うーん
気になる、気になる。
菊池武光。
おそらくは
4月14日から始まった
熊本を中心とする
多発する地震のせいだ。
日本史に興味は無いし、
四文字氏名は覚えられないのに
『菊池武光』は覚えていた。
30年前のわたしの師匠
メンズデザイナーの雄
『菊池武○』と一文字違いだったから。
ましてや、そのデザイナー大先生は
熊本に祖先が居て
なんと、菊池武光の末裔であるとのことだった。
当時、大先生の片腕、ユウヤというデザイナーが
わたしのパートナーだった話は何度かした。
それがね
苗字が、
『今○』というんだけど
1990年
わたしたちふたりは会社を辞めて
会社を立ち上げた。
そのあたりの話は、『ココロの旅シリーズ』に詳しい。
そこから
わたしは、奈良県奥吉野にある
天河大弁財天社にハマっていった。
何度かそこを訪れた時
天河の坪内地区に住んでいる方の苗字が
パートナーと同じ
『今○』だらけだということに気がついた。
ちなみに、ユウヤは広島出身で
奈良県とは縁も所縁も無いらしい。
まあ、それは良いだろう、
ところが
その、天川村という土地が
南朝と深い関係があることに気がついた。
南朝???
菊池武光じゃない?
そこで、わたしはある仮説を立てた。
デザイナー大先生、菊池武○と
今○ユウヤは
前世でも
主従関係だったんじゃないの?
絶対そうだよ。
当時、前世話が好きだったわたしは
もう、決め付けていた。
時は流れ…
もう、それがどうでもよい時代になって
熊本を中心とする
群発と言っていい地震のせいなのか
(震度1以上の地震は、今朝で千回を超えたそうだ。それは、恐るべき数だ。)
『菊池武光』
にわかに気になってきた。
『菊池神社は、熊本県菊池市に鎮座する神社である。南北朝時代に南朝側で戦った菊池氏の3代を祭る。建武中興十五社のうちの一社である。旧社格は別格官幣社で現在神社本庁の別表神社。 境内に菊池歴史館があり、菊池千本槍など菊池氏500年の歴史の遺物が展示されている。桜の名所としても知られている。 』
キーワード
南朝
後醍醐天皇
その子孫 懐良(かねよし/かねなが)親王
太宰府
さてさて
明日は、勝山の御室浅間神社の
『流鏑馬神事』の日である。
平将門の乱を平定したどなたかが
将門の首を京都へ運ぶ途中
富士山に立ち寄り、アサマの大神に報告したことが起源と伝えられる。、
先日は、奇遇にも
平将門が祀られている
神田明神にお詣りに行った。
わたしはそもそも
平将門の鎧が納められているという
新宿の『鎧神社』のすぐそばで生まれているのだ。
そして、わたしの父は
平将門の何かが納められていたという
浅草神社のそばで幼年期を過ごしている。
それは、将門を祀る神社が北斗七星に配置されている
最初と最後の地点にある。
平将門が、わが家に無関係なはずはない、と思っていた。
では、菊池武光は?
いままでは、わたしは多少のご縁があるのだろうな、と思っていたけど
うーん
なんだか、気になる。
菊池武光
と
平将門。
どなたか
共通点をご存知ではないですか?