『サ』の神シリーズは
あと、『ザマ』と『アルカ奥宮』を残すのみとなったのだけど
ああ、早く書かなくちゃ、カルナバルの始まる前に、と心ははやりつつ
検索してからすでに時間が経っている『座間(ザマ〉の由来、どこに書いてあったっけ?
お得意の検索モードに入ってあれやこれやを読んでいたら
またもや、妄想の世界に入って行くワタシ。
まずは、『座間(ザマ)の地名の由来は イサマ』というくだりから。(少々長いけど勘弁ね。
「続日本紀」に、「夷参」という郷名が出ています。今まで武蔵国の国府に行くには東山道の上野国を通って行っていたが不便なので、東海道にあらため、夷参からの道にしたらどうかという奏上があり、許可されたというものです。
この夷参はのち「和名抄」に出てくる「伊参」であろうとされ、上野国に同名の地があり、イサマと訓があるので、相模国の夷参もイサマと読み、イサマの「イ」が脱落して「ザマ」になったというのです。
座間の語源については別にふれますが、座間は湧水が多く、縄文時代の遺跡の多いところです。しかし、弥生時代についてはほとんど何も遺跡らしいものがなく、当時は米作には向かなかった地であったからかも知れません。』
ふーん。
イサマ。
アサマとも似ているなあ。
でも、蝦夷〈エミシ)の夷を当てているところを見ると、やはり中央から見ると、蛮族が棲む土地、という意味かもしれないなあ。
わたしは、座間(ザマ)と座間味(ザマミ)の関連を即座に思ったんだけど。
(でも、このアルカ族の地と、座間味島のある琉球とは、実はつながって行くのかもしれない。)
でね、
12月中頃にサガミに行った時、どうしてもコピペ出来なかった
『サ』の神へ
を書くもととなったブログさんが、コピペできちゃったのです。(なんで???)
こちらも少々長いけど、重要な箇所は、赤字で記しました。
(こちらのブログさんより)
日本古来より「サ」がつく名はすべて「神様」に関係するとまず考えました。
神社の敷地内は「境内(けいだい)」と言う様に、神様と我々には境目があり、神と人間の境目を「サカイ(境)」、その垣根が「サク(柵)」です。
神様が山から「さと(里)」に下りてくる道を「サカ(坂)」、「さなえ(早苗)」を作り、田植えの時期(5月)を「サツキ(五月)」、米作りに欠かせない長雨を「さみだれ(五月雨)」、田植えをする若い女性の事は「さおとめ(早乙女)」と呼びます。
繰り返しますが、漢字は元々あった言葉への当て字ですので、そもそもの「ひらがな語」に意味があります。
山に住み神の使いとされたのは「サル(猿)」、山の中(神の領域)で迷う事を「さまよう(彷徨う)」、今でも神事に欠かせない「ササ(笹)」や「サカキ(榊)」は神聖な植物です。
神様には「ささげもの(捧げ物)」を「ささげる(捧げる)」為、そのお供え物で最も使われる物は稲から作った「サケ(酒)」で「サカズキ(杯)」に入れました。食べ物として「さかな(肴)」を添えて「サラ(皿)」に乗せました。
祭りを行う際のサ神様の貴賓席は「サジキ(桟敷)」と言い、庶民は地面の芝に座ったので、芝居と言う言葉も生まれました。
子供を「さずかる(授かる)」、そして嬉しいことや幸福を「さいわい(幸い)」と言い、サ神に祝ってもらう事を意味します。「サチ(幸)」は、サ神にたくさん集まってもらいたいと言う意味です。
このように日本古来より使われる神様に関連する言葉は「サ」から始まります。
サがたくさん使われる理由としては、日本で一番古い神様は「サの神」と言う自然信仰であるからだと推測できます。
サの神は「山」の神様で冬は山に篭り、暖かくなると里に降りて来ると考えられていました。
3月下旬に暖かくなると「サクラ(桜)」が咲く訳です。
すなわち、現在の神奈川県においては大山信仰が石器時代よりあり、縄文時代から弥生時代に入ると豊作を祈願したと考えられます。』
うーん、
この方は以前も、富士のアイヌ語由来を調べた時に、『マオリ語』が出てきてしまい、
アイヌ語と、マオリ語の相似性について、謎解きが終わっていなかったんです。
マオリって?
どんな人たちなんだろう。
ニュージーランドの先住民族。その程度の知識しかなかった。
で、検索!
およよ~
鳥族?
アイヌと琉球人の源流

![]() | ![]() | ![]() | ![]() | ![]() |
入れ墨文様 ① | 入れ墨文様 ② | 入れ墨文様 ③ | 入れ墨文様 ④ | 入れ墨文様 ⑤ |