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Channel: トヨタマヒメ富士日記
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みしるし ⑧ 薬師如来バイシャジヤ・グル)

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2200年も前のひとである

徐福は
インドから、薬師如来を持ってきたと伝えられる。

日本は、弥生時代の初め頃。


そもそも、 不老長寿の薬を求めて
蓬莱山を探しに来たというので
薬師如来と関係があっても
なんの不思議もないのだけど。

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(このタンカの薬師如来は青い。
詳しくは薬師瑠璃光如来といい,大医王,医王善逝 (ぜんぜい)とも呼ばれる
とある。)

瑠璃光とは…。
わたしは
シリウスを思い描いてしまうのだけど。


さてさて、

『徐福は、薬師如来像を持って来て
それを○○に収めた。』

そんな話を聞くと
クラクラしてしまう。


なぜか?

薬師如来、というと
『天白』を思い起こしてしまうから。


今年の謎は(謎解きは)
今年のうちに!

そんなスローガンを掲げていると
なにもかもが中途半端に終わっている自分がイヤになる。

いやいや
中途半端に終わっている訳ではない。

完結した、と思っていたものが

次のステージで、また
浮上するのだ。


『天白』を追っていた時

最初に『天白』ってなんだ?
と思った始まりの地

『天白磐座遺跡』がある場所は
『薬師山』!!!

だから、なんだっていうのだ?
たまたま、そういう名前だったんじゃないのか?


では、これはどうだろう。

諏訪の旅で天竜川を調べていたときに
出てきた『龍宮山 岩水寺』
結局は、遠江に行くことになり、
そちらをお詣りすることになったのだけど

そこの本尊が
『薬師如来』!!!

わたしは、天白と薬師如来は
なにか、関係があるのではないか?
と、そのときに思った。

だけど
『天白』は
あとが続かなくなってしまった。
(ラスト一回書くつもりだったんだけど。)

『倭族の神』
という
謎の言葉を残して。

そして、
倭族とは
『徐福ヲ拝スルモノ』
という記述に出会った。
うわっ!
そのときは、倭族とは
縄文から弥生にかけての土着の人々、
という想像があったので
何故に徐福?
と、唐突に思えたのだったが…


南朝を追っていたはずなのに
ここへ来て
また、薬師如来である。
もう、いやんなっちゃう。

かと言って、
ここで天白をまた持ち出す訳ではない。
天白は、ちゃんと今年中に
ラストを書くことにしよう。
きっとそれは
徐福に終わる。



そして、


不老長寿の薬を求めて来訪した
徐福。
その存在と、薬師如来は、
失われたパズルのピースのように
わたしには、思える。


宮下文書をベースとする
富士文献では
このように伝えられている。


 徐福は、書巻約3千巻と、印度留学から持ち帰った薬師如来像を、小室高座山
に建設した宝蔵に収め、阿祖大神宮の宝物にしたという。
 徐福が死んだのは、孝元天皇7年(前208)の2月8日、場所は富士中室とされ
ている。遺体は中室の麻呂山に埋葬されたが、相次ぐ富士山の噴火によって、多
くの遺跡とともに埋没してしまったという。
 徐福の子孫は、その後も当地に止まって、福のつく苗字を残した。
 現在、富士周辺に残る徐福の事跡としては、富士吉田市の太神社に徐福の墓
がある。


こちらの文書にある
『麻呂山』とは、あの明見湖の近くの麻呂山だろうか?
しかし、あそこには溶岩流も流れていないし、火山灰も来ていない。

福の付く苗字の方も聞いたことがあまり無いし、富士吉田市の太神社とは、麻呂山山頂にあるそれでは無いのかしら?
比較的新しいものらしい徐福の碑はあるんだけど。


そして
転載した冒頭の部分

小室高座山に建設した宝蔵に収め、
阿祖大神宮の宝物にしたという

相次ぐ富士山の噴火で
失われたというのだけど
弥生時代に収められたというそれは
いったい、何処へ???


それがなんと
驚いたことには
わが、忍野村の内野にあるのだという。


当時は、宇宙郷の宇宙野里(現・忍野村)は富士山噴火により無住地であり、よって、渡辺綱広と天野遠江守景信は、現忍野村内野の里へ隠れ屋を造り、秦徐福由来の薬師如来と弘法大師作になる観音像を本尊とし、源平時代の寿永三年(一一八四) 阿祖山の南麓、現忍野村内野の里へ初めて寺を建てられ、寺号を、長寿山上天寺という。

長寿山上天寺…


承天寺が創建されたのは、寺記によると寿永3年(西暦1184年)とされています。真言宗の寺院、長寿山上天寺として現在位置よりも山沿いの宮の脇に開かれました。
(中略)
本尊、薬師如来


なんてこった〜い‼
わたしは毎日
『医王山承天寺』の前を通るんでないの!

だけど、もともとは
もっと山際のお宮の隣にあったのだという。
山際のお宮はふたつあり
内野浅間神社
八幡神社。
そうよ、うちから徒歩五分…。


だけど、
忍草の東円寺には行ったことがあるのに
こちらは無い。

引っ越しして、丸二年。

この日
初めて、お邪魔しまーす!

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山門をくぐる。
なんて書いてあるの?


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江戸時代の鐘楼。
特に興味を惹かれるものは無い。

山際からこの地に移ったのは
いつ頃のことなのだろう。

そんなに古い時代ではないのかもしれない。



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鳳凰だ!

ここでは、
不思議な話好きの住職さまなどは
出てこなかった。
だから
肝心の、薬師如来像のことは
わからず終いだ。

弥生時代にやって来た
薬師如来像って
どんなものなんだろう。

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薬師如来は
牛頭天王の習合される
すなわち、スサノオであるともされる、

そして
ヒンズー教では

『ダンヴァンタリ神』

『アーユルヴェーダ医学の神様で、ヴィシュヌ神の化身(アヴァターラ)ともいわれます。
ダンヴァンタリ神は、ヒンドゥー教の神話における「乳海撹拌(天地創造)」のときにアムリタという不老不死の薬を手に誕生したとされます。』


不老不死‼

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おっと
飛躍しすぎ〜!


この日
わたしには最後に
どうしても行かなくてはならない場所があった。


それが、このお寺がもともとあったとされる場所にある(とされる)

南朝 護良親王の曽孫
梅若王の墓。

だいたいの目星はついている。

それは、不思議な形の墓なのだから。


最後は
南朝だ!

わたしはいったい
何をやっているんだろう。


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