今日は
ここにいた。
『富士風穴』
青木ヶ原樹海で
最大の溶岩洞窟でもある。
あれれ?
昨日、ツアーで入ったばかりだが?
今日は、ツアーではない。
お客様をお連れするのではなく
『富士風穴 監視員』のお仕事。
そんな仕事があるんだね。
それは
今年始まったばかり。
だから、時折
こんな風に水蒸気が穴から流失して
なんとも神秘的な様子になる。
ここは、ここ数年
様々なエコツアー事業者にとって
ドル箱的な存在となり
なにしろ
オーバーユースで
大変なことになっているの。
そこで、山梨県の主催している
青木ヶ原樹海等エコツアーガイドライン協議会では
今年は、富士風穴に、監視員をおき
入洞の装備や、ルールなどの周知を徹底させることになったのね。
で、
誰が監視員をやるの?
という話になって、
富士河口湖町のネイチャーガイドの有志が
それを行うことになったの。
それで、わたしは手を上げた。
このフィールドが
わたしにとっても
大切な、大切な
場所だったからだ。
ここから先は
富士山。
精進口登山道。
『チーフシアトルの言葉』につながって
そんな記事を書いたら
リブログしてくださった方が
三人もいた。
なんだか、嬉しかった。
改めて
今日は
あの、チーフシアトルの言葉を
噛み締めていたんだ。
感覚が、まったく変わっていたことに
気がついたの。
例えば、このフレーズ、
白い人の町の景色は わたしたちの目に痛い。
白い人の町の音は わたしたちの耳に痛い。
水面を駆けぬける 風の音や
雨が洗い清めた 空の匂い
松の香りに染まった やわらかい闇のほうが
どんなにか いいだろう。
ヨタカの さみしげな鳴き声や
夜の池のほとりの
カエルのおしゃべりを 聞くことができなかったら
人生にはいったい どんな意味があるというのだろう。
この
赤い字の部分…
1990年のわたしは
環境問題を、頭の中で
あるいは机の上で
考えていたに過ぎなかったのだ。
この、赤い字の部分は
いまだからこそ
わたしはチーフシアトルとまったく同じ気持ちで
同調することが出来るのだ。
鳥族。
ヨタカの声を
1990年
わたしは知らなかった。
夏鳥として標高の高いところに飛来する
ヨタカは
富士山麓では夏の夜の風物詩であったらしい。
しかし、
天然林の減少と
杉やヒノキなどの人工林化で
生息環境か悪化。
さらに、越冬地の経済発展による大規模な森林伐採により
いまや、絶滅危惧種となってしまった。
わたしがヨタカの声を最後に聞いたのは
もう八年もまえの話だ。
画像をお借りしました。
こちらで聴けます!
このような、天然の森でしか
生きることの出来ない生き物が
ごまんといること
私たちは忘れてはならない。
ここで起きることは
日本中で起きていること。
日本で起きることは
地球のどこでも、起きていること。
だから、わたしは
ここから守る。
日本の
富士の森から。