
『探求 幻の富士古文献』には
またもや、南朝関係の驚くべき話が載っていて…。
徐福のことはおおよそのことしか調べられぬまま
その日がやって来た。
11時過ぎに
吉田のうどん屋さんで待ち合わせ。
そうしたら!
それが、なんとなんと
『宮下文書 研究会』設立大会
であったの!
徐福が蓬莱山を目指して
富士山麓に来たときに
すでに、富士王朝があり
それを記した 古代文字で書かれていた『宮下文書』を
徐福が漢字で書き直した、と伝えられる
古文書である。
それを研究しようという、おじさまたち四名は
徐福研究者
南朝研究会
邪馬台国連絡協議会
などなどの面々。
そこに、抜擢された
レイ会長。
そして
なぜか呼んでいただいた、わたしがひとり。
混んでいるうどん屋をあとに
ファミレスに移動したら
分厚いプリントが配られて…
は、本当に偽書なのだろうか?
だとしても、誰が、なんのために
この膨大な巻物を書き、保管していたのか。
どこか真実で、どこが間違っているのか。
それの再研究をしてみよう、
という
とほうもなく壮大な目的の
会を立ち上げよう、というのだ。
ここで、
われらがチーム・フジザクラ
Sちゃん登場で
会合に加わる。
そして
13時
いよいよ、
宮下文書が発見された
大明見の宮下家!
その
本物を見せて頂こうというのだ。
七名となり
車にて
大明見に移動。
宮下家に到着。
こちらは、
御宅の裏手のお寺から撮ったもの。
右が、宮下文書が保管されている
土蔵だ。
富士山を向いているのがわかる。
(真ん中が富士山)
富士山は
古くは『阿祖山』と呼ばれ
その阿祖山を見る土地なので
アソミ
アスミ、と名がついたのだという。
この土蔵の中に
『宮下文書』が
保存されているのだという。
この扉の鍵を持っているのは
宮下家の当主。
『宮下文書(富士古文書)』の研究者でもあった先代の宮下義孝氏が
2011年に他界されたので
現在は、長男の
宮下明久氏のみが
この土蔵を開けることができるのだという。
先代のころから懇意にしていた
徐福研究家のDさんと共に行くことで
この瞬間に立ち会うことができるのだ。
ドキドキします。