昨日の続きです。
古代には、富士王朝が存在したと云われる
カキツ(現在の富士吉田市)の
小佐野(オザノ)の滝(鐘山の滝)
その滝の上に
ひっそりと佇むお社…
この場所は
かつては
なんとも、摩訶不思議…
人がお詣りすることを想定していません。
(鐘山の滝を登るか、クレー射撃場の
『立ち入り禁止』のチェーンを跨ぐかしなくてはなりません。)
信玄の時代の、古戦場だったとのことですが
それ以前にも、大切な場所だったに違いありません。
奈良時代には
熊野権現を勘定したとの説があるようですが
本当かしら?と思ってしまいます。
もっとずっと後のことのような感じがします。
この後ろの小高い高まりが
古代の人々が
もともとお祀りされていたものが
時の権力者によって、差し替えられていくものも多いのだから。
熊野大権現とならんで祀られる
紫龍神が気になります。
そもそもは
滝の上にあることから
熊野権現をいつの時代が、勧請したのでしょう。
拝殿は、正面から撮っては失礼だということで
拝殿から手水舎の眺めを撮りました。
この背後の膨らみに行って見たくなり
ミキさんとともに登ってみました。
いつ頃のものなのでしょうか?
すると、
その背後は、例のクレー射撃場となっており
なんということか
この小高い神社の背後に向かって
射撃をするようになっていました。
何だか
哀しくなりました。
戻ってくる時に
拝殿が佇んでいるのを眺めます。
今日、11月11日は
また、富士山清掃の日であったので
洞窟調査をしたYちゃんに、ここの場所のことを聞いてみた。(彼女は富士吉田市出身で、富士山の溶岩流のことも詳しい)
わたしは、ここの地形が特異であると感じたし
宇宙湖の水の出口がこの滝だと思っていたので
年代的なことを知りたかったのです。
この場所にピンクの星を貼ってしまったので、分かりづらいのですか
もともとの地図はこうです。
上方に向かって流れる『桧丸尾溶岩流』は
この場所で、左に大きく湾曲をしているのです。
それは、この溶岩流が流れた『延暦』の時代(西暦802年)には
この高まりはすでにあったことを意味します。
すると、Yちゃんから
驚くべきことを教えて頂いた。
ここには『桂溶岩流』というものが流れているのだというのです。
え?いつ頃の?
なんと
8000年前の噴火だといいます。
その頃は、まだ、宇宙湖は存在していたのでしょうか?
そこから流れ出す滝が
この滝…
縄文の時代の水の神と言えば
瀬織津姫?
いや
さらに遡るのかも知れなくて。
そう言えば
ここには大蛇伝説があり
そのオロチを退治した話が伝わっています。
金鱗の洞窟なるものもあり
看板だけが残っていますが
Yちゃんが子供のころは
鬱蒼とした森であったようです。
参道であったかも知れない
射撃場へ行く車道を戻ってきました。
こんな場所があるんですねえ…』
ミキさんが驚くのも無理の無いこと。
わたしだって、13年もいて
いつもここは車で素通り。
2年前に気がついたんですよ。
いつまでも
水の音が心に響いていました。