なんて空なんだ⁉
雨の予報から一転
太陽が射し込んだと思ったら
またしても、
暗雲が立ち込める。
わたしが樹海に入り浸っていた
三日間の間に
世界では、様々なことが起きていた。
キューバのフィデル・カストロ氏が
逝った。
90歳。
キューバフィデル・カストロ前国家評議会議長が死去
希代のカリスマ革命家。
こんな写真がある。
わたしは、このふたりが好きだった。
アーネスト・ヘミングウェイ
と
フィデル・カストロ
もちろん、フィデルに逢えるわけでは無かったけど
あご髭がトレードマーク。
1987年初め
わたしはひとりでキューバへ行った。
ヘミングウェイは
1938年から1960年まで
キューバに22年間住んでいた。
この国のあちこちに
ヘミングウェイの愛したものたちが遺されている。
そして、
革命を成し遂げた男たちの作った国。
そんな空気を感じたくて。
もちろん、フィデルに逢えるわけでは無かったけど
革命によって得た社会主義の国、
キューバの持つ明るさは街中に流れるラテンのリズムとともに
人生の、最も心に残る旅となった。
1987年当時、カストロ議長は60歳の現役
ヘミングウェイは、1961年にショットガンで自殺してすでにこの世にはいない。
『ヘミングウェイは、革命前のキューバ共産党に最も多額のカンパをした外国人だったし、独裁者のバチスタの再三の食事の招待には決して応じなかった。キューバ革命については、「この革命が、人民にとってよい革命だ」として、当初から好意的な態度を示し、それを支持していた。六〇年ハバナに帰ってきた時、空港で、アルゼンチン人の記者に対し、「われわれは勝利するだろう。われわれキューバ人は、勝利するだろう」とスペイン語で述べ、さらに「私は、ヤンキーではないんだよ」と英語で付け加えた。
ところでヘミングウェイは、フィデル・カストロ首相(当時)に一度だけ会っている。六〇年五月にハバナのフィッシング・コンペティションでのことで、それが最初で最後のことであった。カストロ議長は、後年、「ヘミングウェイは、最も好きな作家の一人で、『誰がために鐘は鳴る』は三回以上も読んだ」と述べている。そして、『人間は、破壊されることがあっても、屈伏させられることはないのだ』というヘミングウェイの言葉は、キューバ革命へのメッセージでもあると述べている』
(こちらよりの転載です)
フィデル・カストロは
2003年に来日して
広島の平和記念公園の慰霊碑に献花をしている。
芳名帳に
このように書き綴ったという。
キューバ帰国後、
カストロ氏は広島訪問時の所感について国会で演説。
世界に向けて広島を訪問するよう訴えた。また、原爆を投下したアメリカを痛烈に批判した。
“何百千万の人々があの地を訪れるべきだ。あそこで起こったことを人類が真に知るために”
キューバのゲリラ指導者、チェ・ゲバラ氏も平和記念公園の慰霊碑を訪れたことがあり、「ゲバラから『ぜひ広島は訪れた方がいい』と勧められた」と訪問理由を説明したという。
フィデル・カストロと
チェ・ゲバラ
獅子座のフィデルと
最後まで革命家として生き
ボリビア山中で命を落とした(一説には暗殺) 双子座のチェ。
(この写真で咥えているのは
高級葉巻のコイーバだろうか。わたしもハバナのホテルで購入して、部屋でひとり吸ってみた。あのころのわたしは、何に成りたかったのだろうか。)
チェが好きか
フィデルが好きかは
ジョンとポールとどちらが好きか
みたいなものだ。
あまり理由なんて無い。
そういえば
ポール・マッカートニーも
双子座だった。
そして
チェ・ゲバラとわたしは
誕生日が同じなのだ。
どちらかというと、フィデル派のわたしだけど、これは少し自慢だった。
ところが
驚愕の事実に、今日行き当たった。
フィデル・カストロの死への
トランプ次期大統領の声明は
「60年近くにわたって自国民を迫害した残虐な独裁者が死去した。』
わたしのフィデルに
ひどい評価だなあ…。
と思っていたら
このトランプ氏の誕生日が
なんと、
わたしと同じ日だったのだ。
えええええ〜‼
トランプ氏と???
わたしと
チェ・ゲバラ???
6月14日生まれ…
(って、わたしだけ無名…)
(まあ、
わたしの黒い犬が小浜市の生まれで
オバマだ〜!くらいの話題なんだけど。)
願わくは、トランプさん。
チェや、フィデルや
オバマ氏のように
ぜひ、広島に来て
献花して欲しいです。
クニを愛するとは
そのクニが犯した罪をも
見つめる勇気をもつことなのだと思う。
わたしの中では
永遠にヒーローの
フィデルとチェ
そして
パパ ヘミングウェイ。