これから
まさに、鵜の島に渡ろうとする矢先に
かかってきた、とらからの電話は
どちらのせいなのか
電波の状態がわるくて
なんども聞き直した。
河口湖はいつ頃できたのか?
昔の地図を送って欲しい
とは、
とらのリクエストで
前日、そう言われれば
どうだったのだろう?
と思案して
送ったのは
宮ノ下文書の解釈本『神紀記』に添付されていた地図だった。
こちらの地図は
送ったものの
地学的な信憑性は薄い。
それでも、それしか思い当たらないので
しかも、その日の朝、送ってみたのだが
そのときの電話で
とらは、驚くべき話をしてくれた。
『鵜の島は、中央だよね。
御室浅間神社と、鵜の島
その上に日月神社ってあって、
一直線に並ぶよ。』
え?
なになに???
わたしは驚愕した。
(なぜなら、この日の前日
Nから、鵜の島のあとに、『日月神社』に言ってみたい』とのリクエストを受けていたのだから。)
何度か聞き返した
とらからの話は
鵜の島は十字の中央。
縦横の直線上に
御室浅間神社
日月神社
貴船神社
山神社
などなどが、並んでいるのだという。
縄文遺跡があるってことは
昔から、土地だった。
だから、『土』
陰陽五行でいうところの
真ん中なんだよね。
鵜の島は『龍穴』⁉
すると
なんと!
すると
御室浅間神社と、さらにその南にある
富士山そのものは
朱雀?
鳳凰の原型でもあると言われている
鳳凰の原型でもあると言われている
朱雀は
なるほど
火の神にふさわしいのかもしれない。
そして
玄武にあたるのが…
大石という場所にある
あの、
日月神社だというのか…
なんと!
遠方から来たN氏と
諏訪のとらが
どちらも
同じことを言う。
御室浅間神社ー鵜の島ー日月神社
南北の縦のライン、
それが重要であると。
まるで、申し合わせたかのように。
予定通り
7:30
手漕ぎボートで
三人で、鵜の島へ向かう。
近づいてくる。
振り返れば
富士山が懐を広げているかに見える。
(難しい漢字)
ここには、
ふたりの神様が祀られている。
この辺りの伝説によれば
太古の昔
豊玉姫命という龍神の娘が
彦火火出見命という天孫とここで出会い
めでたく結ばれて
この島に産屋を建てて出産しようとしたが
その姿を見ないでください、と
姫は懇願したのに
彦火火出見命は
見てしまい
豊玉姫命は、恥ずかしさのあまり
おおなまずの姿となり
河口湖の底にある、竜宮に
帰ってしまったのだという。
産屋の屋根を鵜の羽根で葺こうとして
間に合わずに出産してしまったので
その子の名は
『ウガヤフキアエズ』
そこで、この鵜の島には
西に
ウノシマ神社あり。
その祭神が
『ウガヤフキアエズ』
その東に
島弁天の祠あり。
その祭神は
ウガヤフキアエズの
産みの母 豊玉姫命
とも
のちの妻となる
乳母の 玉依姫命
とも、いわれている。
ウガヤフキアエズと玉依姫の子が
カムヤマト磐余彦
のちの神武天皇
よって
今生天皇が
この小さな島に
お詣りにいらしたのだという。
しばらく登ると
鵜の島神社の鳥居と拝殿が見える。
と、わたしが聞くと
N氏は
あとでいいでしょう、
と
先に急ごうとする。
(あとで聞けば
このとき、ここは
空っぽだったのだという。)
さらに足を進めて
あの
島弁天の祠
手が不自然な
グーとパーで
しかも、
両手を合わせて指が11本の
不思議な木像の女神がおわします
あの
島弁天の祠へ!
続きます。